ホル人、その北から南への移動
トドン(トトゥン)が物語の中で演じる役の背景にはつぎような事情があった。
トドンと関係があるホル人と北方の魔ルツェンとは親縁関係にあった。彼の守護神は北方の神だったのだ。黄河地区に定住したホル人とケサル王物語の遺跡および甘粛のユグル人の遺跡との間にはあきらかな関連性があった。これらの「遺跡」から、現在流布しているケサル王物語の状況から見るに、ホル人や突厥(Gru-gu)人のケサルが存在したと解釈することも可能だろう。このホル人は、テュルク(Turc)系ウイグル人である。ただし、しばらくしてホルという語はモンゴル人を指すようになった。チベット人はこのようなことを意識して、カム5部(principaute)というものを理解していた。これら5部は、フビライ汗の時代とチベット人ラマ、アニェン・ダムパ(A-gnyan Dam-pa)の時代、モンゴル人(ホル人)首領に帰属した。また彼らは土着のダ(dBra)部落の首領と行動をともにしている。
彼らは土司(各部の首領)のために、あらたに「ホル・カン(Hor-khang)」という名称を作った。1676年頃、このホル5部は4部に再編されたようである。彼らの宮城のひとつの名は、トチャン(Khro-chang)だった。1739年、「大ホル人(Hor-chen)の末裔」と呼ばれた彼らはデルゲに帰属した。
ホル人の首領を歴史上のリンと関連づけて考えてみた場合、15世紀の同地区の主要人物が浮かび上がってくる。まずひとりは、ホル人首領トボ・ギャル(Khro-bo-rgyal)である。もうひとりは、トボ・ワンチュグ(Khro-bo
dbang-phyug)である。これらの名や宮城のトチャンから、だれだってトドン(トトゥン
Khro-thung)を思い起こさずにはいられないだろう。トドンはまたトギャルと呼ばれるが、これはトボ・ギャルの略称とおなじな のである。こうしたことから、トドンとタウのホル人、アニマチェン地区との間に密接な関連があることがわかるのだ。
リンは基本的に現在のリン地区とテン(lDan)、タウを含むホル5部をあわせた地域と考えていいだろう。リンは古代においては、たいへん大きな勢力を持っていた。とくに北方に向かってはバエンカラ山脈の南までが勢力圏に入っていた。
「ホル」という名は歴史上さまざまな曲折を経てきた。早くには甘粛のウイグル人を指し、のちには元朝、とくにフビライ汗の時代のモンゴル人を指すようになった。
ケサル王とペハル(Pehar)の対立関係は、ケサル王物語中のホル(あるいはウイグル人)との関係に反映している。彼らの守護神は白梵天神(gNam-the dkar-po)である。白梵天神はペハルであり、モンゴル人の崇拝する天神と考えられるのだ。ペハルはテウラン(the’u-rang)という神または魔である。テウランは一本足(独脚鬼)、または一本足の鍛冶師とされる。
ケサル王物語の中で鍛冶師は重要な役割を持つ。彼らはガルワ(mgar-ba)と呼ばれ、軍隊組織を持っていた。ケサルはホルの国王を制圧すると、彼らを鍛冶師の見習い工にしてしまったのである。ホル人の命は聖なる鉄の一片のようだった。甘粛のテュルク系ウイグル人が全盛期を迎える前からテュルク系突厥人(T’ou-kiue)は鍛冶師として有名だったのである。
はるか昔の祖先の文化のことはそれほどはっきりしていないが、そこから仏教文学が形成され、ケサル王物語も作られてきた。唯一明確なのは、古代において鉄と鍛冶師が重要であり、ホル人がそれを得意としていたことだ。
テウラン神や白梵天神のほか、サテ・ナクポ(Sa-the nag-po)やバルテ・タボ(Bar-the
khra-bo)といったボン教神もまた、ジャン人(’Jang)やロ・モン人(lHo-Mon 南方のシンティ王)と同様、ホル人の間にも見られたの。
ボン教の強大なる勢力も近代の地理の中に確認することができる。トドンはつねにボン教の大魔術師とみなされていた。このことは彼とホル人のあいだにあらたな関係性を見出すことになる。ベリ(Be-ri)はリンの域内にあり、ホル人の居住区と近いところにあると思われる。そこは北方の魔国であり、将軍は魔物のルツェンなのである。ベリはとても有名な場所で、ジェクンド(玉樹)とターチェンルー(康定)の間にあり、ボン教信仰のさかんな地域である。1639年から翌年にかけて、グシュ汗によって破壊されてしまった原因はその信仰のせいだろう。
ケサル王物語の中のホル人はボン教徒である。彼らのグルはボン・ヤム・ラマ(Bon
Ya-mu bla-ma)なのである。このことを示す文は、とくにフランケが伝えるテクストのなかによく見られる。たとえば、ホル人が天神に頼んでいただく羊毛のターバンは、ボン教徒が好んで頭を覆うものである。一方、彼らがリンの人々と共通して崇拝するものがある。アニマチェン山は彼らにとっても神聖なる山であり、守護神なのである。ゲジョもまた両者にとっての神である。仏教徒はそれをベクツェ(Beg-ce)と呼び、ボン教徒はタクラ・メバル(sTag-lha me-’bar)と呼ぶ。タクラ・メバルはトドンやホル人がいつも呼ぶ守護神である。
以上の資料から、われわれはバエンカラ山脈を中心にすえて考えたい。資料の中のさまざまな矛盾点は、民族の移動によって発生したと考えられる。