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1962年、シェイヴァーは妻とともにウィスコンシンを去り、アーカンサスのサミットに引っ越した。そして「ロック・アーティスト」(岩石芸術家)としての新しいキャリアをスタートさせた。
彼は驚くべき発見をした。レムリア人たちは、レーザー装置を用いて岩のなかに像を記録していたのである。(このプロセスはロクフォゴと呼ばれる) ダイアモンド刃のノコギリを用いて岩をスライスして石板にし、石目(きめ)が見えるようにした。こうしてこれらレムリア人が記録した像をあらわにした。そこにはモンスターやマーメイド、裸の女たちの姿があった。「これらのものは」とシェイヴァーは言う。「いわば像を記録した岩の巨大な図書館だ。それらはありふれているのに、とても価値があり、それでいてとても簡単に見ることができるものだ」
ほかの人は像を識別することができなかった。シェイヴァーだけが、神経を集中することによってそれらを見ることができた。石板の石目の波模様からそれらが浮かび上がってくるのである。これら彼が「洪水以前芸術石」と命名したものを売買できる市場を探さなければならなかった。彼はUFO雑誌などに広告を出した。そして自分の敷地から出てきたものを売ったのである。彼の岩石ショップはウェルカムの看板を出して顧客を歓迎した。
洪水以前芸術石はほとんど売れなかった。しかしシェイヴァーはここで立ち止まらなかった。不明瞭なプロジェクターを用いて、彼は特別に処理したキャンバスの上に石板を投射した。光の磁力を用いてキャンバス上に刻印を残すことができる、と彼は説明した。かつての芸術学校の生徒は丁寧に絵の具を施し、像を浮かび上がらせ、また現像させる。こういったペイントもまた売りに出された。
シェイヴァー・ミステリーはこうして表舞台からはフェイドアウトしていったが、一定のコアなファンは残っていた。かれらの一部はシェイヴァーのところを訪ねたがった。アーカンサスの彼の家はまるで巡礼地のようだった。かれらはシェイヴァーのペイントを眺め、(家の後方の小屋のなかにある)彼のスタジオを見学した。かれらはドロシーが出す軽食をかじった。そしてかれらは地下洞窟へ行ったことがあり、いまもレムリア人のことを学んでいる男とのおしゃべりを楽しんだ。あるファンによると、彼は自分が作り出したすばらしい世界に生きていた。
つまり彼はあいかわらずいかれた男だったのだ。
このようにリチャード・シェイヴァーは最後の日々を過ごしていた――スタジオでは忙しく過ごし、誠実な妻に世話してもらいながら。しかし世間からは忘れ去られようとしていた。