第2章 ケサル物語の由来
ケサルの故事のリスト
私の手元には、ケサルの故事の幾許かのチベット語のリストがある。そのうちの一部は任乃強が公にしたものである。(1945 p22−25)
ケサルは20以上の巻から構成されているが、一般的に、人が知っているのはそのうちの数巻にすぎない。Doto寺(カンゼ地方、ニンマ派)が所有しているのはわずか18巻にすぎず、しかもそれらには欠損があるという。ジェクンド(玉樹)の西南にあるナンチェンの首領(嚢謙土司)は19巻からなる物語を持っている。任乃強はデルゲで出家した漢人ラマ李鑑明が主張する「ケサルは24から25の巻からなる」という説を支持している。この叙事詩の核心部分は5巻であり、それからしばらくして23巻に発展したという。そして前世紀にサキャ派ラマが1巻を加えた。最近になってさらにサキャ派ラマJo-tchen(?)が故事を加えて25巻まで増えたという。
[訳註] このDoto寺はスタンによっても特定されていない。四川カンゼ州内のニンマ派の寺で名が近いのはあえていえば多科寺ぐらいだが、はっきりしない。5巻が付け加えられることによって23巻になったということは、追加されたのは18大宗(ゾン)ということになる。サキャ派ラマJo-tchenというのは、おそらくニンマ派ゾクチェン(リンポチェ)の間違いだろう]
以下に示すのは、ザコ(rJa-khog)土司が提供したリストに対し、任氏が見解をまとめたものである。[訳註:雑谷土司はギャロン18土司のひとつ]
1 「神々の集会」(lHa-gling)
仏法に恨みを持った女性が、転生して魔物となり、仏法を破壊せんと欲する。それを知ったパドマサンバヴァは仏法を破壊しようとする3人の子を誕生させる。それがホルの3王である。そして天神や諸仏を招集し、ひとりの神を地上に降臨させることを決定する。それがケサルである。
2 「誕生」(’Khrungs-gling)
この神が地上に生まれかわる。リン国王と女奴隷との間にできた子供なので、最初は蔑視され、ジュレ(ジョル)、すなわち庶子、あるいは私生児と呼ばれた。しかし魔術の才能に恵まれたので、自立することができた。
3 「競馬」(rTa-rgyug)
競馬で勝った者がリン国の王位に就くというおふれが出る。王族の子息らとともにジョルも参加する。さまざまな障害に出会うが、魔術を駆使して最後にはジョルが勝ち、王位に就いた。ケサルという名はこのときに獲得した。
4 「リンと中国の闘い」(rGya-gling?)
中国皇帝が仏法を破壊する魔女を娶った。ドルマ(ターラー女神)の化身である5人の姫がまじないの言葉でもってケサルを呼び、さまざまな方法で魔女の魔術を破り、仏法の教えを広めることができた。
5 「ティナチュー」(bdud-nag??)
