聡明なダジ・マンポジェ
ソンツェン・ガムポ王が周辺の国々を征服し、雪山に囲まれたチベット高原を統一したとき、王族や大臣はとても喜び、馬に乗って駆け巡ったり、お酒を飲んで歌をうたったりしておおいに祝いました。しかしソンツェン・ガムポ王だけが楽しむ気分になれませんでした。ただひとりマルポリ(紅山)の王宮に残り、悶々としていたのです。
ある日ツェンポ(国王)ともっとも親しい大臣であるガルワ・トンツェンがマルポリにやってきて、こう言いました。
「尊敬するツェンポさま、あなたの智慧と戦略のおかげでわれらは周辺国家を征服することができたのです。いま国民のみなが歌い踊って祝っているときに、あなたおひとりが悶々としておられます。なにか懸念されていることがあるのでしょうか。なにとぞ臣下であるわたくしにおっしゃってください」
ソンツェン・ガムポはこたえました。
「大臣ガルワ・トンツェンよ、そなたはちょうどいいときに来た。とても大切なことでそなたたちと話し合おうと思っておったところだ。われらは国を統一することができた。しかしどんな計画をもって、どんなふうに治めるかきまってないのが問題だ。ガルワ・トンツェンよ、そなたはチベットでもっとも聡明で有能な男だ。この問題の解決はそなたにまかせたい」
ガルワ・トンツェンは二つ返事で受けたものの、この任務をはたすのはたいへんむつかしいと考えました。山の上から落ちてきた巨岩をもとの山の上に戻すには、どうしたらいいでしょうか。彼は、昼間は石やクルミ、貝殻を使って計算し、夜は木片の上に絵を描き、石や木片を使っていろいろと考えてみましたが、これといったアイデアは生まれてきません。
そんなおり、ラサの北のポンユル地方のダジ村に、モンポジェという名の聡明な子供がいると耳にしました。ガルワ・トンツェンはふたりの侍従をつれて、この村にモンポジェを探しにいきました。
三人がグラ山を越え、ダジ村からそれほど遠くない地方にいたったとき、子供がひとり草原で人参果を掘って採っていました。ガルワ・トンツェンはその日の宿が必要だったので、この子供にたずねました。
「子供よ、おまえのうちは広いか、狭いか」
「3倍広くて4倍狭いよ!」
「おまえのうちにはどれだけの家畜をもっているか」
「家畜ならいるよ。上が黒くて、下が白く花柄の家畜がいるよ。母ヤギは100、子ヤギなら1000いるよ」」
「お父さんとお母さんは家にいるかね」
「おとうは話を買いに出ているよ。おっ母は目を借りに行っているよ」
「村にはどう行けばいいんだい?」
「まっすぐ行ったら少し遠回りだよ。曲がって行ったら、少し近道だよ」
この子供の話は少しおかしいなとガルワ・トンツェンは思いました。まっすぐ行ったら遠回りで、曲がって行ったら近道とはどういうことなのでしょうか。子供に聞き直すのも気が進まなかったので、ガルワは侍従らとともに村に向かってまっすぐ進みました。すると思いがけないことに、道はぬかるんできて、池があったのです。遠回りで行ったほうが、かえって時間を短縮できたのです。村に到着したときには、その人参果を採っていた子供はとっくに着いていました。子供の家はというと、とても小さな一間だけの泥でできた家でした。大臣のガルワは不愉快そうに言いました。
「子供はうそをつくもんじゃない。この家のどこか3倍広くて4倍狭いのだ?」
「ぼくはうそは言っていません。この家は、3人住むには広く、4人住むには狭いのです」
またガルワが家の中を見回すと、黒猫一匹、白犬一匹、母ヤギ一匹がいるだけです。不愉快になったガルワは言いました。
「子供が法螺を吹いてはいけない。家にいるのは猫、犬、ヤギ一匹ずつだけではないか。どこに上が黒くて下が白くてまだらの家畜がいるのだ? どこに母ヤギ100匹、子ヤギ1000匹がおるのだ?」
