チベット入りの手前で 

アチェ・ギャサは長安を離れたあと、人や馬車を急き立てて、ひたすら広い荒野をチベットに向かって進んでいきました。

 彼女の心は喜びに満ちていました。沿道のチベット人はみな、唐の皇帝の娘がチベットのソンツェン・ガムポ王のもとに嫁ぐと聞いて、尊敬の気持ちをいだき、神を迎えるように歓迎しました。道を整え、道の両側に石を積み、白い粉を用いて線を引きました。アチェ・ギャサが通過するときは、老人はからだで支えて、子供は抱いて、沿道に出てカタ(スカーフ)をかけ、ミルク茶を用意し、歌や踊りで出迎えたのです。アチェ・ギャサは感動し、謝礼の言葉とともにお礼の品をわたしました。しかしこうした人との交流は減り、しだいに人を見ることはまれになりました。それから先は進むのも困難な、厳しい地域だったのです。

 ある日、アチェ・ギャサの一行は怒江(サルウィン川)上流の川岸に到着しました。彼女は目の前の光景を見て愕然としました。さかまいて流れる銀の花のような川の激流が行く手をさえぎっていたのです。川に架かる橋はありませんでした。船もありません。アチェ・ギャサはみんなにしばらくここにとどまるよう命じました。あせらず川の渡り方を考えようというわけです。

 このときツェテン・ルンポがこのときとばかりにアチェ・ギャサに言いました。

「わたくしが考えますに、この川を渡るのは不可能です。この川には水怪が棲んでいるときいています。だれであろうとも、川の中央まで行ったとしても、岸に上がることはできないといいます。小鳥でさえ川の上を飛ぶのをこわがるという話です。アチェ・ギャサさま、あなたのような華奢で、高貴なからだの持ち主が危険を冒すべきではありますまい」

 アチェ・ギャサは笑いながらこたえました。

「あら、それはご親切に。でもそんなことに関心はありませんわ。それとも川を渡るのに、なにかいい考えでもあるのかしら」

 ツェテン・ルンポは言い返すことができず、ただ顔を真っ赤にしていました。

 ツェテン・ルンポがどこかへ去ると、彼女はガルワ・トンツェンを呼び、人をやっていばらの枝を切り、牛皮をなめし、船を作るよう要請しました。多くの人が参加したので、何日もしないうちに2、30隻の牛皮船ができあがりました。アチェ・ギャサは満足し、いい天気の日に川を渡ることにしました。

 怒江の川面は人が怒ったときとそっくりでした。つまり変化しないときがなかったのです。最初の牛皮船が出たものの、しばらく行くと大波をかぶってしまいました。それは波の上でくるくるまわったのです。こんな調子でどうやったら対岸にたどりつくことができるのでしょうか。

 彼らが急いで渡ろうとすると、かならず突風が吹きました。見ると波は川の水面を乱れ飛んでいるかのようでした。

人々は羊を牛皮船につめて水に浮かべたのですが、すぐに波にひっくり返されてしまいました。赤、黄、青、白、黒の五色の羊が水に流され、川いっぱいに広がりました。この光景を見てアチェ・ギャサは心を痛めました。

人に命じて川から引き上げさせたのですが、水流が強いため、白と黒の2匹の子羊しか救うことができませんでした。彼女は2匹の羊を胸に抱きかかえ、衣服の襟で包みました。その姿はまるで赤子を抱く母親のようでした。

 このとき腐った水でおなかがいっぱいだったツェテン・ルンポは言いました。

「申したとおりでしょう。川を渡ろうと努力したところで、わるいことばかりが起きています。見たところ、アチェ・ギャサさまも調子がよろしくないのではないかと思われます。どうか長安におもどりくださいませ。ほかのことはもう考えないでください」

 アチェ・ギャサはツェテン・ルンポが言っていることを聞いて、いったいどうすればいいのだろうかと思いました。

 すぐそばで聞いていて怒ったのはガル・トンツェンです。ツェテンをきびしく責めました。

「おい、おまえはもっと縁起のいい話ができないのか?」

 ツェテンは仏頂面をしてたてつこうかと思いましたが、ただ黙ってアチェ・ギャサが言うことに耳を傾けました。

「もしいま強い風が吹かなければ、川を渡ることができると思います。まずわたしから渡ってみましょう」

 人が牛皮船を曳いてくると、アチェ・ギャサは羊を抱いたままそれに飛び乗りました。すると不思議なことに、荒々しく沸き立つような波が突然静かになったのです。川面にはさざなみしか見えません。それを見た人々は、アチェ・ギャサは天女の化身にちがいないとうわさしました。悪魔さえ彼女を傷つけようとしないのです。このようにアチェ・ギャサの一行は無事に怒江を渡ることができました。

 このように羊をつめた牛皮船はひっくり返ることはないといわれます。またチベットの羊は五色あるといわれますが、刈り取った羊毛は染色する必要がないのです。めでたいことがなんと多いことでしょう。