ゴンカマル城とチベット文字の創制
伝え聞くところによると、ソンツェン・ガムポ王がポタラ宮(紅宮)を建設している頃、ラサのニャンデン地方に紅宮と呼ばれるもうひとつ宮殿が建てられました。これが歴史上有名なゴンカマル城です。
ある日完成したばかりのポオタラ宮の屋上にやってきたソンツェン・ガムポ王や大臣らは、四囲を眺めているとき、北のデムチョク・ドルジェ神山に奇妙なものを発見しました。林海のなかに黒々としたものが出現したのです。
興味を持ったソンツェン・ガムポ王と大臣たちは神山に登り、それが何であるかたしかめようとしました。それは直径10丈ほどの岩で、黒い亀のような形をしていました。亀の背中のような岩の表面には八卦の模様があらわれていました。それを見て喜んだソンツェン・ガムポ王は言いました。
「おお、わしはちょうどインドからもどってきたトゥミ・サムボタがチベット文字を創成することに集中できる宮殿を建てようと考えておったところだ。ここは静かで環境がよく、この黒亀岩も霊気を発しておる!」
このときひとりの大臣が諫言しました。
「英明なるツェンポよ、この黒亀岩の上に宮殿を建てるのは容易ではありません。岩の上を平らにすることはできそうにありませんし、基礎を築くために掘ることもできません。どうやって宮殿を建てることができましょうか。現在の紅宮(ポタラ宮)だけで、ツェンポと大臣が過ごすのに十分な広さがあります。それなのにどうしてトゥミ・サムボタのためにわざわざ宮殿を建てられるのでしょうか」
ソンツェン・ガムポ王はこの大臣がトゥミ・サムボタに嫉妬し、嫌っているのを知っていたので、この諫言を不愉快に感じました。
「わしはそんなに簡単にはあきらめないぞ。ここに宮殿を建て、紅宮と名づけよ」
ソンツェン・ガムポ王の号令のもと、ゴンカマル城の建設が着工されました。石工たちは困難をものともしませんでした。まずツェンポが測定した土台をもとにしてつやつやした黒亀石の表面を削り、第一層を作り、そこに鉄水を流し込みます。このように基底作りと岩の鋳造を同時に進めました。こうして一層、一層を重ねていき、ついに九層の宮殿が黒亀岩の上に完成したのです。遠くから見ると、巨大な黒亀の上に石塔が立っているように見えました。
しばらくしてトゥミ・サムボタがラサにもどってくると、ソンツェン・ガムポ王は言いました。
「すぐにゴンカマルに行ってチベット文字創制の仕事にとりかかってくれ。わしは遠くから祈っておるぞ」
トゥミ・サムボタはゴンカマルにこもって取り組み5年、ついに文字創制に成功しました。できあがったものがソンツェン・ガムポ王に献上されたとき、王はトゥミ・サムボタを礼賛する一方で、大臣らに言いました。
「チベットに文字ができたぞ。まずわれらが学ばねばならぬ」
この決定から3年、ツェンポはトゥミ・サムボタにしたがって懸命に文字を学習しました。しかし大臣の多くはチベットの国王が政治をかえりみずに没頭することに異を唱えていたのです。それにたいしソンツェン・ガムポ王は言いました。
「わしは文字を読むことができぬ。文字も読めずに人の上に立つことができるだろうか」
ソンツェン・ガムポ王はロセ・グンタンら4人の大臣を摂政に任命すると、自身は国王の位から退き、トゥミ・サムボタを師として弟子入りしました。そうしてゴンカマル城で文字の学習を本格的にはじめたのです。
3年がたち、ツェンポはトゥミがつくった学習過程を終えました。彼はツェンポの身分でもって大臣らをゴンカマル城の広場に招集し、宣言しました。
「トゥミ・サムボタが作った文字はすばらしい。トゥミの功徳ははかりしれない。文字があることによって、仏法を記すことができる。国のことを記すことができる。いま、チベット全体に向かって宣言できる。今日はチベット文字のはじまりの日である」
このとき以来、ゴンカマル城は崇拝する場所になりました。多くの高僧がここに来て座禅修行をするようになったのです。歴代の学者にとってもゴンカマルは巡礼すべき聖地となりました。
現在、九層のゴンカマル城はありませんが、黒亀岩はそのままの姿で存在します。岩の上には積まれた石が残っているので、実在したことがわかります。ノルブリンカの新王宮の壁画にはゴンカマル城が描かれています。
この近くにはロクスム・ラカンがあります。ここにはソンツェン・ガムポが宣言した文字によって自らが書いた六文字の真言が保存されています。ここから遠くない場所には、チュミクランドゥ(自ら湧き出る泉)というラサでもっとも美しい泉があります。ここはソンツェン・ガムポ王がはじめて視察に来たとき、足元から流れ出た泉ということです。