ソロモン 地球内部への旅 18
ドリアル
コロラドの山中にホワイトテンプル同胞会(The Brotherhood of the White Temple)は現在にいたるまで生き残っている。同胞会が創建されたのは1930年で、これまで古代の智慧の研究と宣教に尽くしてきた。この智慧はドリアルとして知られる影の多い創建者によってあきらかにされたものである。
ドリアルはオクラホマの先住民保護区に生まれた。本名はクロード・ドギンズ。第一次大戦中信号隊で任務に就いたあと、神秘学の知識を追いはじめた。彼の主張によればチベットに何年も滞在し、ダライラマやその他の人々から学んだという。*1
ドリアルは生涯の間に何十冊ものパンフレットを出版した。テーマはカバラー、転生、UFOなどだった。しかし彼の名を有名にしたのは『アトランティス人トートのエメラルド・タブレット』だった。この著作はオリジナルのエメラルド・タブレットの翻訳だった。ドリアルによるとこのタブレットは3万8千年前にアトランティスの高位祭司トートによって彫られたものだという。トートはタブレットを持ってエジプトへ行き、彼はそこで貯蔵庫として大ピラミッドを建設した。タブレットはのちにユカタン半島に運ばれた。そしてマヤの寺院の遺跡でドリアルはタブレットを発見した。本の宣伝にはこう書いてあった。「トートの力強くリズミカルな詩句がドリアルの翻訳によってよみがえった」+1
秘教の知識を得て(多くは神智学から来ている)ドリアルは講演をおこない、パンフレットを発行し、同胞会を導いた。彼のリーダーシップのスタイルは「華麗さ」だった。タイム誌のレポーターがデンバーにある同胞会のヘッドオフィスを訪ねたことがあった。彼の描写によれば、ドリアルは金の縁飾りが施された紫色のシルクのガウンを着て、玉座に坐っていた。*2
1946年、核戦争を予期したドリアルは同胞会をロッキー山脈の人里離れた谷間に移した。そこでも彼は死ぬ1963年まで「至高の声」を務めた。
ドリアルはかなり大きな図書館を持っていたという。オカルト、形而上学、サイエンス・フィクションなどの著作が3万点にも達した。とはいえ彼はたんなる学者ではなかった。世界中を旅行しながら、幾度か地球内部を訪ねていたのである。
最初の地球内部訪問はチベット滞在中のことだった。ドリアルが語るには、彼はアストラル体となってラサの下、地中深くの図書館へ行ったという。そこで彼はワイヤーに記録されたチベットの古代の智慧を学んだ。*2
米国に戻り、彼はデロスの地下の家を訪ねた。(この驚くべき生きものは第20章で論じることになる)
そして1931年、ドリアルはカリフォルニア州のシャスタ山の地下に位置する都市を訪ねている。『シャスタ山の謎』と題されたパンフレットのなかで彼はこの訪問のことを記している。はじめにふたりの見知らぬ者が彼を山の頂上に連れていった。ドリアルは大きな平たい岩の上にふたりとともに立った。岩の一区域がエレベーターのように山の下のほうに下降していった。何キロも下ったあと、彼らは巨大な洞窟に到着した。
ドリアルはエスコートされて「美しい白い家が立ち並ぶ小さな都市へと案内された。そこはあまりに美しく、目がつぶれてしまうかと思うほどだった」。700人の住人が住むシャスタ山の下の都市は、以前はアトランティス人のコロニーだった。ガイドによって彼は都市の中を案内され、テンプル(寺院)へと連れていかれた。そこでガイドは砂を金に変える錬金術のデモンストレーションをおこなった。(彼らの説明によれば、外世界、つまり地上から必要な物資を購入する際に黄金が使われた) 彼らはまた秘密の指令を彼に与えた。
案内を終えたあと、彼らは「大いなるプラン」についてあきらかにし、外世界(地上)でわたしがするべきことを示してくれた。まさにいましていることがそうである。こうして次第に人は、物事と物質の裏側にある、また人生の裏にある大いなる謎に気づくようになるだろう。
これらのミステリーのシンボルとして、天まで届かんばかりに聳え立ち、深みを隠し持つシャスタ山以上のものがあるだろうか。*3
+1 ドリアルはエメラルド・タブレットを「人類に役立った古代知識の膨大なコレクション」として描く。智慧の例をいくつか挙げよう。
「秩序とバランスは宇宙の法則だ。従え。そうすれば汝らは、すべてとひとつになるだろう」
「光は汝のもの。おお、人よ、受け取るがいい。足枷をはずせ。汝は解き放たれる」
そうしてドリアルはタブレットを大いなるピラミッドのもとへ戻す。いま現在どこにあるかはわかっていない。
*2 タイム誌1946年9月16日号の記事はあきらかにドリアルに対して偏向がかっている。記事によれば彼は「デンバーにひょっこり現れた、はげで、ちびの小太り男。彼の弟子たちも「目がギョロギョロした信者たち」だという。
*3 米国に聖なる山があるかとたずねられたら、シャスタ山と答えよう。近くの町々には、さまざまなニューエイジの組織が看板を掲げている。それらの名はこんなふうだ。「探求者と神に仕える人のための輝く流派」「シュリー、シュリー、プロボ」「アスタラ」などである。これらのグループは宇宙エネルギーによってこの休火山に引き寄せられてきた。同様に引き寄せられてきたのは、山と交流したいと考える、あるいはここにねぐらを作りたがっているスピリチュアル探求者の巡礼の流れである。
