ブチェンの石割儀礼

 パ・ドゥブ・チェン(Pha grub chen 父なる大成就者)と呼ばれるタントン・ギャルポ(1361?−1485?)がリウォチェ( Ri bo che チベット自治区北東部)に寺を建てはじめると、魔物が現れた。昼、人々が作業を進めても、夜になると魔物がそれを破壊した。石割儀礼を行うことによって、工事を完了することができた。

チュウォリ(Chu bo ri チベット自治区ゴンガ県)に鉄の橋を架けたときも、魔物のワンギャル(dBan rgyal)は高い波を起こし、建設の邪魔をした。ふたたび石割儀礼を行い、鉄の橋は完成した。

 ラサでは魔物ハラ・タギェ(Hala rta brgyad)と曜魔(ザ・ドゥ gZa’ bdud)ことラーフラ(Rahula)が内臓の病気を起こした。医者は医療を、呪術師は呪術を試みたが、何の効果もなかった。

 山で柴を集めているときに死ぬ者もいれば、食事中に死ぬ者もいた。服を着替えるときに死ぬ者もいれば、なにかを楽しんでいるときに死ぬ者もいた。

 尊者ジェ・リンポチェ・ツォンカパ(rJe rin po che Tsong kha pa, 1357-1419)は憂慮し、こう語った。

「このままではラサに人がいなくなってしまう! この状況を救えるのは、ツン・リウォチェ寺のタントン・ギャルポをおいてだれがいようか。魔物を鎮めるために、どうかいますぐ来てほしい!」

 偉大なる成就者タントン・ギャルポは起こっていることについて熟慮し、こう言った。

「敬愛する師の命令であるなら、行かねばなるまい」。

 人差し指を天に指し、彼は空を飛ぶ白い尾の鷲を呼んだ。タントン・ギャルポは「鉄の遊行僧」(鉄の橋を造る、あるいは鉄をもあやつる遊行僧という意味だろうか)の姿で力強い白い尾の鷲に乗ってラサへ向かった。

 そのころ尊者は七人の門番に命じた。

「明日とても重要な方がお目見えになる。すぐにご案内するように」。

 偉大なる成就者タントン・ギャルポはラサに着いたが、門番たちは認識することができず、しばらくそこに拘留した。尊者は気になり、「私の客はまだ到着していないのか」と門番に問いただした。

「白い尾の鷲に乗ってやってきた遊行僧以外、客はだれもいませんが」。

 尊者はあわや懐の刀で門番を斬るところだった。

 尊者はタントン・ギャルポに言った。「ラサでは多くの人が死んでいます。あなただけが人々を救うことができるのです」。

「その疫病を起こす魔物はどこにいるのでしょうか」。

「それは戸の敷居にいます。胃のかたちをしている石が見えますでしょうか。そのなかにいるのです」。

 タントン・ギャルポは魔物の入った胃のかたちをした茶色い石を、ラサの市場に運んだ。そのときタントン・ギャルポの各指先から炎が噴出していた。ある人が言うには、炎は法を教える観世音(Avaroki teshvara)の形をしていた。ある人が言うには、金剛手(Vajrapani,)の形をし、助手の役割を負っていた。ある人が言うには、美しい声をもつ女神のかたちをしていた。

 石は庭に置かれた。ラサ中の年老いた人々が集まり、口々に言った。

「今日は頭のおかしいマハー・シッダ(大成就者)がおかしなことをやるそうな」。

 杖をついて集まった年配者の面前で、タントン・ギャルポは胃の大きさの石を、別の呪術的な短刀に似た石で割った。

 この悪のはびこる時代、魔物や魔女、悪霊を鎮めるために、より大きな石を用いなければならない。もし一撃で石割に成功したら、それは法乗(dharmakaya ダルマ・カーヤ)を表す。もし二撃なら、報乗(sambhogakaya サムボガ・カーヤ)を表す。三撃なら、幻乗(nirmanakaya ニルマナ・カーヤ)。

 四撃なら、四方の神を表す。五撃なら、五仏(Dhyani Buddha)。六撃なら、存在の六つの状態(六道)のなかの仏陀のあらわれ。七撃なら、七人の仏陀。八撃なら、八人の如来(Sugata)。九撃なら、法の九乗。十撃なら、師の十変化。十一撃なら、十一面観音。十二撃なら、大地の女神の十二変化。十三撃なら、ヴァジュラ・ダーラ(Vajradhara 金剛持)。

