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ジフ・デーヴィス社から刊行されているパルプマガジンは大衆向けフィクションでいっぱいだった。それぞれたとえばSFや探偵小説といった特定のジャンルに分かれていた。表紙はけばけばしかったが、価格は低く抑えられていた。筋立てにはアクションがたっぷりはいっていた。「パルプ」というのは雑誌が刷られる紙の種類のことである。ボロ綿布のかわりにパルプ用材が使われた。四色光沢紙の表紙を除き、なかのパルプは安価だったのである。
最初のパルプマガジンはフランク・マンジー(1854-1925)によって発行された。元電報のオペレーターだったマンジーは「ゴールデン・アーゴシー」という雑誌を創刊することから出版業界のキャリアをはじめた。ホレイショ・アルジャーといった作家による子供のための道徳向上の物語を目玉としていた。起業家ならではの勘で、彼は雑誌名を短く「アーゴシー」とした。また内容をおとな向けの生き生きしたフィクションに変えた。道徳向上よりも娯楽を求めた。そして――雑誌の定価を低めにし、売り上げを増やすため――木材パルプ紙を使うようになったのである。(このような紙は劣化が早かった。しかしだから何?)アクションや冒険をフィーチャーすることによって「アーゴシー」の売れ行きはぐっと伸びた――最高で50万部も売れたのである。彼によるほかの雑誌「オール・ストーリー」もまた人気雑誌となった。フィクション雑誌という大衆向け文化を生み出したフランク・マンジーは巨万の富を得た。
しかし世紀の曲がり角になるとライバルのパルプマガジン出版社が台頭してくる。ダイム・ノベル(大衆向け小説)の出版社ストリート&スミスもそのひとつだった。かれらはマンジーをまね、一般的フィクションを扱った定期刊行のパルプマガジンを発行した。そのひとつ「ポピュラー・マガジン」は表紙がカラーの最初のパルプマガジンとなった。そして1915年、ストリート&スミス社はあらたな新機軸を打ち出した。特定のジャンルに特化した雑誌を創刊したのである。それは「ディテクティブ・ストーリー(探偵小説)」や「ウェスタン・ストーリー(西部物小説)」、「シー・ストーリーズ(海洋小説)」などであった。
マンジーも負けてなるかとばかり「ディテクティブ・フィクション・ウィークリー」創刊であとを追った。ほかの出版社も参加し、創刊ラッシュがはじまった。ニューススタンドはこれらのけばけばしい表紙で埋め尽くされた。あらゆるジャンルが試された。スポーツ物、航空物、恋愛物、「猥褻(わいせつ)」物などのパルプマガジンが登場した。ファンタジー物の「ウィアード・テイルズ」という雑誌さえ創刊された。
しかし(のちに大人気を博することを考えれば)意外なことだが、SF雑誌はまだ生まれていなかった。じつはSF(サイエンス・フィクション)という言葉さえなかった。マンジーは「サイエンス・ロマンス」という言葉を使っていた。(たとえばエドガー・ライス・バロウズの「火星の月のもとで」は「オール・ストーリー」誌に連載された) しかしサイエンス・フィクションという雑誌におけるジャンルは存在しなかった。
その創設者の登場を待つばかりだった。
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