公主、チベットへ向けて出発する
ツェテン・ルンポは、皇帝がアチェ・ギャサをチベットへ嫁がせると発表したとき、阻止しようという目論見が失敗したことを思い知らされました。ただしそれはひとつの策略がだめだったにすぎません。
ツェテン・ルンポは機会をみつけて皇帝に進言しました。
「ガル・トンツェンは非常に聡明な男です。ですから陛下のそばに置くのがよかろうかと。ガルワは皇帝の仕事を手伝うことができます。彼にチベットのことを聞くことも可能でしょう」
皇帝はこの進言を聞いて、その考え方をもっともなことだと思いました。皇帝は専門の部署をもうけ、ガル・トンツェンのために豪華な部屋をつくらせたのです。また彼に美しい女性を妻としてあてがいました。彼が安心して長安に住めるようとりはからったのです。
ガル・トンツェンにとって、とどめおかれることは、喜ばしいことではありませんでした。アチェ・ギャサが旅の途上であうかもしれない困難や、助けてくれる人がだれもいないのではないかということを考えると、心配でならなかったのです。チベットの山や川を思い浮かべ、彼はついに皇帝に謁見し、長安を離れ、チベットへ向かう許可を求めました。
アチェ・ギャサは皇帝や大臣らに説得され、また国民の願いをかなえるため、チベットへ行くことに心が傾きつつありました。皇帝にたいしこう述べました。
「あなたのこどもはチベットへ行こうとしています。しかしチベットを唐とおなじようなさかえた国にするのは容易なことではありません。何人かの人と物がどうしても必要なのです」
皇帝ははっきりとした口調でこたえました。
「わが子の願いとなれば、聞くしかないな。言うてみよ。父になにをしてほしいかを」
このとき大臣らは言いました。
「公主さまはなにをお望みなのか、おっしゃってください。そのためにわれらは最大限、尽力するつもりです」
アチェ・ギャサは目録を読み上げました。五穀の種、野菜の種、耕牛や農具、各種の匠、医師、占い師……。それに黄金でできた釈迦牟尼像と経典。さらには500人の童男と500人の童女。これらの要望にたいし、皇帝はこたえることにしました。
アチェ・ギャサは縁起のいい日を選んで、皇帝や皇后、大臣や家来、長安郊外までつづく群衆の列に見送られて、チベットへ向かって出発したのです。見送りの群衆のなかにまじっていたガル・トンツェンは複雑な気持ちをいだいていました。
アチェ・ギャサは見送りの人々に別れを告げると、色とりどりの華麗な八宝車に坐りました。車の前面には金の釈迦牟尼像が置かれていました。車の両側には童男童女500人ずつが配置され、車の後ろには100人の随行と使用人がつづきました。最後列は、さまざまなものを積んだラバとラクダ隊でした。ツェテン・ルンポはアチェ・ギャサの隣に坐り、喜び、満足していました。
このとてつもなく大きな人馬隊は長安を離れていきました。
アチェ・ギャサが旅立っていくのを見届けたあと、ガル・トンツェンは大きな不安におそわれました。彼は仮病を用いてチベットへ行く手段を考えました。するとしばらくして、彼はほんとうに病気になってしまいました。病気を治すため、皇帝は多くのすぐれた医師を呼んだのですが、いっこうによくなる気配がみられません。ある日、ガルは皇帝に言いました。
「私の病はチベットの悪霊によってたたられたものです。治療のためには、50の甕(かめ)の酒と500の油であげた果物が必要です。チベットの山が見える峠に行って三日間祈祷をすれば、よくなるはずです」
皇帝はガルの言葉を真に受け、すぐに家来を呼んで準備を整えさせました。そして4人の大将をつけて峠まで送らせたのです。皇帝は4人の大将に言いました。
「おまえたちは峠で祈祷の儀礼をすましたあと、ただちにガルとともに長安にもどってこなければならない」
ガル・トンツェンは祈祷をすましたあと、峠の関の太守たちに言いました。
「神にささげた酒や食べ物はとても縁起がいいといいます」
そう言うと、ガルは50の甕の酒と500の油であげた果物を太守たちにすすめました。すると4人の大将たちもそれにあずかりました。飲み、食べ終わると、男たちはみな眠ってしまいました。ガルはこの機に乗じて馬に乗り、チベットへ向かって馬を走らせたのです。
4人の大将が目を覚ましたころには、ガルはすでに青海に達していました。そしてまもなくしてアチェ・ギャサの隊列に追いついたのです。