医学の芸術 

 インドで最初に学んだことのひとつは、医学は芸術ということだった。そのときまで私は命を機械のように見ていた。つまり人間を考える機械のように、病気と健康をメカニックの故障のようにとらえていた。

 アーユルヴェーダは教えてくれた。ヒーラーが関わったときにのみセラピーは治療になると。あなたは一日中絵を描いたり、陶器を作ったり、協奏曲を作曲したりすることができるが、あなたが創造物に命を吹き込まないかぎり、それらは冷たく、息をしないままである。創造物に命を吹き込むことこそが、本物の芸術家とたんなる職人とを分け隔てる境界線なのだ。男であれ女であれ、彼らの芸術と科学とを結婚させられる者がよい医学をなすことができる。

 アーユルヴェーダは(生命の科学、生きている者の知識、または長寿のわざ、といった意味)たんなるセラピーのわざ以上のものである。アーユルヴェーダは調理でもするかのように、すべてのものを生きるに値する命に仕立てる。気立てのやさしいアーユルヴェーダの医者は、よい薬を整えるいいコックのはずだ。ハンドメイドのアーユルヴェーダの療法は、マスター・シェフの手によって普通のスフレが極上のものに変わるように、機械によって作られた薬をはるかに凌駕するのだ。

 もっとも偉大なシェフは準備段階の食べ物の熱量については何も知らない。彼らが知っているのは、人の好みにあった食べ物をどのように作るかだけである。マスター・シェフがキュイジーヌの芸術家であるように、アーユルヴェーダの医者は処方の芸術家といええるだろう。よいアーユルヴェーダの医者は専門家のコックがレシピに関していだくのと同じ感覚をセラピーにいだくだろう。

 自然と調和するこの感覚によってこそ、臨床医の熟練した技術は直感的なヒーリングへと変わることができる。

アーユルヴェーダは非科学というわけではに。それは機械的科学よりも進歩しているのだ。

時のはじめ以来、患者を治療できた医者はいない。これからもいないだろう。自然だけが治療することができるのだ。

自然は奇跡を起こすことができる。医者に必要なのは、患者に、どうやって自然が起こす驚くべき奇跡のなかに入っていくかを教えることだ。

 医者は、未来の健康の可能性を直感するために、また治癒の戦略を確立するために、患者の過去の病気や現在の状況を学び、それを活用しなければならない。本当の医者は自然がその魔術を発揮できるようにチャンネルとして自身を提供するものである。アーユルヴェーダが、すべての医者は変わることなく、診断を下している最中でも、あらゆる患者を治療するために、最大限のエネルギーを費やす義務があると教えるのはそのためである。

 治療が必要とされたものであるとき、継続的な注意喚起にもかかわらず、治療のしすぎになってしまわないようにとアーユルヴェーダは強調する。アーユルヴェーダは感染しやすさを減らし、新しい病気に対する免疫力を高めながら、生きている組織のバランスをとり、若返りをはかる。

 アーユルヴェーダは、医学システムという以上に、生命のありかたである。すなわち自然といかに共存していくか、また自然といかに調和していくかについて学ぶ生命のありかたである。アーユルヴェーダの健康とは調和(ハーモニー)という意味である。そして誠実に調和を求める者なら到達できるバランスの取れた状態に制限はない。

 ある人々は、アーユルヴェーダは効果が現れるのに時間がかかりすぎると不平を言う。しかしこの緩慢さも治療の一環といえる。とりわけわれわれの多くが性急さのゆえ病気になっている今日においては。

 人間の生理学は記録された歴史において、それほど変わってこなかった。われわれのテクノロジーはたしかに進歩した。しかしわれわれの身体と精神は、先祖のそれとほとんど変わらないのだ。先祖はわれわれとおなじ病気を患い、おなじものを称賛し、おなじものを見下した。

 違いがあるとすれば、アーユルヴェーダが発達していない古代において、人々はわれわれのように、環境を十分にコントロールすることができなかったことだ。彼らは自然と協調関係を築くしかなかった。いわば自然頼りだった。上等な器具もなく、彼らは直感的な診断能力を開発するしかなかった。自然ときわめて近いところで生活しながら、自然の言葉にしっかり耳を傾ければ、植物、動物、鉱物の医学的効果がどれだけあるか、自然自身が語ってくれることを彼らは知った。これら初期の研究者たちは彼ら自身を実験台とし、それぞれの世代が観察したものをつぎの世代に受け渡した。こうして医学に関する伝承はのちにまとめられてアーユルヴェーダとなったが、のちにといっても、はるか昔のことである。

 古代アーユルヴェーダは彼らの心をコンピューターとして使った。つまり記憶力を発展させ、おびただしい数の医学データの貯蔵庫となったのである。彼らは洗練された直感能力を使い、学んだことをセラピーに適用した。彼らはアーユルヴェーダをヒーリングの芸術にまで高めた。そしていかなる場の医学でもそうであるように、永遠の生命の達成をゴールとした。