ゲトゥンとトトゥン(トドン) 

 『漢とリンの戦い』の中では、ゲジョ神の富裕な地域はマ(rMa)とゲ(Ge)の間である。マは周知のように黄河上流およびマチェン・ポムラ山(アニマチェン山)の地域の名称である。ゲはこの地域の外側にあるアニゲト山(Amnye Getho)を連想させる。その位置は黄河をはさんでラジャ・ゴンパの対面である。(*ラジャ・ゴンパは黄河が湾曲した地点にある)アニゲト山の神はジャザ(rGya-bza’)のゴロク部落の守護神である。

 しかしケサル王物語の中では、ジャザ(ギャサ)はセンロン(ケサルの父)の妻であり、ギャツァ(ケサルの同父異母兄弟)の母である。彼女はかえってトトゥン(トドン)と結ばれているようである。

 また、トトゥン(トドン)は、ときにはゲトゥン(Ge-thung, Ger-thung)と称される。詳しくは、『タジク財宝をめぐる戦い』を参照してほしい。アニマチェン山脈の入り口にはゲトゥン山(Gethung, rGyal-thung)という山があるが、アニゲト山からは目と鼻の先の距離なのである。

 『焚香祭文』では、ゲトゥンがム族(dMu)の国王であり、ム神に属すると述べられている。ム族はチベットの原始6部族のひとつである。ケサル王物語のなかでもム族はリン国の主要部族のひとつに数えられる。

 ゲトゥンは神であり、また魔の国王である。しかしケサル王物語中では最重要人物の名前なのである。すなわちケサルの叔父であり、ライバルでもあった。その名はアニマチェン山地区の地名に近く、ケサルとこれらの聖なる山とが密接な関係にあることをうかがわせる。

 ケサル王物語では事実上、トトゥン(トドン)はタムディン(馬頭明王。ハヤグリーヴァ。あるいはタムチョク、すなわち神馬)の化身と信じられている。それはまた「北方の神」(byang-lha)とされる。こういったこととケサル王物語の内容は不可分といえるだろう。

 ここで指摘しておきたいのは、「Khro-thung」という綴りが優勢で、「Ge-thung」は好まれないことだ。トドンはしばしばトギャル(Khro-rgyal)、すなわち憤怒明王と呼ばれる。というのも、馬頭明王は憤怒明王のひとつなのである。

 また、聖なるアニマチェン山の地名にゲトゥン峠やケサルの弟の名が見えるが、南面の険しい斜面がタムチョク・ゴンマ(rTa-mchog gong-ma)と呼ばれていることにも留意したい。

黄河上流域のゲトゥンにケサルの叔父トドンの姿を見出すことができるが、ここでも頭を悩ます問題が発生する。史書『青冊史』において、ドゥスム・キェンパ(Dus-gsum mkhen-pa 1110-1193)の記述中、突然「ムの甥」(mu-dbon)に言及されるのだ。このラマ(ドウスム)は幻覚として現れたモンの王ゲトゥンの前に身を投げ出す。このモンの国王ゲトゥンとムの国王ゲトゥンは同一とみるべきだろう。(国王はまた、山神を指すと考えられる)

 ただし正確を期するならば、アニマチェンのゲトゥンとモン族(一般に南部の民族とヒマラヤの土着民を指す)のゲトゥンが同一であることを言わなければならないのだが。