魔王の名をもって題となす。すなわち冒頭で仏法を破壊することを誓った女性が転生したあと、3人の悪魔の子を育てる。
6 「ホルの侵攻」
ホル国のグルカル王、策略を用いてケサルの超常的能力を損ね、リン国に侵攻する。そしてケサルの妃ドゥクモを奪い、側室となるよう迫った。
7 「ホル・リン戦争」(Hor-gling)
ケサルは覚醒し、さまざまなことを経て、軍隊を再結集し、ホルを攻め、妻を奪回し、三人の悪魔を殺した。
8 「キョ・リン(チュエ・リン)」(lJang-gling ジャン・リン)
キョア・サタ・キァポ(ジャン・サタム・ギャルポ)とリンのケサルが戦う。子のイェラ(yYu-lha?)がケサルに投降する。その国はバタンの南にあるという。
9 「ヒチュー」(Shin-khri シンティ)
南方のモン国の王シンティを征服する。
10 「タゾ」(sTag-gsigs タジク)
タジク(現在のイラン)を征服する。
11 「リンと上モンゴル」(Sog-stod
gLing? ソグトゥ・リン)
モンゴル上部(西部)を征服する。
12 「リンと上モンゴル」(Sog-stod
gLing? ソグトゥ・リン)
モンゴル下部(東部)を征服する。
13 「シレ」(Si-je Bye-ri シェリ)
シレ(シェリ)は北方の国名。ケサルが征服した。
14 「カキ」(Kha-che カチェ)
カチェとはインドのカシミールのイスラム教徒のこと。ケサルはここから宝石を奪った。
15 「チュク」(Dru-gu, Gru-gu
ドゥク)
ケサルはドゥク国から兵器を奪う。また大鵬の卵を手に入れた。
16 「ポロ」(sBe-ra ベラ)
ポロ国を征服。ポプ(Bal-po)とも言い、ネパールのこと。ポミ(Po-mi)の南にあるとも、アッサムの北、ポマカン、すなわちペマコ(Padma-bkod)ともいう。
17 「レロト(Je-lo-to)友好」
レロトは西方の女国。この国と通好(トンハオ)をよくした。チベットの習慣にしたがってカタ(スカーフ)を贈り、関係がはじまった。
18 「九眼珠(ズィ)」を取る
九眼珠(縞瑪瑙)は自ら模様を成した宝石である。黄金の数倍の価値があるという。ケサルはこれを求めた。
19 「リンと地獄」(dMyal-Gling ニェリン)
ケサルは地獄に降下して妻を救う。目連(Maudgalyayana)救母と話は似ている。
ケサルは内容に富み、人々を驚かせる。それはチベットだけでなく、モンゴルにおいてもそうだった。ずっと以前、G・レーリヒはチベットにも西ホル(Nub-Hor)人の16巻の写本があることを指摘していた。(1931年、p360)
彼は1942年の補遺にも(p281)、西ホル人のこの写本とチベット北東部の版との間には密接な関係があると述べている。そのあと彼は19巻からなる写本があり、それはカダム派のレティン寺(Rva-sgreng)に所蔵されていたが、1947年に持ち去られたと記している。 [訳註:レティン寺の住持は1934年から1941年にかけて摂政を務めたが、1946年に投獄され、翌年病没した。彼はケサル王物語が好きで、チャムパ・サンタ(Byams-pa gsang-bdag)という語り手を抱えていた。スタンがカリンポンで会った語り手は彼である]
レーリヒが示したのはつぎの写本の内容だった。
1 「誕生」(Khrung-gling) 1巻
2 「ホルの妖魔、彩色角の鹿」(Hor-bdud sha-ba ru-bkra) 1巻
3 「妖魔とリン」(bDud
gling) 1巻
4 「ホル・リン」(Hor-gling) 2巻
5 「ジャン・リン」(’Jang-gling) 2巻
6 「モン・リン」(Mon-gling) 1巻
7 「タジク」(sTag-gzig) 2巻
8 「アダク」(A-brag、あるいはgrags またA-brag rja-ma)1巻
9 「ベリ」(Bye-ri) 1巻
10 「カチェ(カシミール)」(Kha-che) 1巻
11 「シャンシュン(古代西チベットの王国)」(Zhang-zhung) 1巻
12 「ソグ・リン(ソグポとリン)」(Sog-gling) 1巻
13 「ラダク」(La-dvags) 1巻
14 「ドゥク(テュルクの古称)」(Gru-gu) 3巻
15 「スムパ(チベット北東部の民族の古称)」(Sum-pa)あるいは「スム・リン」(Sum-gling) 1巻
16 「チョ・ミヌブ・ギャルモ(ビルマ国?)」(Mcho Mi-nub rgyal-mo) 1巻
17 「ギャ・リン(中国とリン)」(rGya-gling) 1巻
18 「ホル・チパ・ラジョム・ギャルポ(ホル・ラジョム外道?王)」(Hor phyi-pa Ra-‘joms rgyal-po) 1巻
19 「ロ・キナ・ギャルポ(ロ・犬耳王)」(Glo Khyi-rna rgyal-po) 1巻 [註:このロ族はチベット東南部の土着の民族。レーリヒはロロ(イ族)と考えているが、チベット人はほかの民族とみなしている]
これまで見てきたように、巻数に関してはこれと任乃強がリストアップしたものとはおなじであるが、題名はかならずしも同一ではない。以下も、各巻の名称を比較していきたい。まず指摘しておきたいのは、レチェン寺が所蔵している19巻の物語は、実際は23巻ということである。またこの物語には、民間伝承がたくさん含まれていることに留意したい。
各巻の内容や題名は種々さまざまある。つぎに示すのは、ジョセフ・ロックがインフォーマントであるターチェンルー(康定)のドンドゥプから得た10巻である。
1 「ホルとリン」
2 「ジャンとリン」
3 「ドゥ(魔)とリン」
4 「メ(Me)とリン」(Me=lHog) [南のモン人?]
