なぜか逃亡生活
午後4時頃、すべてが終了。私は相当がっくりしていたが、精一杯笑みを浮かべ、捜査陣を送り出した。去るときに警官らは「今度は観光で来てください」と励ましのことばを残していった。大団円。
それからすぐ私はタクシーを拾い、駅へ向かった。翌朝の列車のチケットを買うためである。チケット売り場には電光掲示板があり、おびただしい数の便の席の有無が、ひとつずつ表示された。始発でないので、割り当てられた座席、寝台のベッドがもともと少なく、翌日の分もほとんど満席だった。しかし20分ほどずっと見ていると、なんと当日の8時45分発成都行きの寝台がふたつ空いているではないか。あわてて窓口に走り寄り、チケットを買う。
私はタクシーを拾い、急いでホテルにもどる。そして片付けをしているときに、ビデオ・カセットを発見する。シャーマン儀礼の映ったカセットである。警察は押収しそこねていたのだ。地獄に仏、などと喜んでいる場合じゃない。そもそも人に見せる意図のないビデオ、警察に差し出すいわれがあるだろうか。ない。しかし警察はいま時分そのことに気づき、ふたたびやってくるだろう。逃げろ。逃げるしかない。
緊張のあまりまた腹を下し、トイレに入る。と、室内の電話のベルが鳴った。
プルルル、プルルル、プルルル……。
電話の主は警察にちがいない。署に戻ってチェックしていなかった押収テープを見る。肝心の場面が映っていない。「あの野郎……」穀田似の歯ぎしりする顔が浮かんでくるようだ。
あたふたとチェックアウトする。フロントにいたのは気のいいお兄ちゃん風の服務員。
「あれ、こんな時間にチェックアウトですか」
「ええ、列車の切符が取れたので」
出入り口に立っていた警備員が何か言いたそうな顔に見えたが、外に出る。遠くの人みなが警官に見える。タクシーを呼び止める。今日のタクシーの運転手はなぜかみな若い女性だ。彼女はラジオのDJがちょうど走っている通りのことをしゃべっているので、はしゃいでいる。
駅に着いたのは6時半。バックパックがばかでかいので荷物預かりに預けようとしたが、係りのおばさんが「鍵がかからないとねえ……」と渋るので、荷物を背負って待合室に入った。列車の発車まで2時間。
柱の陰に坐る。ときおり顔をあげて壁の時計を見ると、さっき見たときから1分しかたっていない。緊張のあまり頻尿症になる。5分ごとに待合室内の公共トイレに行く。戻ってくるときにはかならず見回して、警官が来ていないかどうかたしかめた。
8時半。待合室の人々が立ち上がり、ぞろぞろと改札のほうへ歩いていく。なんとか列車に乗れそうだ。長い列のなかほどに私は並んだ。しかしなかなか改札はあかない。ここで捕まったら、なんというタイミングよ、と私は自嘲した。
15分後、やっと改札があく。が、隣の列はどんどん中に入っていくのに、こちらの列は切符を切る速度が遅い。イライラしながらもノロノロと前に進んでようやくプラットフォームに出る。
その瞬間、頭の中に映画「ミッドナイトエクスプレス」のテーマソングが流れてきた。昔好きで何度も見た映画である。見せしめのため地獄のようなトルコの刑務所に長年入れられていた主人公が、最後に抜け出すことができたそのときに流れた音楽だ。
しかしプラットフォームは極度に暗く、またしても人がみな警官に見えた。実際警官もいたし、ほかの制服を着た人たちも何人かいたが、もちろん捜査を担当した警官ではなかった。
成都まで43時間。日本では想像できない列車の長旅である。しかしやはり列車にはかならず警官が乗っていて、見回りをする。警官が近づいてくるたび、「おまえが指名手配の日本人か」と言ってくるように思われ、どきどきした。
結局四川省の成都と雲南の昆明にあわせて二週間も滞在することになった。空港から出国しようとすると、拘束されかねないと思ったからだ。こちらはなんの落ち度もないし、悪いことはなにもしていないが、警察が地獄の底まで追おうと考えれば、できないこともないだろう。カセット・テープが見つかったらとにかくまずいので、だれか適当な人をみつけて預けるべきなのだが、なかなか探し当てることができない。
昆明で運命的な出会いがあり、私はその人にカセットを託すことができた。国境で拘束されることはまずないだろう、と私はだんだん考えるようになっていた。どうみたってたいしたことないこんな事件にいつまでも警察が関わることもないだろう。
それでもより安全と思われる陸路を私は選んだ。昆明で夜行バスに乗り、翌朝ラオスの国教に着く。からっと晴れた天気のいい日、人々もこころなしかのんびりとして、世の中は善人ばかりのように思えた。パスポート・コントロールで私ひとり心臓をバクバクさせていた。
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