名医トンスム・カンワ
唐朝からチベットに降嫁した公主はふたりいます。ソンツェン・ガムポ王のもとに嫁入りした文成公主とチデツツェンのもとに嫁入りした金城公主です。
金城公主がチベットに来てからまもなくして誕生したのがチソンデツェンです。
チソンデツェンが国王の座についたあとのこと、ある年、疫病が発生し、人も家畜もたくさん死んでしまいました。チソンデツェンは心配のあまり食べるものも食べられず、眠ることもできませんでした。
金城公主は子どもに言いました。
「心配したって仕方ありません。何人か、医学を学ばせれば、疫病など恐れる必要はなくなるのです」
チソンデツェンは母親の言葉を聞くなり、臣下に命じて各地の聡明な青年を集めさせました。彼らは金城公主が連れてきた医者から医学の技を学んだのです。
月日は書物が一枚一枚めくられるようにあっという間に過ぎていくものです。青年たちは3年の間にある程度の域に達しました。そのなかでも9人の青年はある程度の技を会得することができました。チソンデツェンは彼らを各地に派遣し、治療にあたらせました。彼らのおかげで、病気がよくなった人がかなりいました。人々は彼らにとても感謝しました。
あるときチソンデツェンが重い病にかかりました。ラサ中の有名な医者が診てもよくならず、9人の名医も治すことができませんでした。
金城公主は唐朝にすぐれた医者がいるはずだと考え、手紙をしたためて、使者を長安に送りました。唐の皇帝は急いで腕のいい医者をチベットに送りました。
この医者がラサに着いたとき、チソンデツェンはすでに昏睡状態に陥っていました。医者が脈を診たあと特別な薬を服用させると、チソンデツェンの容体は奇跡といっていいほど改善しました。
金城公主とチソンデツェンはいたく感激し、礼を尽くし、またトンスム・カンワという尊い名前を贈ったのです。
トンスム・カンワはそのままチベットに残りました。チソンデツェンはチベット中の医者にラサに来てトンスム・カンワの医術を学ぶよう命じました。トンスム・カンワは一生懸命に医術を教え、瞬く間に3年が過ぎると、弟子たちは各地に散っていきました。
チソンデツェンは弟子たちがどれだけ学ぶことができたか知りたいと思い、仮病を装って彼らを試しました。
まず先に成績のよかった9人の医者を呼び、治療をさせました。ただし王に近寄ることは許しませんでした。病人の顔も見ることができず、どうやって治療しろというのでしょうか。彼はこのようにしました。一本の糸の端を冷水に入れ、もう片方の端を門の外に置くのです。9人の医者はこの糸の端を持って脈を診たのです。
彼らは門の外で脈を診て、叫びました。
「なんて冷たいんだ! 国王はひどい冷え症を患っておられる!」
翌日、チソンデツェンは糸の端を牛糞から作った火の中に入れました。9人の医者はもう片方の端を持って脈を診ました。
「うわ、なんて熱いんだ! 国王はひどい熱症を患っておられる!」
三日目、チソンデツェンは糸の端をひき臼の上につなぎました。9人の医者たちはもう片方の端を持って脈を診て驚きました。
「病状はますます悪化しておられる! 動悸がして呼吸が乱れておられる!」
四日目、チソンデツェンは糸の端を鳩の足につなげました。もう片方の端を持って脈を診た9人の医者たちは叫びました。
「なんてかすかなんだ! 国王の脈はとても弱っておられる。危険な状態だ。トンスム・カンワさまにお願いするしかなさそうだ!」
トンスム・カンワはこのことを聞いて笑いこけました。
「国王さま、ご安心ください。おまえたちも大丈夫だ。各地に治療に行くがいい」
チソンデツェンはほかの医者も試し、彼らもよく学んでいることがわかったので、各地に派遣しました。
トンスム・カンワはこうして多くの弟子を教え、みずから各地をまわって病気の実態を調べ、草薬を探し、病人を診断しました。そうして、のちに一冊の医学書を書き上げました。
金城公主はたいそう喜び、それを何人かの人に配り、チベット語に翻訳させました。それはチベット中に広がりました。このように、チベット医学の治療法の一部はトンスム・カンワの治療法に発しているのです。