5 「デウゴ・ゾン(Bre’u
go-brjong)とリン」(デウ武器ゾン)
6 「ソグとリン」
7 「タジクとリン」
8 「ギャ(中国)とリン」
9 「ミニャクとリン」
10 「アセル(A-ser)とリン」
このリストを作成したインフォーマントは、自分が無知であることを認めていた。第一、物語の順序が矛盾していた。だい3巻は第1と第2の間に来るべきだった。おなじようなことはそのあとにもあった。ミニャクのエピソード(9巻)は中国へ遠征する第8巻に含まれるべきだった。アセル(10巻)はホル人の呼称のひとつにすぎなかった。つまり大10巻が独立した巻であるかどうかは疑わしかったのだ。デウ(5巻)も、兵器の要塞を持つドゥク人(Gru-gu)、すなわちテュルク人(突厥人)のことではないかと多くの人は考えている。
ギャンツェ木刻版は9章(3章ずつの3部に分かれる)からなる珍しいタイプの写本である。(3章p158) それは3つの実際の地名、すなわち中国、モン、ティン(mThing)、3つの神の地域、すなわち天神、ニェン神、ル(竜)神と地獄の巻を含んでいる。このほか、おなじ写本のなかにつぎのようなリストが載っている。(シャ、7b〜8a) すなわち、魔(bDud)、ホル、中国、ジャン、モン、ティン、タジク、キュンデ(Khyung-sde)である。
チャムパサンタ(Champasangta)は「ティン・リン」(Thing-Ling)の1巻を認識していた(その綴りは知らなかったが)ようである。このティンは西チベットの小国と思われる。
レーリヒによると(1942 p280−281)アムド版はつぎの内容を含んでいるという。
1 「ケサルの誕生」
2 「北の悪魔の降伏」(bDud-’dul)
3 「ホルとの戦い」(Hor-dmag skor)
4 「中国征服」(rGya-’dul)
5 「ジャンとの戦い」(rJang-skor)
6 「モン国征服」(Mon-’dul)
彼は同時に新しい故事をいくつか列挙している。われわれはこれらを限られたリストから見るしかないが、モンゴル版の多くの「巻」と照らし合わせることができる。シュミットの7巻とベルクマンのその他の2巻(第8と第10巻)は早くから知られていた。ポッペはまた(1927年)人に15巻の叙事詩を紹介していたが、それにはシュミットの7巻とベルクマンの2巻が含まれていた。また彼はのちに(1951年、p83)ジャムカラノが25巻の叙事詩を持っていると述べている。ただしこの写本は大戦中に所在不明になった。われわれはすでに巻数の一致を認めたが、その中身がおなじとはかぎらない。それゆえこの25巻のなかには、チベット語のリストのなかにある知らない故事とおなじものがある可能性がある。もしモンゴル版の故事がチベット版に遡ることができないなら、それらは訳本ではなく、あらたに加えられたものということになる。
カリンポンである人は、われわれに「悪魔(羅刹)とリン」(Srin-Gling)を語った。これはパドマサンバヴァが逗留した悪魔(羅刹)の島ランカ島の物語だろう。この物語はギャンツェ木刻版にも載っている。(資料集No2 ta章参照)しかしこれは「世界とリン」(Srid-Gling)と混同された結果かもしれない。ミニャク出身の老ラマによると、それは「天神とリン」(lHa-Gling)のあとに置かれるか、各巻の前に置かれたという。それはリンかリンに付随する地域の天地創造や国治めの物語である。このように物語は独立して存在するわけではなく、「誕生」篇と何らかの関係を持っているのである。
「ドゥク(Gru-gu)1」(13a)の写本のなかに、ケサルが悪魔の国々で収めた勝利のリストがあり、それぞれの国の女性が助けてくれたことが述べられている。
1 黄色いホルの復讐
2 ジャンとの戦い(zas-bcud
栄養を取るため)
3 ロ(南方)との戦い 稲の要塞(’bras-rjong)、おそらくシッキムのこと。チベット語でデモンジョン(’Bras-mo-ljongs)。
4 北方の魔ルツェンにたいする勝利
5 ケサルによって善行の達成(?)
