国王ユナジェンと竜女メド・セチェン 

 ポタラ宮の北側に竜王潭があります。 竜王潭とポタラ宮をあわせると三百ヘクタール以上の広大な敷地を占め、昔からラサ八景のひとつとされてきました。竜王潭がいつ頃作られたかは記録がなく、はっきりとはわかりません。知られているのは、17世紀にダライラマ5世がポタラ宮を建てたとき、この土を使って周囲数キロの大きな池(水潭)が作られたことです。ポタラ宮竣工以来、その余った建築材料を利用して竜王メトゥク・セチェンのマンダラを具体化したルカン(竜王廟)と呼ばれる、八角亭の建物が建てられました。

竜王潭のほとりの小亭(あずまや)、曲がりくねる小道、柳の陰と見事な景色がそろって、池の水はすべて雄大なポラ宮がかかえこむように見えるのです。いや、水がポタラ宮の下に流れ込んでいるのか、水の中にポタラ宮が浮かんでいるのかわからなくなってしまいそうです。この景色を見て昔の人はこういう詩をうたいました。

 

北には神が棲む池があり 

柳の葉が落とす濃密な陰を 

舟はかき分けて進んでゆく。 

舟をとめ、石の径(みち)に遁れ 

杖にもたれて歩けば天に昇ってゆく心地。 

水面(みずも)には東屋(あずまや)の

さかしまの翠(みどり)の影が落ち 

花は風に乗って南の岸へと流れつく。 

 

 ルカンは三階建ての建物です。最上階にはルワン・ギェルポという竜の首領が菩薩として祀られています。 二階は竜王の娘メド・セチェンが祀られています。彼女はもともと竜ではなく、蛇だったのですが、長年修行を積んで竜になりました。メド・グンカルのバルという地域に大きな湖があり、そこに住んでいました。

 彼女は美しい少女の姿になって、よく湖の近くの鬱蒼とした林を散歩しました。人々はこの林をセンチェン・リンカと呼びました。ずいぶんと年月が流れましたが、いまでもこの名で呼ばれています。

 メド・グンカルにはつぎのような言い伝えがあります。

 もし心が善良な娘がメド・セチェンとたまたま出会ったら、彼女はとてもラッキーなのです。というのも、メド・セチェンに一目見られたら、娘はより賢く、より美しくなるからです。だからメド・グンカルの女性はみな美しいというのです。しかしもし男性が彼女と出会ったら、これは逆にアンラッキーなのです。メド・セチェンがあまりに美しいがゆえ、心が乱され、理性を失って、愚か者になってしまうからです。このため男はセンチェン・リンカに近づかないようにと言われます。

 ある日のこと、サムイェー地方から来たユナジェンという名の国王(おそらくチソンデツェン王)が自分の能力を試したいという欲に駆られました。夕暮れ、ひそかに侍従たちの目を盗んで、ひとりセチェン・リンカに向かったのです。

 ユナジェンは林の中をあちらこちらめぐったのですが、だれとも出会いません。月が西のほうに落ちていく時刻になっても、メド・セチェンの姿はありませんでした。彼は自分自身にむかって嘲笑いました。

「ハハッ、見てみろよ。八部鬼衆さえおれをメド・セチェンに会わせることができないようだな!」

 そう言い終わらないうちに、朝の霞のような炎のような色をした衣を着た、天女と見まがうような美しい少女がこちらにやってくるのです。その面(おもて)は満月のように丸く、まつげはとても長く、まつげの下の瞳はとても大きくて愛情の深さがあらわれていました。彼女はユナジェンを山の奥深く、雲海のなかに放り込みました。

 このとき以来、ギャルポ(国王)ユナジェンはたびたびセンチェン・リンカを訪ねるようになりました。メド・セチェンもたびたびサムイェーに来るようになりました。ふたりは夢のように楽しい時間を過ごすようになったのです。ユナジェンはメド・セチェンが蛇であるからといって避けることはなくなり、彼女は修行のことを言わなくなりました。彼女は長年の修行によって成就したものを捨てたいと願い、ユナジェンのもとを離れて孤独で寂しいところに戻るのがいやになっていました。

 彼女に不安な点があるとするなら、パワーが足りなくなり、尾を人間の足に変えることができなくなったことでした。蛇の尾を隠すために、彼女はいつも裾の長い衣を着るようにしていました。もし秘密がばれてしまったら、ユナジェンはほかの人のもとに行ってしまうでしょう。

 しばらくするとユナジェンの呪術師は、彼らが秘密を持っていることに気づきました。このような関係は不適切だと思い、彼は二人の仲を裂こうと考え、だましてユナジェンをある寺の中に隠しました。メド・セチェンは仏法の力を怖がって中に入ろうとしないからです。彼女は何度も呪術師に、ユナジェンを自由にするよう懇願しました。自分が長年精錬してきた「命の珠」を献上しようとしましたが、拒まれてしまいました。こうなったら呪術師と戦うしか方法はありません。

 メド・セチェンは呪術師がまともに戦って勝てる相手ではありませんでした。呪術師はグル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)に助けを求めました。

 この日、空には雲や霧があらわれては消え、ただならぬ雰囲気が漂ってきました。見ると何千万もの赤い蛇が空から降ってきました。メド・セチェンは敗れ去ったのです。

 グル・リンポチェは彼女の力を借りてサムエー寺を建立したのでしょうか。いえ、彼女は湖の中にいるだけで、修行して竜になるという考えは永遠に捨てたのでした。メド・セチェンは必死に嘆願しました。

「私は竜になろうとは思っていません。ただ人になりたいだけなのです」

 メド・セチェンはサムイェー寺建立に際し、少なからぬ力を発揮しました。ただしサムイェー寺完成以降も、彼女が人になるという願いはかなえられていません。というのもグル・リンポチェが、彼女が竜王になることを望まず、かつ人間によって彼女が祀られることを望んだからです

 以来、毎年チベット暦の4月15日と5月15日にはみなメド・グンカルに行って竜を祀り、サムイェー寺建立に尽力したことに感謝する儀礼をおこなっています。ダライラマ5世が竜王潭にルカンを建ててからは、竜王潭で祭りをおこなうようになりました。

 伝え聞くところによると、4月15日にメド・セチェンは祀られたあと、象に乗ってジョカン寺(大昭寺)に参拝します。そのあと故郷の家に戻り、およそ一か月そこで暮らします。そして5月15日に竜王潭に戻ってくるのです。