ターラー・タントラ 

ターラナータ著 ロバート・テンプル 宮本神酒男編訳 

                              参照:21のターラー

 

オーム・スワー・ティ! 

ナモ・グル! *ナモ=南無阿弥陀仏の南無。「師匠に敬礼」の意 

ターラー・タントラの起源を明確に示す黄金の数珠よ 

ラマに敬意を表します 

そのはじまりから執着がないすべてのもの(spros bral)に敬意を表します *サンスクリットでニシュプラパンチャヤ 

あまねく存在するもの、とりわけあわれみ深いかた(thugs rje chen po サンスクリットでマハーカルナー。大悲、すなわち観音)に敬意を表します 

すべての解放されたものに敬意を表します 

勝利し者の母、汝、ターラーに敬意を表します 

 

さまざまな歴史の物語がありますが 

これからそのひとつであるターラーの物語をお話しいたしましょう 


 

 昔、まだ何も生まれてない頃、勝利なる者、タターガタ(Tathagata 如来。チベット語でDe bzhin gshegs pa)ドゥンドゥビシュワラ(rnga sgra アモーガシッディ、すなわち不空成就如来のこと)が現れ、諸世界の光として知られるようになった。王妃イェシェ・ダワ(月の知恵 ye shes zla ba)はその教えに対し最大級の敬意を払い、1000万と10万年(lo bye ba brgya stong)の間、覚者(sangs rgyas)である従者のシュラーヴァカ(nyan thos 声聞)、そしてボーディサットヴァ(byang chub sems dpa’ 菩薩)の比丘(dge ’dun)に供え物を捧げてきた。

 毎日彼女が準備した供え物は十方向に12ヨジャーナ(dpag tshad)の辺の長さ(の箱)をみっちりと満たす宝物に比しうるほどだった。最後に彼女は菩提心にめざめる(byang chub tu sems bskyed)ことができた。

 このとき僧侶たち(dge slong)は言った。

「あなたの前世の行いの徳によって、女性としてこの世に生を受けました。もし教えにしたがって祈れば、それにふさわしい男性に変じることができましょう」

 たっぷりと話し合ったあと、彼女はこたえた。

「この生において男と女の違いはありません。自己認識も、人も、そのような概念もありません。ですから男性や女性に執着するのは益のないことです。弱い心を持った俗物は、つねにこのことに惑わされるのです」

 そして彼女は誓いを立てた。

「男の姿で悟りを開きたいと考える人はたくさんいます。一方、女の姿で生きる者の幸福のために働くことを願う人はほとんどいません。それゆえサムサーラ(輪廻)がなくなるまで女として生きる者の幸福のために身を捧げたいのです」

 そうして彼女は宮殿で、1000万と10万年の間、心を五感の愉悦にひたしながら、瞑想の状態で過ごした。この結果、ダルマ(法)が生まれたものでないこと(無生 mi skye ba サンスクリットでAnutpada)、生きる者すべてを守るものとして知られる瞑想を、毎朝世俗的な心の縛りから、1000万と10万人の生きる者を解放することによって、まっとうしたことを悟ることができたのである。それらすべてが堅固な仕方で導かれないかぎり、彼女は心の糧を得ることができなかった。またおなじ考え方によって彼女は毎晩生きる者をおなじ道に導いた。こうしてもとの名前は変わり、救世主(sGrol ma ターラー)として知られるようになった。

 そしてタターガタ(如来)ドゥンドゥビシュワラは予言を述べた。

「そうして最高のボーディ(菩提)をあきらかにしつづけるかぎり、女神ターラーとして知られることになるだろう」

 「広大無辺」として知られるヴィブッダ(Vibuddha)のカルパ(劫)において、十方向の深淵なる広大さのなかで、すべての生きるものを害悪から守り、保つために、タターガタ・アモーガシッディ(不空成就如来)に誓いを立てた。「すべての魔物の完全なる制圧」として知られる瞑想の平静のなかに毎日座して、95カルパの間、深い瞑想において、10億と100億の心を確立した。カーマデーヴァの領域の女主人として、夜ごとにその能力によって、千万と十万の悪魔を征服した。このようにして彼女は「救世主」「頼みの綱」「迅速なる者」「女傑」などと称されるようになった。

 「無阻(はばむもの一切なし)」として知られるカルパにおいて、「輝かしい純粋な光」として知られる僧侶は、十方向のすべてのタターガタ(如来)によって、大いなる慈愛の光線のより高いイニシエーションが与えられ、彼は高貴なるアヴァローキテーシュヴァラ(観音)となる。

 その時において、五種族のタターガタ(五仏)とすべてのブッダとすべてのボーディサットヴァはおおいなる光線のイニシエーションを与える。彼はそれによって聖なる智慧の究極的な本質の洞察を得ることになる。前の、そして後の光線の父母の結合によって、女神ターラーはアヴァローキテーシュヴァラの心臓から生まれる。そして彼女の誕生のあと、すべてのブッダの満足した考えでもって、彼女は生きるものすべてを8つと16の恐怖から守る。

 「広大なる善」として知られるカルパ(劫)において、ターラーは確固たる奨励として知られる段階の教えを与えたとされる。

 アサンカ(Asangka)と呼ばれるカルパ(劫)において十方向のすべてのタターガタが彼女を聖化したとき、彼女はすべてのブッダを産む母となった。すべてははじまりのない昔に起こった。

 まさにこのカルパにおいて、ポタラ山(補陀落山)に数えきれないほどのブッダ、ボーディサットヴァ(菩薩)、神々、ナーガ、ヤクシャ(夜叉)その他が集まった。そしてその限りない中央(世界軸)でアーリヤ・アヴァローキテ―シュヴァラはターラーのタントラ経典とマントラ(真言)を千万回吟唱した。

 サティヤユガのなかで、六つの種類の生きもののためにおなじことが(上述のやり方で)される。

 トレーターユガのなかで、タントラが消えたとき、60万のことばが湧き起こった。

 ドヴァ―パラユガのなかで、これらもまた消えたとき、1万2千のことばが沸き起こった。

 そしてカーリユーガにおいて、千のターラーのことばがひとつの呼び出しによって現れた。そのときにわがグルはおっしゃった。「サティヤユガにおいて、またほかのカルパにおいて、ターラー・タントラの経典はまったくなかった。しかしながら神々やヴィディヤーダラの国々にそれらは存在する。すべての生きるものの幸福のために存在するのである」と。

 しかしながらそのときマントラの道の弟子だったということに矛盾はないと思われたので、そのときに経典が存在することも十分にありえた。われわれは極論にこだわりすぎるべきではない。これらのタントラ経典はまさにわれわれの教師(ブッダ・シャーキャムニ)によって教えられた。それらはポタラ山(補陀落山)の頂上でシャーキャ族の獅子によって最初に発せられた『ダーキニーの秘密の本質』と題された説明的なタントラ経典の中に説かれているのである。

(つづく)