パドマサンバヴァのチベット滞在は数か月にすぎず…… 

トゥカン・ロサン・チューキ・ニマ(Thu’u bkvan blo bzang chos kyi nyi ma) 

                         宮本神酒男訳・解説 


 一部の人々(
'ga’ zhig)はこう言う。

「パドマサンバヴァ(sLob dpon chen po)はチベットにわずか数か月(zla ba kha shas)滞在したにすぎない。すなわちチベットにおいて神鬼(lha srinを調伏し、サムイェー寺(bSam yas)を創立(rab gnas)したが、仏法を広めたというほどではなかった。パドマサンバヴァが去ったあと、ひとりの外道(mu steg pa)が現れた。彼は鷲の羽根(rgod sgro)を挿してパドマサンバヴァのふりをした(rdzu ba)のである。最近の人々は彼をオギェン・サホルマ(O rgyan za hor ma)と呼んでいる。彼はチベットにやってきてニンマ派の法を広めたという」

 しかしこれは誹謗(chags sdang)の類だろう。ニンマ派の法を広めたのはグル・チューワン(Gu ru Chos dbang)である。いわゆるオギェン・サホルマ像というのは、グル・チューワンというテルトン(gter ston 埋蔵宝典発掘師)の姿にほかならなかった。これだけ時間が離れているふたりを混同するのはばかげている。

 

*トゥカン・ラマ(1737− ?)はアムド地方(青海省互助土族自治県)の佑寧寺(ルンゴン寺)の有名な活仏であり、宗教史家。1801年頃、トゥカン・ラマによってまとめられたこの『教派史水晶鏡』(grub mtha’ shel gyi me long)は、チベットの代表的な宗教史のひとつである。

 トゥカン・ラマはゲルク派の活仏であり、ニンマ派の主張をそのまま認めることはできなかった。第二のブッダとして民衆の人気は高く、とくにニンマ派から崇拝されるパドマサンバヴァに関し、異説があることを「一部の人々」の言として示したかったのだろう。実際、パドマサンバヴァの実在性を探れば探るほど、ぼやけて姿が見えなくなってしまうのである。

 しかし実在したイエスよりも、その後形成されたイエスの姿やキリスト教の教義、哲学のほうが重要であるように、実在したパドマサンバヴァよりも、その後作られていくゾクチェン哲学やその他のニンマ派の教義のほうがはるかに重要なのである。ニンマ派の教義が形成されるにおいて、グル・チューワン(12131270)をはじめとする多くのテルトンが発見したテルマ(埋蔵宝典)が決定的な役割を果たした。

 なおオギェン(ウッディヤーナ)は、諸説あるが、現在のパキスタンのスワート渓谷(現在も別名ウッディヤーナ)を指すものと思われる。ここはガンダーラの周縁にあたり、いまも仏教遺跡が数多く残っている。ただし残念なことに、有名な磨崖仏は数年前、私が滞在しているときにタリバン勢力(厳密にはアフガニスタンのタリバンとは異なるが、おなじパシュトゥン人主体のイスラム原理主義組織)によって破壊されてしまった。あのノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんの出身地である。

*神鬼(lha srin)というのはわかりにくいが、たとえば「神鬼八部」(lha srin sde brgyad)として、閻魔(gShin eje)、鬼(Ma mo)、羅刹(Srin po)、夜叉(gNod sbyin)、人非人(mi’am ci)、地神(Sa bdag)、ツェン神(btsan)、魔(bDud)が挙げられる。ラ(lha)は神と訳されるが、一神教の神とはかけはなれていて、むしろ魔物に近い低級神であることが多い。ただし多くは調伏されると、仏法を守護する守護神に転じる。