地球内部への旅 17
モーガン
(1)
1895年、シンシナティで、奇妙な本が私的に印刷された。タイトルは『著者の編集』だった。この本は論評をしてもらうために、新聞、雑誌、選ばれた個人に送られた(リアクションについては<付録2>参照)。以下のタイトル・ページを見ただけで、この本がいかにエキセントリックであるかがわかるだろう。
エティドルパ
あるいは地の果て
謎の存在の奇妙な歴史
そして驚くべき旅の記録
それはジョン・ユアライ・ロイドの仮説である
本書を印刷すると約束しながら
最終的に責任を逃れた
ルウェリン・ドルーリーに
手稿によって伝達された
責任を負う人物――著作権を保全し、印刷者と契約する――は、シンシナティの市民によく知られていた。彼、ジョン・ユアライ・ロイド(1849-1936)は薬剤師、化学者、ビジネスマンだった。ロイド兄弟ファーマシストの経営者のひとりであり、植物薬品の製造者のリーダーだった。彼はまた北米の薬用植物のパイオニア的なガイドブック、『マテリア・メディカ』の著者のひとりでもあった。ロイド教授としては、彼はエクレクティック・メディカル・インスティテュートで化学を教えていた。
ロイドは多作の作家であり、数冊の著作と数百の科学に関する記事を書いていた。だからシンシナティ市民の仲間は著作物が刊行されると聞いても驚かなかった。エティドルパが上梓されたとき、前書きにロイドの名が記されているだけであることに、とまどいを隠せなかっただろう。そしてそのタイトルが「地球内部への旅」であることに不意を突かれたのは間違いない。
前書きでロイドはエティドルパの原稿について論じている。彼に言わせれば、すでに七年間彼はこの原稿を持っていた。しかし入手したいきさつについて明らかにすることは許されなかった。この本の素材が賛否両論を呼ぶものであっただけに、彼はこの本を出版することに躊躇せざるをえなかった。しかしついに出版する言質をとりつけることができたのである。
読者がおいおい学ぶように、エティドルパは二つの原稿を取りまとめたものである。一つは(この書の核となるもの)ルウェリン・ドルーリーという人物が保管していたものである。彼はミステリアスな見知らぬ人からそれを受け取っていた。もうひとつはドルーリー自身が書いたものだった。彼はこの見知らぬ人との出会いを描いている。これらすべての素材がロイドのもとにやってきた。
ドルーリーの貢献――プロローグ、一連の幕間、エピローグ――は、見知らぬ人によって語られた物語を整理することだった。プロローグでドルーリーは自己紹介をする。読者に彼が「誠実で、責任を持っている」ことを証明するためである。そして彼が描こうとしているものが「奇妙なものであって、驚くべきこととは言わない」と警告した。しかし彼は開かれた心を維持するよう促した。
ドルーリーが語るには、彼は神秘的なテーマについてのテーマの書を広範囲から集めたユニークなライブラリーの中にひとりで住んでいた。そこではもっとも熱心だった。11月のある冬の日、近くのカテドラルの鐘が11時を告げた。彼はライブラリーの中に坐っていたが、そわそわして落ち着きがなかった。
暖炉の火をじっと見つめ、ラテン語の言葉を思い浮かべているとき、ドルーリーは声に驚かされた。ライブラリーにはひとりきりだと思っていたが、そうではなかった。部屋の対角に坐っている白髪の男が彼のほうをじっと見つめていたのだ。
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