初代国王、ニャティ・ツェンポ 

 山南のヤルルン谷地方にヤラシャンポ山という神山があり、ツェンタンゴシという盆地があり、ヤムブラカンという古い城塞がありました。これらはチベットでは知らない者がいない三大名跡といわれています。この3つがこれほどの名声を得たのはなぜでしょうか。じつはそれらは吐蕃(ヤルルン朝チベット)の初代ツェンポ(国王)ニャティ・ツェンポと密接な関係があるのです。

 古い言い伝えによりますと、きよらかで美しいチベット高原には早くから人類が住み、繁栄していました。マサン9兄弟の時代があり、それから25小国の時代や12小国の時代、つづいて40余りの小国の時代がありました。そのあと、山南のヤルルン地方に初代ツェンポ、ニャティ・ツェンポが出現したのです。

 ニャティ・ツェンポがどこから来たかについては、さまざまな伝説がありますが、つぎの3つがよく知られています。

 ひとつは、ボン教史に載っている伝承です。ずっと昔、十三層の天に天界を管理する父王六君がいました。その子供である3兄と3弟とともに、ティドンツをあわせると、七兄弟でした。

 ティドンツと父王六君および3兄3弟は仲が悪く、天界に居場所がなくなったため、天の縄を伝って神山の頂に降り、さらにそこから天の階段を下りてヤルルン谷のツェンタンゴシに至りました。当地の人々はこの天上から人物を見て平伏し、彼らの主となってくれるよう懇願しました。そしてニャティ・ツェンポという名を贈ったのです。

 ひとつは、チベット仏教の伝説です。それによるとニャティ・ツェンポはインドのある国の国王の子孫というのです。インドの衆敬王の子孫のなかにマギャルパという人がいました。彼に子供ができたのですが、その子の目は皮で覆われ、眉毛は白く、歯は法螺貝のようで、手のひらには水かきがありました。見た目がおそろしいほど美しかったので、彼はその子が神か悪魔の子にちがいないと考え、川に流してしまいました。

 チベットに逃れてきた彼はヤラシャンポ山が勇壮で美しく、ヤルルン谷がきよらかですごしやすいのを見て、心から感服しました。ツェンタンゴシに至ると、そこで学識のある12人のボン教徒と会いました。ボン教徒たちは彼にたずねました。

「あなたはどこから来たんだい?」

 彼は言葉がわからなかったので、答えることができず、ただ天を指さしたのです。ボン教徒たちは彼を天神の子とみなし、肩の上に担いで彼らの地まで運び、彼らの王としたのです。それ以来、彼はニャティ・ツェンポと呼ばれるようになりました。それは「肩の上に坐る国王」という意味でした。

 ひとつは、チベットの民間に伝わる伝説です。ずっと昔、ポミ地方(sPo mes)にギャモツェという名の女性がいました。彼女は9人の子を生みました。9人目の子はウビルという名でした。

 ウビルはとてもきれいで、指のあいだに水かきがあり、不思議な神通力をもっていました。人々は彼を悪魔の化身ではないかと考え、ポミ地方から追い出したのです。ウビルはあちこちさまよい歩き、最後に山南のヤルルン谷にたどりつきました。そこで自分たちの首領となる人物を探していたヤルルン部落の人と出会ったのです。彼はウビルを見ると、その特別な容貌に目を奪われました。

「あなたはだれですか? どこから来られたのですか」

 それにたいし、ウビルは答えました。

「私は物事をまとめるべき者です。そのためにポミからチベットに来ました」

 首領を探していた人はたいへん喜びました。

「それはよかった! あなたはチベットの首領となるべくここに来られたのだ!」

 彼はウビルを肩に担いで自分の部落にもどりました。それでウビルはニャティ・ツェンポと呼ばれるようになったのです。

 ニャティ・ツェンポはヤムブラカンの城塞を建て、そこに自ら住みました。それ以来、人々は「最初の王はニャティ・ツェンポ、最初の城はヤムブラカン」と口にするようになりました。ニャティの子はムティ、ムティの子はディンティ、ディンティの子はソティ、ソティの子はメティ、メティの子はダティ、ダティの子はシティでした。

 この7人のツェンポはみな幼いときに王位を継ぎました。彼らが馬に乗れる年頃になると、その父親が天上から縄をたらし、彼らは縄をつたって天上にあがっていきました。そのときお姿は虹のようで、最後には天空の青色のなかに消えていきました。

 彼らは天神7王と呼ばれていますが、それはみな天上に帰って行ったからです。チベットには古い言い回しがあります。

「墓は天空の青色のなかにあり。神の身に形はなく、虹のごとく消えるなり」