カラコルムの麓へ 宮本神酒男

 そこで急遽私たちはフシェ村へ行くことにした。何かに導かれるように、ソマレクを探す旅はつづいていた。フシェはハプルからK2のそびえる北へ上がっていき、車道の行き止まりにある村だった。今日もどってくるのはむつかしいだろう。

 ハプルで新しいタクシーを探し(なぜならかのポロ・プレーヤー運転手は行方不明になってしまったので)数時間かけて、ようやく日没直後にフシェ村に到達した。村では日本人登山家もよく泊まる民家に宿泊することにした。

 さっそく村のどこかに住む語り手の老人と接触を試みた。しかし老人の家からもどってきたアシュラフさんの表情はこわばっていた。

「歌うことはできないそうです」

「できない……、それはどうして」

 80歳のハッジ・ムハンマドさんは、この「ハッジ」が示すように巡礼者なのだった。メッカには三度も行ったことがあるという。メッカだけでなく、シーア派(その支系のヌールバフシュ派)にとって重要な12イマムの墓(ナジャフ、カルバラー、サマラなど)をも詣でていた。

 ハッジは何年か前、歌うことはコーランの教えに反すると考え、二度と歌わない決心をした。村人をみな集め、最後の歌を披露した。その夜のパフォーマンスが最後で、二度と歌わないという決意表明である。

「それじゃあ交渉の余地はないですね」と私はため息をつく。

「いやそれが……4000ルピー払えば歌ってもいいそうです」とアシュラフさん。

「おい、それじゃハッジの誓いはどうしたのだ? そんな大金払って頼むのはいやだな。それに第一、カネが足りない」。

「いえ、その4000ルピーは儲けになるのではありません。いわば神に払う罰金です。そのお金はモスクか精神的指導者に払われるのであり、手元に残ることはないのです」。

 なにか納得いかなかったが、値段交渉をしてもう少し安くし、泊まっている家に翌朝来てもらうことで話がついた。

 朝、小柄な老人がやってくるのが遠くに見えた。一目見て、お金などには興味のない、善きイスラム教徒であることがわかった。私は値段交渉をしたことを恥じ入った。

ハッジ・ムハンマドさん

 ハッジの声には独特のこぶしのようなものがあり、私はまたも引き込まれてしまった。500ものフレーズが連綿とつづき、歌い終わったのは一時間あとのことだった。

 あとでハッジから聞いたのだが、もともと先生や師匠のような存在はなかったという。祭りなどで人が歌うのを見るうちに会得したのだという。

 ソマレクはひとつのメッセージだという。それは天空、星、山、川……すべてのもののなかに秘密があるということを伝えようとしているという。またさまざまな教えが含まれる。ソマレク自体が教育を引き受けているという一面があるのだ。

 
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