「ぼくは法螺吹きではありません。上が黒いというのは、屋根の上で寝ている黒猫のことです。下が白くてまだらというのは、門の後ろで寝ている白犬のことです。母ヤギの100というのは、柱につながれた母ヤギのことです。母ヤギは一日に100周まわります。子ヤギ1000というのは、母ヤギの糞の数のことです!」
ちょうどこのとき子供のお父さんとお母さんが帰ってきました。お父さんは酒を飲んで酔っ払っていて、なにかぶつぶつとつぶやいています。お母さんが灯火をつけると、家の中がぱっと明るくなりました。子供は言いました。
「みなさん見てください。おとうは話を買いに出て、おっ母は目を借りに行ったと言ったでしょう? 酒は話のもとです。そして明かりは暗闇のなかの目です!」
ガルワ・トンツェンはこの子供がとても聡明であることに気づきました。そしてくわしく聞くと、この子供こそダジ・マンポジェであることがわかりました。その夜はこの家に泊まり、ガルワは翌朝、この子供をつれてラサへ戻っていきました。
ラサへもどる途上、ガルワは何度も繰り返し子供の力をためしました。たとえば、路上にだれかの足跡がありました。その左は足跡が浅く、右は深いのです。ガルワはこれはどうしてなのか、と子供にたずねました。
「前を行く人がいて、金を入れた袋を右側にもっていたのでしょう」
すこし走って前の人に追いつくと、たしかにそのとおりでした。また道の左側の草は牛に食べられ、右側の草は食べられていませんでした。ガルワは、これはどうしてなのかと子供にたずねました。
「前を進むのが、右目の見えないヤクだからです」
走って前を進むヤクに追いつくと、たしかにそのとおりでした。また路上に、だれかがなにかを引きずって歩いている痕跡がありました。ガルワはその原因を子供にたずねました。
「これは継母が子供を引きずっているあとです。自分が生んだ子供は背中に背負い、夫の前の妻の子供は引きずったのです」
少し走って前を歩く人に追いつくと、たしかにマンポジェが話したとおりでした。
ラサに到着すると、マンポジェはソンツェン・ガムポ王に謁見しました。王は彼が聡明であることに感銘し、大臣に任命しました。彼はガルワ・トンツェンがチベットの治政をどうするか案をまとめるのに協力しました。
ダジ・マンポジェもその任務を完成させるにはいたりませんでした。そんなときヤルツァンポ川下流のダポ地方に、マンシェ・ンゴポというたいへん有能な人がいるという噂を聞きました。その人はとくに計算と編成が得意だというのです。
マンポジェは自分自身でダポ地方を訪ねました。マンシェ・ンゴポは毎日山の上のほうへ放牧に出ていたのですが、かならず塩水につけた羊の干し肉をもっていきました。またチャン(チンコー麦のお酒)を醸造し、放牧する丘に隠しました。
ある日いつものように山の上で放牧していると、マンポジェがやってきてこう言いました。
「ソンツェン・ガムポ王はチベットを治めるための規則を制定しようとしている。これは成功すると思うか」
マンシェ・ンゴポは傲慢に言いました。
「この件に関し、おれならうまくやれると思うが、チベット王のために尽くそうとは夢にも思わぬ」
彼らは話しながらあちこちを歩きまわり、どんどん山の高いほうへと向かっていきました。マンシェ・ンゴポがおなかが減ったというので、マンポジェは用意していた塩漬けの羊肉を食べさせました。それはしょっぱかったので、こんどは喉が渇いてきました。
「だれかチャンを飲ませてくれないかなあ。そうしたらなんでも願いをきいてあげるんだけどなあ」
マンポジェは隠していたチャンをもってきて、マンシェ・ンゴポに飲ませました。すると彼は飲みすぎて、重要なこともすべて話し出したのです。マンポジェはチベットでどんな治政をすればいいか、さまざまな体制について聞き出すことができました。酒は話のもとでした。舌は軽くなり、口数は多くなりました。
ダジ・マンポジェはラサに戻ると、ガルワ・トンツェンに協力してソンツェン・ガムポ王が頭を痛めていた問題を一挙に解決しました。それゆえだれもが彼のことを「聡明なるダジ・マンポジェ」と呼ぶようになりました。