25 聖山の二重構造:キナウル人

ボン教徒にとって、キナウルという地名は特殊な響きをもっている。キナウル語こそボン教の言語である幻のシャンシュン語ではないかと、一部の人々のなかでみられてきたからだ。シャンシュン国の中心地であった西チベット、とくにキュンルンとキナウルはサトレジ川一本で結ばれていた。シャンシュンの人々が国の滅亡後、サトレジ川下流に逃げたとしても不思議ではないのだ。

もしこの地域に送魂路があったら、キナウル人がどこから来たのか、シャンシュン人はどこへ行ったのか、そういうことがわかるかもしれない。 

 そんなとき手を差し伸べてくれたのがキナウル出身者でヒマチャル・プラデシュ大学教授のV・S・ネギ氏だった。キナウル中部のチャガオン村(キナウル名でトーラン)に送魂歌が伝わることを教えてくれたのである。

 ウキャン(Ukyang)祭、またの名をフライチ(Phulaich)祭、すなわち花祭りのとき、8人のギトカレス(Git Kares)によって送魂歌がうたわれるという。この祭りは秋(チャガオン村では11月)に挙行される祖霊祭でナムガン(Namgan)ともいう。祭礼は三日間。送魂歌、ウキャン・ギタン(別名シュ・ギタン、神の歌の意味)は祭りの初日の夜、夜通し立ったまま歌う。

 もしギトカレスが倒れたら、そのギトカレスはまもなく死ぬといわれる。歌うとき、生きたヤギと24本のワインを捧げる。8人のギトカレスは、祭りの前、ヤーシャン(Yaa Shang)という岩だらけの場所にこもり、一字一句まちがえないよう正確に歌詞をおぼえる。8人のうちのリーダーはヒムラ(Himla)とよばれる。この祭りは、グゲ王国のバナスル王と妾のヘリンバによってもたらされたとされる。

 さてその送魂歌はつぎのようなものである

 

<四角の玉座のような丘がある。そこがブレリンギ(Brelingi)村。ブレリンギ村には寺がある。村の端にスムギャル(Sumgyal)兄弟がやってきた。村の真ん中には川が流れていた。川の真ん中には大きな石があった。その石はスムギャル兄弟が作ったものだ。(上へ) → ゴムポルト(Gomport)の真ん中には法灯(mchod me)が燃えている。チャガオン村の特別な場所に神の宮殿(石造寺院)が建設される。スキュラム(sukyuram)樹が燃やされる。この聖なる樹はどこから運ばれたのか? スキュラム樹はモラスティン(Molasting)の地に生えている。石造寺院を建てたのはだれなのか? 大工キャンガトゥ(Kyangatu)が建てたのだ。

 神(地方神)の乗り物(rothang)を作ろう。寺の中央の像を作ろう。神らしく装飾を施そう。ヤクの尾をその頭に巻こう。神様はどこ? ヤクの尾はどこにある? 

 グゲ・チャンタンにある。鼻水を垂らした(汚らしい)男、ジャード( チベット人)の息子がグゲ・チャンタンからヤクの尾をもってやってくる。竹細工で神様の乗り物を飾ろう。竹はどこにある? 竹はニグルサリ(Nigulsari)にある。だれが竹をもたらしたのか。

 胡桃で神様の乗り物を飾ろう。だれが神様の乗り物を作ったのか。作ったのは大工キャンガトゥ。キャンガトゥが建てたのは チュムレー寺(chhumale sangthang)寺、いやカイムレー寺(kaimle sangthang)。ダルマニン(Darmanin)の中央に寺を建てた。(上へ) → さらに上ると小さな流れがあり、水車がたくさんある。(上へ) → さらに上るとモファヤン・サンタン(Mophayan Sangthang)がある。(上へ) → さらに上るとモラスティン(Molasting)の地の中央に出る。

 オーム(Aum)、スリー(Sri)サリン(Saring)。御身(チャガオン村のシャンカラ神、Shamkar)は仕事をお忘れになったのでしょうか。われわれには歌詞の意味がわかりません。ゴレ(Gore)とベナ(Bena)にはじまる歌の意味がわかりません。(上へ) 

 さらに上るとロバイ・サンタン(Robai Santhang)、古代の寺院に出ます。苔による装飾が施されています。(上へ) → その上方にはロルメ・サンタン(Rolme Santhang)。(上へ) →

 さらにずっと上ると二匹の蛇(のような地形)がいる。ギョタン(Gyothang)という。(上へ) → さらに上にはコタン(kothang、石積み)がある。ここはトゥムシャカラ(Tumshakala)と呼ばれる。

 古代、トゥムシャカラでウキャン祭がおこなわれた。当時は三つの地域に分かれていた。そのひとつドゥトラン(Dutlang)にはバイラン・マトゥス(Bailang Matas)という女がいた。ここの神様(の神輿)はあまりきれいでなく、人身御供によってきれいになった。

