国王チデソンツェンと茶の葉 

 ソンツェン・ガムポ王の時代にはまだチベットに茶の葉はなく、したがってお茶を飲む習慣はなく、お茶を飲む焼き物のお碗もありませんでした。お碗はチデソンツェンの時代にはじめてあらわれました。

 伝説によればチデソンツェンの時、7人の勇士がいました。7人の勇士とは、小象を持ち上げる力があるゴク・レンナポ、4才のヤクを持ち上げる力があるゴク・リンカン、ハイタカの腰を矢で射る力を持ったルンギェルツェン、矢を肉眼で見える距離の3倍遠くまで飛ばせるベグ・トンツェン、鹿の内臓に石や砂を詰めて持ち上げ、グルグル回す力があるグヤキュン、降りてきた野生のヤクを天の上まで引っ張っていけるギョロ・チョショル、崖から落ちた馬を崖の上まで引っ張り上げられるチデン・ロンチンのことです。

 チデソンツェンは7人の勇士を重用しました。彼らを大臣や将軍に任命し、自分の補佐をさせたのです。彼らは国王の期待以上の働きをしました。どんな困難な状況に遭っても負けずにがんばり、国の経済や国力はおおいに増したのです。人々の生活もずいぶんとよくなりました。

 しかし国が繁栄の絶頂にあるとき、国王は原因不明の奇病にかかってしまいました。国中の名医が治療を試みましたが、だれも成功しませんでした。国王は食べることも飲むこともできず、やせ衰えていくばかりでした。もういかなる治療法も効果がないかのようでした。

 ある日王宮の屋上の庇(ひさし)に見慣れない小鳥が飛んできてとまりました。この小鳥はとても頭がよくてかわいらしく、毛並みがきれいでつややかでした。その嘴には一枚の緑色の葉がくわえられていました。

 このときチデソンツェンはちょうど屋上のバルコニーで日光浴をしていました。庇の上を行ったり来たりする姿を見てツェンポ(国王)はとてもうれしくなり、小鳥をとらえようと思って近づきましたが、小鳥はチーチーと鳴くと、羽ばたいて飛んでいってしまいました。そのとき嘴から緑の葉がこぼれて、ツェンポの足元に落ちたのです。ツェンポは葉を拾い上げ、残念そうに小鳥が飛んでいった方向の空を見上げました。

 翌日、東の山から太陽が昇ってくる頃、彼はまた屋上に上がって日光浴をしようとしたとき、あの小鳥がやってきて庇にとまりました。また緑の葉をくわえています。チデソンツェンは喜んで小鳥をつかまえようとしましたが、またもチーチーと鳴いて、羽ばたいて飛んでいってしまいました。やはり緑の葉を屋上に残していきました。

 ツェンポは葉を拾い上げて見てみると、きのうの葉とほとんどおなじです。興味をもった彼はその葉を口にいれてみました。すぐに独特の味わいを覚え、同時につばが出てきて喉の渇きがいやされました。彼は王宮にもどって家臣たちに言いました。

「みなの者、よく聞いてほしい。朕(わたし)は山や海の珍味をみな食べたことがあり、珍しい高貴な飲み物もすべて飲んだことがあるが、小鳥がくわえてきた緑の葉ほどの絶品は味わったことがない。それは口の中で潤いを与え、気持ちがさわやかになり、病を治し、滋養強壮になる。みなの者には、この緑葉を探し出してほしい。もし探してもってきてくれたなら、ほうびはたんと与えよう」

 家臣たちはこの言葉を聞いて、チベットの上部、中部、下部の3部に分かれて探しに行ったのですが、だれひとり探し当てることができませんでした。そのなかである大臣は失敗に甘んじたくなく、がんばって探し続け、唐との国境地帯までやってきました。ここには大河があり、道ははばまれていました。川の向こうを見ると、山なみがつづいていて、そこには緑の深い森が広がっていました。

 大臣はもっとよく見ようと川の渡り方を考えているとき、一匹の大魚が悠々と近づいてきました。彼はその大魚につかまって対岸に渡ることができました。そして森のなかに入ると、そこには小鳥がくわえてきた緑の葉が繁茂していて、とてもさわやかな香りが満ちていたのです。彼はとても喜んで、袋がいっぱいになるまで葉を摘みました。