シャスタ山の神秘的な波動に同調していないのは、もとから居住している先住民である。先住民にとってワイイカ(Wai-i-ka)は神々の里である。同時に天国と地下世界の橋でもあった。中空と信じられている山は大地の底深くに通じる道だった。ワイイカの伝説は豊富だった。そのひとつによると、山は大いなる精霊の山小屋(ウィグワム)であり、煙穴から硫黄が噴出した。ほかの伝説によれば、そこには矮小な種族が住んでいた。彼らの姿はめったに見かけなかったが、笑い声はよく聞こえたという。
先住民と入れ替わった白人の居住者はこうした伝説を守ってきた。しかしすぐに彼らは自分たち自身の伝承を持ち込んだ。その多くは『二つの惑星の住人』という題の本が起源である。
『二つの惑星の住人』は1905年に刊行された(その20年前に書かれていたが)。著者はシャスタ山のすぐ北側の町ワイリーカの住人、フレデリック・スペンサー・オリバーだった。オリバーはありきたりの作家ではなかった。なぜなら彼はチベット人フィロスとチャネリングしていると主張していたからだ。彼は自動書記を通じてフィロスから指令を受け取っているというプロセスを描いた。「そのような時、私ははっきりとほかの時のように、周囲のことを意識していた。そのとき私はマスターの存在の前まで上昇し、マスターのために喜んでアマヌエンシスしているように感じた」。フィロスは秘密結社がシャスタ山の中にあることを明かした。秘密結社はアトランティスの伝統を受け継いだマスターたちの秘密組織だった。
あるいは太平洋の失われた大陸、レムリアの伝統だったのだろうか。これらのマスターたちが受け継いだのか。バラ十字会の創建者ハルヴェ・スペンサー・ルイスによれば、まさにその通りだった。1925年、ルイスは(セルビウスという名を使っていた)「レムリアの後裔たち;アメリカの古代カルトの描写」という記事を出版している。信用のある目撃者もいる、とルイスは述べている。ハースト新聞に科学についての記事を書いていたラーキン教授はシャスタ山に望遠鏡を向け、レムリア人を確認したのだろうか。またラーキンは儀礼をおこなうとき、彼らが歌うのを聞いただろうか。
(ラーキン教授は失われた大陸について書いていた。そして『二つの惑星の住人』を強力で、威厳があり、堂々として、魅力的な本と評していた。しかしレムリア人を確認したという主張が書かれたとする該当箇所は彼の著作のなかに見つけることができなかった)
1931年、ルイスは(このときはウィッシャー・スペンル・セルヴェという名を用いている。アナグラム)「レムリア:太平洋の失われた大陸」を刊行している。この著作はシャスタ山に住むレムリア人のために1章を割いている。彼が描くレムリア人は、背が高く、上品で、礼服を着ていた。地元の商店主らは彼らと会うことがあった。彼らが店にやってきて、日用品を買うことがあった。黄金が入ったバッグを持ち、金で支払いをすることがあった。
しかし民衆の注意をレムリア人に向けたのは、ロサンゼルスタイムス紙の記事だった。1932年、ジャーナリストのエドワード・ランサーはマウント・シャスタ・リミティッドの観察車に乗って旅行をしていた。夕暮れ時、シャスタ山の前を通りすぎたとき、ランサーは山上で奇妙な赤味がかった緑色の光が輝いていることに気づいた。彼はガイドにそのことについてたずねた。
「レムリア人ですよ」とガイドは言った。「あいつらはあそこで儀式のようなものをやってるんです」
興味を抱いたランサーはこのあと山を訪ねることにした。彼は地元の居住者にインタビューし、驚くべき発見をした。「シャスタ山の神秘的な村の存在はもはや疑いなかった。シャスタ山周辺のビジネスマンやアマチュア探検家、官吏、牧場主らはみな自由にレムリア人のコミュニティについて話していた。日没や夜中、夜明けに山の側面でおこなわれる気持ち悪い儀礼をみなが証言した。
彼はまたレムリア人との遭遇がたびたびあったことを知った。「シャスタ山付近に住むさまざまな商店主が、白衣の男たちが店にやってきたことをレポートしている。彼らの買い物はとくに特徴があった。彼らは大量の塩とともに、膨大な硫黄を購入した。また樽にいっぱいのラードを買った。そのために彼らは自分たちの容器を運んでいた。そして支払いはいつも金の延べ棒だった。
ジャーナリストはほら話を信じてしまったのだろうか。たんなる冗談を真に受けてしまったのか。あるいはたんにそのまま事実をレポートしているのか。いずれにしても伝説は広がりはじめていた。シャスタ山はレムリア人の里になってしまった!
このとき以来、伝説は根を生やした。目撃談は切れることがなかった。毎年、白衣を着た男たちがシャスタ山の山腹をさまよっているといった目撃がレポートされた。相も変わらず彼らは長い、流れるような髪を持ち、魂のこもった見かけをしていた。彼らはあいさつの言葉をもごもごと言ってかわしたあと、森の中へ消えていった。
この神秘的な男たちはだれなのだろうか。レムリア人なのか? ニューエイジの隠遁者なのか。ぼうっとしたヒッピーか。彼らの正体は謎のまま残りそうだ。しかしながら、彼らがプラスチック・バッグを避け、マイ容器を持参して買い物をしている点は注目に値する。環境に繊細な彼らはたしかに山上のワイズ・マンだった。