 もし十三撃でもっても石が割れない場合、悪い兆しだとして、儀礼は取りやめになる。

 もし石が寺院の敷居の下から見つかった場合、高僧がそれを鎮めなければならない。

 もし城砦も寺院もない地域で石を割ることができない場合、石を三つの幹線道が交わる場所で、百人の鍛冶屋がハンマーをふるって割らなければならない。あるいは百人の少年が大声をあげながら叩くか、八人の青年が粉々に打ち砕く。

 以上が儀礼の由来に関する話である。石を割るのに何回石をぶつけたかによって、神の表れ方が異なるのだ。

 儀礼のはじめ、ラマ・マニパは祭壇を設置し、その上にタントン・ギャルポ像を置く。タントン・ギャルポは白髪を頭頂でまとめ、足を組み、裸で坐る老人の姿で表される。ひざの上に置いた手はツェ・ブム(tshe bum)すなわちアムリタの瓶が持つ。

 タントン・ギャルポ像の背後にはふたつの像が(タンカに)描かれている。ひとつは四手観音、もうひとつはディメ・クンデン(Dri med kun ldan.)の伝記。

 ラマ・マニパのリーダー、ロチェン(lo chen 翻訳官 lo tsa ba chen poの略)はごく普通の寺院の僧衣を着る。頭上には五色のリボンが下がったプーカ(phod ka)という帽子をかぶる。儀礼が始まる前、ロチェンは左手に数珠(テンバ’phren ba)、右手にマニ車(mani ’khor lo)を持ち、祈祷する。

 ロチェンはほら貝を吹いて儀礼の始まりを告げ、つぎのような祈祷歌をうたった。


 グルに敬礼!

 あらせられる尊いお方の足元に跪け。

 永遠のグルの真髄にしたがえ。

 アヴァローキテシュヴァラの真髄にしたがえ。

 慈悲深いお方の真髄にしたがえ。

すべてを知っておられる方の真髄にしたがえ。

郷土を愛する者よ、六文字真言を唱えよ。

 オム・マニ・ペーメ・フン!

 

 近くで手に入れた大きな石をロチェンと助手は祭壇の前に置く。石はときにはとても重く、ひとりでは持ち上げられないほどである。石の表面にラマのひとりが人のかたちを描くが、それはネダク(nad-bdag)、すなわち儀礼中に鎮められる疫病の神である。

 最初の祈祷のあとお香が焚かれ、それから踊りがはじまる。ロチェンは踊りをリードし、シンバルをリズムよく叩く。ふたりの助手も狂ったように踊る。彼らはシンバルを叩きながら倍の速さにアップし、最後には観客の前でくるくると回り、それにつれてスカートもまた空中に弧を描く。

 踊りが終わるとロチェンはマニ車を回しながら、静かで単調な経文を唱える。一瞬の静けさは、チベットの遊牧民がヤクを追うときに使う耳をつんざくような笛の音で中断される。そこへくすんだ白色の羊毛の上着を着、茶色の羊毛の帽子をかぶった羊飼いの男が、歌いながらあらわれる。顔にはザンパ(麦焦がし)がたっぷりと塗られている。道化役なのである。彼は投石器とザンパの入ったバッグを持ち、場内に入ってくると、くるくる回る。投石器をぶるんぶるんとまわしながら、観客をからかう。

 そのときロチェンが国王ノルサン(ノルブ・サンポ)として登場する。ノルサンはタントン・ギャルポとならんで魔を倒す者として人気があるのだ。「国王ノルサン伝」はブチェンに好んで取り上げられる題材であり、絵解き物語のタンカとしても描かれる(写真左)。

 国王ノルサンは羊飼いに質問を浴びせるが、羊飼いはのらりくらりとかわす。じつは羊飼いは屈強の敵手、北方魔王(Byan mi rgod rGyal po)なのだった。

「おまえはだれだ? 何のためにここにやってきたのだ?」

 と攻め立てると、羊飼いは祭壇の前に坐り、ザンパの玉で遊び始める。法王ノルサンは羊飼いに化けた魔王に闘いを挑み、何度も地面に投げ飛ばす。手痛い傷を負った魔王は虫の息で歌をうたう。

 

尊い仏法の顕現は三つあります。

一つは、すべてを知っていらっしゃるお釈迦さま。

二つは、すべてを知っていらっしゃるパンディタ(学識ある高僧)さま。

三つは、黄色い帽子をかぶったお師匠さま。

ああ、なんと尊い仏法の顕現であることか。

 

幸せの歌は三つあります。

一つは、田畑の実り。

二つは、満たされたおばあちゃん。

三つは、嫁の膝の上のおカネと子宝。

ああ、幸せの三つの歌!

