カニシカ王、アショカ王、そしてアレクサンドロス王 

 月氏、クシャン、ホータン人の間にはさまざまな関係があった。彼らの言語は近縁関係にあり、後期の伝説は軍事的、宗教的にも深いつながりがあったことを示している。

カニシカ王は北方へ出陣中に崩御した可能性があるが、北方といえばチャクラヴァルティン(転輪王)が権力を持っているという伝説があった。この種の伝説はアレクサンドロス王の物語を思い起こさせる。

もしそれがカニシカ王でなかったとするなら、仏教におけるもうひとりのチャクラヴァルティン(転輪王)、すなわちアショカ王のことだろう。

ホータンの伝説によれば、彼はホータン人の先祖である。中国の皇帝は養父であり、ヴァイシュラヴァナ(毘沙門)はホータン人の始祖である。

またアショカ王伝説とカニシカ王伝説、アレクサンドロス伝説がほぼおなじ内容をもつ場合がある。世界の王と戦神のテーマは西から北へ伝播したのである。

 カニシカ王の伝説から見てみよう。月氏の王チャンドラ・カニシカは3つの方角の戦いに勝ち、残るは北方(一説には東方。もっとも実際はパミール方面に出征するのだが)だけとなった。

彼の野望は威厳を知らしめ、「四海を屈服させる」ことだった。しかしその民は度重なる遠征にしだいに嫌気を感じ始めていた。(アレクサンドロス大王の部隊からもインド征服後、同様に脱落者が多数出た)彼らは王のもとから離れたいと思ったのだ。

王は病気になり、民はみな覆いを一枚ずつ献上した。献上するとその上に坐ったため、王は息ができなくなり、窒息死したという。

国王は千の頭をもつ魚となって海の中に転生した。それは刀の刃を持った車輪であり、人の頭を切り落とした。ただし人の頭は切り落とすとまた生えてきた。このように、海は人の頭で満ちているのである。(波のこと? S・レヴィの翻訳をチェックしたい)波だけが某寺院の鐘の音を止めることができた。

この伝説の最後の部分と「マイトラカニヤカ(慈悲の女)」はほぼ同じ内容である。この伝説では、英雄となる人物は海上の商人である。彼ははじめに天女の島にいる。それは宝石で作られた島だった。そこには鉄の城があったが、そのなかで鉄の車輪が人の頭を打ち砕いた。

 カニシカ王の伝説はアレクサンドロス大王と仲間(偽カリステンの料理人アンドレアス、ハディル、アラブのキドゥル)の故事のひとつである。アレクサンドロス大王は3つの方角に向かって軍事遠征し、最後の遠征では生命の源(不死)を探した。この生命の源は北方にあると考えられていた。東方とみなされることもあった。また稀ではあるが、太陽が沈む場所を源と考え、西方とする考え方もあった。

ある人は大王に、無駄足に終わるだろうこの大事業をやめるよう説得した。ところが彼の仲間が生命の源を発見し、不老不死を得ることができた。大王は怒ってこの仲間を処刑しようとしたが、不老不死を得ているのでだれも彼を殺すことができなかった。

結局大王は彼を海底の底に永遠に閉じ込めるという罰を下した。彼はついに悪魔に変じたという。

また不老不死の水を飲んだアレクサンドロス大王の娘は海の精になったという。一方、料理人は最後の審判のトランペットの音を聞きながら、辛苦の不老不死から抜け出すことができた。

 アショカ王の伝説にも当然似たようなテーマが含まれる。われわれはすでに海のナーガから財宝を奪い、四方を征服すると言う類型的な話についてみてきた。(北方はチベット人からチベットとヒマヴァット、すなわち雪山とホータンとみなされてきた)

それはわれわれが見たアレクサンドロス大王の仲間やカニシカ王に関する悲惨な結末のエピソードも含んでいる。前世の残虐な行為のカルマによってアショカ王は怒りの中で死に、海の中のナーガとして転生する。(ターラナータ『インド教法史』)

チベット人はさらに一歩前進した。彼らは転輪王(チャクラヴァルティン)が魚に変身し、彼らの戦神と結びつけて考えるようになった。『中国(ギャナク)教法史』によると、関老爺(関帝。ジョンツェン・ツァンパ、ケサル、ベグツェとおなじ)は戦闘中に遺恨をもって死亡したため、地下の竜神となって転生した。

400年後、智者大師となって解脱した。彼は関帝を護法神とした。作者は良心でもって国王を海の悪魔(鯨のこと)として転生させた。また国王に向かって説法したヤシャスのエピソードを記した。

 このように世界の王の主題とケサルの主題はおなじではないが、よく似た伝説もまた含まれるのである。観察してきたように、主人公たちはみな北方と関係している。とりわけそれはホータンのことである。そこにおいて戦神と財神が習合したのである。

『ホータン教法史』によると、毘沙門(ヴァイシュラヴァナ)とアショカ王および大臣ヤシャスが結合し、中国の皇帝から国の建国者として認められた。

アレクサンドロス大王は、カエサル(カイサルの子、あるいはカイサル)、そしてローマ人(ギリシア人、ビザンチン人)と称された。ローマ人はペルシア語ではルーミ、イラン語でフローマイークである。(そのなかのフロムはチベット語のクロム、中国語のフリンである)

トム(Khrom, Phrom)のケサルはローマのカエサル、すなわち軍の王である。ソグド文献(マニ教文献)にはローマ人が兵卒の意味で使われている例がある。おなじ文献にはカエサル(Kysr)という語が見える。(ケサルのコイン、すなわちkesarakanケーサラカーン)

この伝説中には、守護神ファルンとこのコインのカエサルとの関連が見出される。コインの像の頭と肩の上には光輪が見られるが、それはきらきらと放たれたような光輪である。仏教の世界で肩から光を放つ(それはカニシカ王を示す)のは、クシャン時代のコインにも見られるものだ。

この光こそ毘沙門(ヴァイシュラヴァナ)の特長である。トゥッチはこの毘沙門はインド起源と考えた。中国のトルキスタンやココノール、中国中原で発見されたササン朝のコインは「諸王中の王」と書かれ、像の両肩からはそれぞれ一条の帯、あるいは新月が出ている。それは力と運命の帯なのである。

王冠には二つの羽根と帯が出ている。ササン朝の国王の肩からは、光芒が変じた帯が出ている。これとおなじ特長が毘沙門(ヴァイシュラヴァナ)にも見られるのである。われわれはケサル王物語の語り手の帽子とこれを比較するべきだろう。