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 パーマーは本当に地底世界を信じたのだろうか――古代レムリア人と悪しきデロ人が住む地下世界を。そしてこの場所をシェイヴァーが訪ねたと本当に信じたのだろうか。それともすべては売名行為なのか。雑誌を売るための(実際成功した)炎上商法なのか。

 そもそも物語の事実における基礎に関して、彼は不可知論者だと宣言している。アメイジング・ストーリーズ誌の編集者として彼はシンプルに素材を読者に提示しているにすぎない。著者の主張を受け入れるかどうかは読者の判断に任せられているのだ。

 しかしパーマーは、ついには考え方を世に知らしめるようになった。シェイヴァーは物理的に地底の洞窟に入ったのだろうか。ヘルメットを着用してレムリア人の生活を体験したのだろうか。幻視スクリーン上にデロ人たちの姿を見たのだろうか。埃の上に足跡を残したのだろうか。パーマーの見解からすると、答えはノーである。またこのような洞窟が存在する証拠もない。「1944年、私がはじめてシェイヴァーと接触を取ったときから今まで、人が居住する大洞窟を、また大洞窟を掘ったメック(機械装置)を発見することはなかった」

 しかしながらシェイヴァーがこれらを作り上げたわけではなかった。彼は純粋に体験をしているとパーマーは信じた。しかしこれらの体験は本質的にヴィジョナリー(幻視)だったのだ。

 パーマーは言う、あきらかにリチャード・シェイヴァーは、精神病患者として入院している間にヴィジョンを体験していた、と。おそらくトランス状態のとき(シャーマンの異界旅行のように)、あるいは明晰夢のように、彼はこのヴィジョン体験をしているのだ。(「わが人生の半分は浪費ということになってしまう」とシェイヴァーは書く。「夢を見ていただけだとしたら。それがすばらしい夢であろうと、ひどい夢だろうと、どんな夢であろうとも」) 精神分析医ならこれらの体験を幻覚とみなすかもしれない。しかし実際は、深奥なる本質において、超自然的なできごとだった。シェイヴァーはいかなる精神病患者施設には入らなかった、とパーマーは主張した。シェイヴァーは「とてつもないサイキック・パワーを持つ人間であるがゆえに苦しんできた」のであり、「通常の人間には見ることのできない存在の一面を感受することができる」のだ。彼の洞窟のヴィジョンはこの能力の産物だったことになる。

 この解釈に対するシェイヴァーの反応はどのようなものだったのだろうか。「とんでもない!」とシェイヴァーはパーマーに語った。洞窟世界はリアルなものであり、イマジネーションの産物などではない。物理的に彼はその世界へ降下していったのである。レムリア人の機械類、すなわち悪魔のようなデロ人たちの機械類は、またニディアや仲間の放浪グループなどの機械類は、すべて物質的に存在するのだ。

「私は洞窟に行ったことがある。それらはたしかに存在する」と彼は宣言した。

 しばしばそれらを遠くから見ることができた、とシェイヴァーは認めた。デロ人が彼に当てたテラウグ光線を通じてである。しかし、洞窟は触れるほどのリアリティを持っていた、と彼は主張した。そして実際に行ってみたのだと述べた。「私は……機械類に触ってみた」

 しかしパーマーは洞窟に行ったというのは幻視であり、物理的なものではないという確信を持っていた。シェイヴァー・ミステリーを説明しているように思われる奇妙な本を彼は見つけていたのである。

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