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 I AM運動の中核となるのはアセンデッド・マスターたちだった。しかしバラード夫妻は本当にこれらとコンタクトしていたのだろうか。チャネリングによってメッセージを得ていたのだろうか。ガイはサンジェルマンと会ったのだろうか。それらはすべて作り話だったのではなかろうか。

 ガイは(夫妻のどちらが『明かされた秘密』を書いたにせよ)、「これらの出会いはこの地球上に人類が存在するのとおなじくらいに実際にあったことである。すべて1930年の8、9、10月にシャスタ山で起こったことである」と主張する。

 ではいったいどういうことなのか。バラード夫妻はわたしたちをだましているのか。いくつかの可能性をあげてみよう。

(1)ガイとエドナはきわめて誠実である。彼らの体験は、本質的に幻想であったが、真実だった。

(2)これらの体験は作られたものだが、目的あってのものだった。バラード夫妻は近づきやすい精神的真実を望んでいた。そこで彼らは神智学やオカルト小説をもとにI AM運動を創出した。

(3)すべてはペテンである。バラード夫妻は敵対する人々が非難しているとおりの詐欺師だった。彼らは金儲けのために宗教を捏造した。

 あるいは実際のバラード夫妻の姿は複雑なものだったかもしれない。ガイはシャスタ山で本当に幻想体験をしたのだろう。シカゴに戻ってきて彼はエドナに何が起こったか説明した。一連の著作のなかで彼女はそれについて詳しく述べている。彼女は話に肉付けをし、さまざまな本をもとに哲学的な衣を着せて、チャネリングによってサンジェルマンの教えを得たのである。こうしたことの結果がI AM運動だった。それは純粋な教えであり、同時に金儲けの事業だった。彼らは金鉱を探し当てたのである。

 さてバラード夫妻の最終判決はどうだったんだろうか。彼らは幻想家なのか、頭がいかれていたのか、それとも詐欺師だったのか。ガイは実際に地底に降りてアセンデッド・マスターたちのもとを訪ねたのか。『明かされた秘密』のなかで彼は問題になっている点についてつぎのように述べる。

 

 「事実は小説より奇なり」というが、本書もそれに該当する。受け入れるか否かは、読者の判断にお任せしたいが、私がお世話になったアセンデッド・マスターたちからは、しばしばこう言われている。

「より多くの人間が我々の存在を認められるようになれば、扉はさらに大きく開かれ、我々はますます人類に貢献できるようになる。だが、我々の存在という真実をどんなに否定し、拒絶しても、この宇宙における活動から我々を排除することはできない」(八重樫克彦・由貴子訳) 

 

 われわれはマスターたちの存在を受け入れることも、否定することもできる。しかしながらだれが彼らの基本的メッセージについて論じたいと思うだろうか。サンジェルマンはガイにつぎのように語った。

 

アセンデッド・マスターたちはつねに「強きI AMの存在」の大いなる光をして地上の人類を抱かしめよ」という指令を出している。苦悩、暗闇、無知が存在するのは愛の欠乏のゆえである。

 

 愛は魔法の鍵であるとアセンデッド・マスターたちは言い放つ。危機的状況にあるというのに、われわれは知らないふりをしている。


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