 

楽しい歌は三つあります。

ターチェンルー(四川省康定)から来る中国茶。

カムから来るヤク・バター。

タグルン(sTag lun)の二つの寺にこの茶を捧げよう。

捧げられた中国茶を飲む男、

それはギャ地方(rGya)の

ケルサン・ギャンツォ(sKal bzan rGyal mtso)ではありませんか?

 

この皮袋に入っているのは私の毎日の食事。

昼歩くときはそれを背負い、

夜寝るときは、枕になります。


 ほかのブチェン僧らが石に向かってマントラを唱える間、ロチェンは剣の舞の準備にかかる。彼は上半身裸になり、両端に長い針がついた布を肩にかける。針をあごの下に(多くは頬に)時間をかけて刺していくのを観客は固唾を呑んで見守る。ロチェンは二本の剣を手に取り、ゆっくりとした足取りで舞い始める。それから二本の剣の先を腹にあて、体を剣先にのせたままジャンプする。剣の刃は思いのほか鋭いので、かなり危険である。寺の庭で数人のロチェンが同時に行ったときは、緊急の際にそなえてそれぞれに監視係がついたほどだった。剣の舞のあと、つぎの歌がつづく。

 

太陽と月の玉座(それらはわれらの頭頂)にいらっしゃる

おお、すべてをお見通しの、慈悲深い、徳のある師よ。

比類のないやすらぎの家(それはわれらの頭蓋)で

われらは五十のヘールカ(khrag ’thung)に祈りを捧げます。

われらの喉が奏でる心地よい声によって

われらはすばらしい六文字の真言を唱えます。

法輪(それはわれらの胸)によって

守護神、偉大なる慈悲深き者に祈りを捧げます。

ドルジェ・ションヌ(rDorje gshon nu 金剛童子)に祈りを捧げます。

庭で(それはわれらが体)

静寂の神々と憤怒の神々に祈りを捧げます。

われらの背骨を成す二十八の節によって

われらは二十八の神に祈りを捧げます。

訓戒が山ほどあります。

徳のある師がわれらに訓戒を与えます。

「息子よ、弓や槍の腕試しをしなさい」

訓戒が山ほどあります。

われらの父や母が訓戒を与えます。

「息子よ、弓や槍の腕試しをしてはいけない」

われらは両親の命令には従いません。

われらは徳のある師の命令に従います。

私は弓や槍の腕試しをします。

田舎の人たちよ、六文字の真言を唱えなさい。

オム・マニ・ペメ・フーム!

 

 この歌のなかで体の各パーツが聖性のあらわれに対応していることがわかる。

 剣の舞が終わると、ロチェンは僧衣を着て、儀礼の最後の見せ場、魔を祓う石割の段へと移っていく。石の下敷きになるブチェン僧の僧衣を石にかける。ロチェンは鈴を鳴らしながら、剣を僧衣の上で振る。ブチェン僧は石の前に坐り、僧衣を頭からかぶる。その姿勢でじっとして、お香を両手でもち、その煙を吸い込む。ほかのブチェン僧やロチェンはそのあいだも絶えず彼に向かって真言を唱える。青い煙が彼の体を包み込む。真言はしだいに速度を増し、突然止まる。ロチェンは最後の儀礼の準備ができたと宣言する。

 ブチェン僧は仰向けになり、胃の上に布を置く。ふたりのブチェン僧が大きな石を抱えてその上に置く。ロチェンはもうひとつの石を抱え、胃の上に置いた石に勢いよく落とす。一撃めで割れるのがいちばんいいとされる。そのあと仰向けになっていたブチェン僧はなにごともなかったように起き上がる。トレーニングを積み、屈強な肉体をもっているので大丈夫なのである。

 そのあとはロチェンが演奏するピワン(弦楽器)に乗って踊りがつづく。