スヴォボーダのプラクリティ論 

1 ドーシャと味覚 

 自然のなかで生きている限り、我々と他者との間には「境目」がある。我々と空間の境目に皮膚があり、自身を自分と呼ぶために消化器官がある。あなたの肌の外側からあなたの環境ははじまっている。あなたは私の環境の一部であり、私はあなたの環境の一部である。自然はすべての個人と彼らの環境の総体である。

 あなたの消化器官の内側にあるのは、もともとはあなたの環境の一部であった物質である。あなたという個体とは別の存在であったものが、代謝の期間のあと、あなたの一部となる。いわば消化の試験のようなものである。この試験に通るまで、それはあなたにとってよそ者にすぎない。あなたの胃腸器官が傷ついたら、この物質はあなたの身体の腔(あな)に逃げるだろう。あなたの身体はそれをよそ者としてとらえ、反応する。すなわちそれが進むのを許すなら、即座にあなたに死がもたらされる。

 ひどいやけどを負ったときのように、あなたの外側の皮膚がうまく機能しなくなったとき、よそ者の襲撃者が外部からあなたのシステムに入ってくる。これもまたあなたに死をもたらすかもしれない。我々は日々の継続的な存在を、二つの境目、すなわち身体の外側の皮膚と消化管の内側の皮膚に負うところが大きい。

 病気は寄生の意図を持った存在である。一部の病気は集合的な体を持つ。たとえば虫(蠕虫)、バクテリア、ウイルスなど。それは集合的意識とおなじしるしを持っている。それは社会性を持つ昆虫、たとえば蟻、白蟻など。自身の体を持たない他の病気は、個的な存在の衝動を表現するために、有機体を手に入れる。ほかの実体、たとえば癌は身体の中につくられる。侵入者がだれであろうとも、よそ者が有機体から追い出されると、宿主の生来の人格が通常に戻る。

 よそ者は健康な身体には歓迎されない。アンバランスなシステムは食べ物の不適切な消化を促すためによそ者を招き入れる。よくない消化は、サンスクリット語でアマと呼ばれるさまざまな物質上の、あるいはメンタル上の毒素を生み出す。アマは、有機体のなかで寄生者が繁栄するよう、それらの食べ物として活動する。消化不良は食事が十分でなかったり、生活に問題があったりすると、進んでしまう。この種の慎重で意図的な、不健康な行為に耽溺することは、サンスクリット語でプラジュニャーパーラーダー、すなわち智慧にたいする犯罪行為と呼ばれる。

 消化不良によって栄養が繊維に届かず、宿主の免疫防衛力が弱まる。人のオーラは寄生する者に対する最初の防御線である。皮膚と消化管が二番目の防衛線となる。三番目の防衛線、免疫システムは二つの防衛線をどうにか抜けてきた寄生者の行く手をはばみ、破壊する。皮膚と消化管の両者と連絡を取り合う免疫システムは闖入者に対する「第六感」を持った感覚器官である。免疫システムは、T細胞やB細胞、抗体、リンフォカインなどを含む複雑な網であり、ただひとつのボス、アハムカラによって統御される魅力的な複合体のシステムである。

 アハムカラは絶え間なくそれ自身を、身体の中の何兆個もの細胞のひとつであることを認識している。あなたのアハムカラはつねにあなたの細胞のひとつひとつに、偉大で栄えあるあなたという総体の下部組織であるアイデンティティを持っていることを思い起こさせる。アハムカラは、自分の支配に忠誠を誓う細胞だけに、身体の中で生き残れることを保証する。すべてのよそ者は射止められ、容赦なく殺される。すべての反乱、すなわち突然変異体、癌細胞は支配に抗おうとするかもしれないほかの細胞への警告の意味を込めて無慈悲に処刑される。

 アハムカラが守備隊の隊長であるかぎり、あなたはあなたの城の中で無事に生きていられる。彼女(アハムカラ)が傷ついたとき、よそ者はあなたの防衛システムに弱点を見つけ、そこから入ってあなたに襲いかかるだろう。あなたの細胞を働かせていた彼女は、細胞を抑制することができなくなり、すべての収容者が自由を与えられることになり、その結果あなたは死ぬことになるだろう。彼女はあなたの妻であり、愛人であり、友人であり、ガイドであり、アドバイザーであり、召使いでもある。彼女はあなたのすべてである。つまるところ彼女はあなたの母である。

 アハムカラは女性である。なぜなら聖なる母の女神である自然の断片だからだ。彼女はあなたの妻である。なぜなら彼女はつねにあなたとともにあり、身体と心、あるいは魂、それはすなわちあなたなのだが、結婚によって結ばれている。彼女はあなたの恋人である。というのも彼女の愛の力だけがあなたの細胞すべてを束ね、ひとつになったものとして提携する役割を担うのである。彼女はあなたの友人である。なぜなら彼女はつねにそこにいて、あなたに同情的だからだ。彼女はあなたの個人的な関心事に対し、あなたをガイドし、アドバイスを与えてくれる。召使いとして彼女はあなたが走っていられるよう疲れることなくかいがいしくあなたに尽くすだろう。

(つづく)