6 悪魔(srin-po
羅刹)シャキャンの勝利
7 魔物アグセ(ag-gse’i
khrab-rjong)の武器の城を攻略する
このほかに、リン木刻版に9種の要素が入ったリストがある。(スタン 1956 p21 T 7b)
このリストは差異の要素を表わしている。そのなかのいくつかは、一般的にもよく知られていて、短い断片である。
このほかのリスト(sTag-gzig nor ’gyed タジク財宝分配)は征服した地域である。
1 北方の魔ルツェン
2 (ホルの)グヤン(Gu-yang)のタグシュ王(sTags-zhu)
3 赤(紫)のジャンのサタム王
4 グネ(Gu-ne)と呼ばれるモンのシンティ王
5 偉大なる闘士、タジク王など
これらの修飾語が示すように、リストには四方の国王の名が示されている。(6章参照)
こうした一般的な物語のほかに、「タジク」では(No23、137b)インドでトトゥンが宗教に反した武功について述べられている。
さまざまな写本にはそれぞれ、18の要塞(国)を征服したことが記されている。その特徴は、戦いによって得られた富がリンの国民に平等に配られることである。このリストのどこを見ても、そのことがわかる。英雄が生まれたその年、あるいは生後数日でさえそういうことがおこなわれている。その生涯の異なる時期においてもそうなのだ。現在、その内容を正確に理解することはできない。しかしそのことを把握しておくことは重要である。
「タジク」の写本に記されていることだが、ケサル王はチベットの18の要塞(国)に侵攻している(Bod-kyi rjongs-chen 18 phab-pa)が、現存する大量の異本においても(mi-’dra-ba
du-ma ’dug-pa)また疑わしい巻(「タジク」)においても、財宝の要塞に侵攻する目的は、国を建てることと、富の分配(nor-’gyed)なのである。「カチェ」の題が示すように、カチェを攻略するのは、トルコ石の要塞(gYu-rjong)だからである。北方のジェリ(Bye-ri)あるいはジェル(Bye-ru)を征服するのは、珊瑚の要塞(byur-rjong)だからである。(「ドゥク(Gru-gu)」T 45a)こうして要塞を征服しては、当地の名産である富を広く分配しているのだった。しかしそれらはケサルが王位に就く前のことである。(角、ヤク、金、水晶、大麦など。バコー 30a-b)
「ドゥク(Gru-gu)」(T 251a)の写本の奥付から、「武器宝庫開放の章」(gor-mchon gyi
gter-kha’gyed-pa’i le’u)という題がわかる。またバクー所蔵の写本(100b)の第2部は、「シリン(西寧)の馬の要塞」(Zi-ling rta-rjong)や「悪魔アブセの甲冑の要塞」(A-bse’i khrab-rjong)などに触れている。
また、カリンポンのインフォーマントは「スンパのゾ牛の宝庫(Sum-pa mjo-yi gter-kha)」と「氷山の水晶の要塞」(gangs-ri
shel-rjong)を提供してくれた。
ケサルが統治したチベットの18要塞はたびたび言及された。18という数字は伝統的なものであった。その巻数としてしばしば登場した。
以上のリストを表にすると、以下のようになる。