基本概要 Apercu general
1世紀以上前、アジア高地に主人公の名をケサル(チベット語でゲサルあるいはケサル、モンゴル語でゲセル)とする叙事詩、あるいは伝説物語が流布していることがすでに知られていた。
ケサルはリン(Gling)という国の王だった。現在知られているだけでも相当数の異本が存在するが、基本的なアウトラインはほぼおなじである。それを以下のようにまとめることができるだろう。
地上にリンという特別な国があった。しかしそのすべてが悪化の一途をたどっていた。それなのに国をよくすることのできる国王がいなかった。
リンにひとりの長老がいた。彼は天神が派遣した3人の子のうちのひとりを得ることができた。ただし醜悪な容貌で誕生するということになった。
母は奇跡的な方法で受胎した。その赤子が生を受けるや、叔父チョトン(チベット語でトトゥン、チョトゥン、モンゴル語でチョトン)が迫害をするようになった。この叔父はリン国を自ら治めたいと思っていたのだ。
ところがこの赤子には神のような力があり、叔父が何度か殺そうと試みたが、すべて失敗に終わった。
しかし赤子は母とともに国を追い出され、何年間も各地を流浪することになった。彼はその期間中ずっと醜悪な容貌のままだったので、人に嫌悪感を与えたり、滑稽さを笑われたりした。そのときの名は、ジョル(チベット語でジョルかチョル、モンゴル語でジュル)と言った。
こんな境遇にあっても、彼は魔物を退治せずにはいられなかった。そして流浪した地域の主のようになり、妻となるべき女と運命的な出会いをする。その女の名はドゥクモ(チベット語でドゥクモ、モンゴル語でログモ)と言った。
もともと英雄の叔父が彼女を追いかけていた。叔父は自信家で、いつも自慢話ばかりしていた。彼は国王は競馬で勝った者が就くべきだと主張し、そのことを各地で触れ回った。勝者は国王となり、美女ドゥクモを妻とし、先祖伝来の財宝を手に入れることができるのである。
しかし、叔父の目論見ははずれ、神霊の守護と神馬の活躍によって勝利を得たのは醜悪なるジョルだった。ジョルはリン国の王に推戴され、ドゥクモを王妃とした。まさにこのときから彼はケサルと呼ばれるようになった。また同時に光輝く威厳ある王の姿となった。
これよりのち、ケサルは生涯をささげてさまざまな魔物と戦い、鎮圧していく大事業に取り組むことになる。彼らは異民族の国王という外見をもち、周辺地域を統治していた。
ケサルの第1回目の遠征は北方であり、その地を支配していたのは魔王ルツェンだった。ルツェンは人を食う巨人の悪魔だった。ケサルは魔王の妻の裏切りによって魔王を殺すことができた。彼女は魔王の「命の拠りどころ」、すなわち外部の魂のありかを英雄に教えたのである。
この女はじつはケサルの妻のひとりだったが、魔王に略奪されたのだった。のち彼女は英雄に一種の健忘酒を飲ませ、魔国に引きとどめようとする。*王妃のひとりメサが北の魔国に連れ去られるが、魔王を殺す直接的な手助けをし、健忘酒をケサルに飲ませたのは魔王の妹アタラモである。
こうして英雄が長期間リン国を留守にしている間に叔父のチョトンはケサルの正妃に言い寄る。しかし失敗すると、逆恨みして、彼はホルの3人の王をリン国に引き入れたのである。リンは戦争に敗れ、王妃ドゥクモはホルに連れ去られてしまった。ドゥクモは抵抗するが、ついに白テント王の王妃にさせられてしまう。彼女はふたりの子を産んだ。
リン国の防衛はもはやなきに等しかった。チョトンは実質上国王として権力をふるいはじめた。天神に予言をさせ、ケサルの復権をはばもうと目論んだ。ケサルが国に戻ってまずしたことは、叔父を罰することだった。そして王妃を奪還するため、ホルへ向かった。
ケサルは醜い子供に化け、鍛冶師の見習いに扮して敵と接触した。そうして彼は何とか宮中にもぐりこむことに成功し、国王を殺し、王妃を救い出した。同時に彼は王妃の不貞を責め、懺悔させることを忘れなかった。ホル人の戦士たちはみなリンに帰属した。*ケサルが王妃とホル王の間にできた子供を殺すシーンは印象的な場面。
あるバージョンでは、この場面の前後にケサルは中国へ行き、そこから公主を連れ帰る。この遠征は困難をきわめたため、魔術的な道具が必要だった。ケサルは天へ昇り、あるいはミニャクへ遠征し、この道具を取りに行かねばならなかった。
ホル人との戦いにつづいて、ケサルはジャン人の国へ出征し、国王サタムを破ってリン国に帰順させた。国王が殺されると戦士たちはみな投降した。
このあと、叙事詩はひとつのパターンを繰り返す。すなわち異国の王が魔物であることが発覚し、ケサルの手によって排除されるのだ。
何人かは(国王の子や大臣)処刑を免れ、ケサルのために尽くすことになった。力を得たケサルは頻繁に遠征を行うようになる。ケサルは勇猛な将軍たちを引き連れて南部のモンの国に侵攻し、シャンティ王を打ち破った。
また西方のタジク(イラン)を攻めた。チョトンはこの国が産する駿馬を手に入れた。*そもそもチョトンがタジクの馬を盗んだため、戦争が勃発した。
以上が叙事詩のおおまかな筋である。大部分があとで、本文中で取り扱うことになるだろう。その他の各場面もみなあとで吟味していきたい。
(以下つづく)