 女はドゥタス(Dutas)の娘だった。後ろ髪には箒を結っていた。女は人身御供となるべく捕らわれていたが、息子を背負って逃亡した。(上へ) 

 さらに上ると、丘の上のウラニ(Urani)村から水が流れ落ちる場所があり、ここは休息するのにちょうどいい。白と黒のふたつのコタンがある。(上へ) 

 さらに上るとモエニン(Moening)の丘がある。金と銀と塩に関する紛争があった。上方からやってきた敵ジャード軍(チベット軍)とシモル(Simol)王軍が戦った。

 ジャード王は頭飾りに角をつけ、シモル王は竹の装飾をつけた。チャガオン村の人々はシャンカラ神に供え物をして神の力を得た。またrishiが敵方に呪文を投げかけた。(上へ)

 さらに上ると二つの飲料になる川が流れていた。(上へ) → その上方は二つの黒い水の流れだった。(上へ) → その上はウラニ村。(上へ) → そして二つのコタン。白と黒のコタン。ボジョという地名。これはシェルパの名前。(上へ)

 さらに上るとグゲ・チャンタン(Guge Changtang)。洞窟のなかには動物(羊やヤク?)がたくさんいる。(上へ) → さらに上るとカドゥガリ・カトレ(Kadgari Khatole)。(上へ) → さらに上るとグムレングス(Gumrengs)。(下へ) 

 下ってチョテロ・チャオス(Chotero Chaos)へ。(下へ) → さらに下ってテレイ・ダル(Terei Dar テレイ丘)へ。(下へ) 

 下ると泉があり、泉には雌蛇がいる。雌蛇は「わたしには仲間がいない」と呼びかけてくる。ここはルンティ(Runti)という地名。「あなたの仲間は穴の中の動物ではないか」とこたえてやる。(下へ) 

 そこから下ると、運河の水が蛇のようにくねっている。(上へ) → また上るとそこはパンダヴァ(Pandava)王五兄弟の丘。丘の上では五兄弟が馬に乗っている。ヤルチの花で作った王のベルトを巻いている。(下へ) 

 下るとカトー(Kato)川という小川が流れている。(上へ) → 上るとマザラン岩(Mazalan)の中央。ここには「蜂」鳥と「脂」鳥がいる。またバンギャル岩(Bangyal)があり、ウラニ村の神がいる。(上へ) → 上るとロラ(Rora)村から小川が流れている。(上へ) 

 さらに上にはムッキン岩(Mukking)岩がある。力を込めて、岩の扉を開けなければならない。イェ・プルボ・ナラヤン(Ye Purbo Narayan)神にたのんで開けてもらう。扉は銀の扉。ねじは金。(上へ) → 上方には水無し川。(上へ)→ 川に沿って上っていくと女がいる。「川の娘」である。 ここはチキム・ドンカル(Chikim Donkhar)と呼ばれる。村の神はサルガ・チョロニー(Sarga Cholony)。

 サルガ・チョロニーによって扉が開けられる。(上へ) → レオ(Leo)村に着く。ロープを投げ渡して川を渡る。「金の橋」とは金色のロープ橋のこと。(上へ) 

 さらにずっと上ってラルダン(Raldang = Kinner Kailash)峰の奥深くへ。そこにはシルコット寺(Silkot santhang)があるだろう。シルコット寺はバラン(Balang)村の神が管理する。バラン村の神は蛇神(Nag)。蛇神は神の不義の子である。ひとの不義の子は、チトクル・ラクチャム(Chhitkul Racchham)村(実在)の人々である。

 シルコット寺の扉を開けなければならない。金のねじのついた、錠前は竹製の扉を開けなければならない。>

 

 この魂の道は、意外なコースを取る。魂は民族のたどってきた道を遡り、グゲ・チャンタンに至る。グゲはもちろん10世紀頃から17世紀頃まで西チベットに栄えた王国である。キナウル北部はグゲ王国の一部であった。チャンタンはラダックのパンゴン(Pangong)湖あたりを指すともいわれるが、ラダック全体、あるいはシャンシュン国を指すという説もある。

 そこからさらに上ってカドゥガリ・カトレ、グムレングスという地名が挙がっているが、いまのところ特定できない。魂は北上してグゲ・チャンタンに至ったあと、南下して、キナウル中部にもどり、聖山キナー・カイラースのラルダン峰から天の寺(グルン族のム・ギ・ゴンパ、すなわち天の寺を想起させる)に、つまり冥界に入るのである。

 そこはシヴ・ダン、死の王でもあるシヴァが司る世界なのだ。キナー・カイラースという名が示すとおり、この山はリトル・カイラースといったおもむきがあるのではなかろうか。ナシ族のジュナルァラ山がリトル・カイラースであったように、ラルダン峰はカイラースであり、須弥山でもあったのだ。