猿が変じて人となる 

 むかしむかし、チベット高原はどこも真っ暗でした。太陽も月もなく、森も花も草も、鳥も獣もなく、人はもちろんいませんでした。のちに天神は火を用いて太陽をつくりました。また水を用いて月をつくりました。昼間、太陽が照り輝き、夜は月が空を明るくしました。この高原に光と温もりがやってきたので、森や花や草、鳥や獣が生まれました。しかし依然として人の姿はありませんでした。

 それから長い年月がたちました。ヤルツァンポ川とヤーロン川が合流する地点の近くにシャタン・ゴンポ山があり、そこにチャンチュブ・センパという名の百歳になる猿がいました。この猿は、付近の野生の果物や木の葉を食べながら、石の洞窟のなかで昼も夜も修行をしていました。

 ある日、突然静かな日々の修行がかき乱されました。というのも、それほど遠くない山の上に、いつのころからか、ダムダソンという名の岩女がやってきて、猿のほうに向かって求愛行為をするようになったからです。猿は長年修行をおこなって積み上げた功徳を捨てるわけにはいかないので、彼女の求愛をきっぱりと拒否しました。岩女はそれでも負けずに猿の気を引こうとしたのですが、なかなかうまくいきません。

 猿が冷淡で、彼女の色気にも心を動かされないので、岩女は絶望的になり、やさしさに悲壮さをこめて語りかけました。

「あんたがもしずっとこんな感じで薄情なら、もうあんたといっしょになろうなんて思いません。死ぬだけです」

「どうしてそこまで思いつめるのですか」

「だって、もしあんたと結婚できないなら、あたしは妖魔と結婚させられてしまうの。そうしたらたくさん妖魔のこどもが生まれ、さらにたくさんの妖魔の孫ができるでしょう。そのときには、雪の国チベットは、妖魔だらけになっていることでしょう。そんなふうになるなんて考えたくもありません。それならいっそいま死んでしまったほうがましでしょう」

 猿は彼女の話に心を打子化されましたが、だからといって戒律を破るわけにはいきません。岩女は言いました。

「あんたの気持ちもわかります。これ以上要求するのは、やめにします。あたしはただ三つのことを考えているのです。ひとつは、あんたと夫婦の契りをむすぶこと。ふたつは、いっしょにやぎを殺して食べること。みっつは、赤い果実の酒をつくって、ふたりで飲むこと。それだけです」

 夫婦(めおと)になること、殺生、飲酒、どれをとっても破戒です。このなかでは、飲酒が比較的積みが軽そうです。

 そう思った猿はついつい酒を飲んでしまいました。酒を飲んだら肉が食べたくなり、肉を食べたら契りをむすびたくなってしまったのです。

 現在も、チベット人は結婚するためには飲酒が欠かせないと考え、飲酒すなわち結婚とみなします。ですから結婚のことをチャンサ(飲酒する場所)と呼ぶのです。この伝統はこのときにはじまったのです。

 猿と岩女が結婚すると、6匹の子猿が生まれました。見た目も性格もそれぞれちがいがありました。ある者は愚鈍で醜悪で、ある者は聡明で怜悧でした。ある者は粗暴で荒々しく、ある者は温和で善良でした。

 あるとき猿は子猿たちを水とくだものが豊富な地方へ行かせました。山の麓の平地に川が流れ、樹木がはえた地方があり、そこで6匹の子供たちを遊ばせたのです。そこは現在の山南地区のゼタンというところです。ゼタンとは遊ぶ平地という意味なのです。

 それから何年かたち、猿と岩女は子供たちと会いたいと思い、山を下りました。まさか自分たちの子供が互いに結婚し、その子からまた子や孫ができているとは思いもよりませんでした。一匹の子から500匹以上の家族ができていて、それはもう大所帯だったのです。しかし森の果実は食べつくされ、ほかに食べるものがなかったので、みな頬はこけ、顔色もわるくなっていました。痛みと苦しみのせいで子孫の猿たちは、猿と崖女をとりかこんで叫びました。

「腹減った! 腹減った!」

 その様子はあまりに悲惨でした。猿にはどうしようもなかったので、ただひたすら天神に祈りました。天神は須弥山の宝庫から5つの種を出して猿にわたしました。

 猿は子猿や孫猿をつれてシャタン・ゴンポ山の川岸の砂地に行き、種をまきました。そうするとそこから大麦、小麦、ソラマメ、そばなどの5種の穀物が育ちました。この地はいまも、ツェタン郊外のヤルザンポ川の川岸に残っています。

 猿たちは十分な穀物を得ることができるようになり、彼らの生活もよくなりました。その地方に定住し、土地を耕し、種を植え、収穫するようになると、身体に生えた毛はだんだんとなくなり、しっぽも短くなって消えてしまいました。彼らはこうしてチベット人になっていったのです。