「私は千里を超える道のりをやってきた。たくさん葉を摘んで戻ることができたらどんなによいだろうか。しかしこのあたりにほとんど人はいない。運搬するための動物を探すのも困難だ」

 彼がそう考えていたとき、突然さわやかな風が吹いてきたので顔をあげると、すぐ近くに雌鹿が立っていたのです。

「この鹿に運んでもらえばいいのかもしれない」

 彼は緑葉がいっぱい入った袋を鹿の背中に載せてみましたが、鹿は動こうとせず、大きな目で彼をやさしく見ています。もっと運べるということなのでしょう。彼は喜んで緑葉をたくさん摘んで、いっぱいになった袋をもうひとつ鹿の背中に載せました。

 そして彼は鹿といっしょに川を渡り、何か月もかけて旅をして、ようやくラサに戻りました。大臣は鹿の背中の袋をおろし、休憩してから歩き出そうと考えました。しかしそうしている間に鹿はどこかに姿を消してしまいました。

 チデソンツェンはこの緑葉が届いたことにとても喜びました。大臣らもこの香りを楽しみ、珍宝としました。このときからツェンポは毎日緑葉に水をそそいで、その水を飲みました。そうすると日々健康が回復したのです。

 以来チベットの人々は緑葉を楽しむようになりました。水を入れて煮る方法を国王が学び、ついで人々も緑葉を煮て飲むようになりました。そしてこの葉を茶葉と呼び、茶葉を煮て得た湯を茶と呼ぶようになりました。

 チデソンツェンはこの茶という飲料がたいへん好きで、またこのおいしい飲み物には美しい器がふさわしいと考えました。いままで宮中で使用していた皮の盆や木椀、金銀の器や皿は似合わないと思ったのです。ほかにふさわしい斬新な器はないだろうかと探しました。ある人が奏上して言うには、唐の皇帝が茶専用の焼き物の器を持っているということです。チデソンツェンはさっそく金字で書いた封書を記し、唐に使者を送りました。

 金書を受け取った唐の皇帝は使者に言いました。

「過去に唐とチベットは情誼を結び、医薬や暦法、算術、工芸、芸術の技術を持った者を送ってきた。いま、焼き物の器を贈りたいと考えている。しかし両国の間は遠く、道は困難で、運搬中に器は破損してしまうだろう。ならばそなたたちは、焼き物を作る窯(かま)を建てればよいではないか」

 こうして使者は窯を作ることのできる工匠をつれてチベットにもどることになったのです。工匠と会ったチデソンツェンは言いました。

「あなたがたを派遣してくれた唐の皇帝には心の底から感謝している。さて、ひとつ聞きたいのだが、焼き物を作るにおいて材料は何がよいのか」

「もっともいいのは希少宝石です。つぎにいいのは石英乳です。もっとも下等といえるのは、白い陶土です」

 チデソンツェンは庫(くら)から3種の宝石を取り出して工匠に渡しました。工匠たちは、ツェンポがどういう様式の焼き物を好むかたずねました。

「唐にはない様式がいいな。器の口は広く、本体は薄く、脚は短いのがいい。色は白く、やや青みがかっているのが好みだ」

 工匠たちはまた焼き物にどんな名前をつけたいかたずねました。

「このような器は過去になかったが、今朝出現したので、タル(発展)という文字を使いたい。それは茶を飲むことがさかんになることを意味する。そして長寿を願って富を得るという願いをこめてツェ(長寿)という文字を使いたい。つまりタルツェだ」

 つぎに工匠たちはどんな花模様がいいかとたずねた。

「かわいい小鳥が茶葉をくわえてきたことからはじまっているので、それを記念して、葉をくわえた小鳥の絵を描きたい。あるいは大きな海のなかで泳ぐ魚の絵もいいな。あるいは高山で飛び回る茶袋を背負った鹿の絵もいいなあ。そのほかはあなたがたの想像力で描いてほしい」

 工匠たちはツェンポの言葉をもらって、3種の優劣が等しくない、清濁の材料をあわせた材料から、6種類の「タツェ」を作りました。チデソンツェンはこれらのうちすぐれた質の3種を「シャツェ」「ランツェ」「シャンツェ」、そのほかを「デツェ」「エツェ」「ドツェ」と呼びました。これらはのちにチベットで大流行しました。もともと中国から来たものですが、チベット人にあったものが作られ、チベット独特の焼き物になりました。