国王ランダルマ刺殺 

ラサの東、キチュ川の北岸にダク・イェルパ(Brag Yerpa)という名の袖のような形をした谷がありました。ここは吐蕃(ヤルルン朝)時代に、ソンツェン・ガムポ王が開いた隠棲の場所なのです。山の上や下に大小さまざまな修行洞窟ができました。それぞれの洞窟にチベットの歴史上有名な人物が住んだことがありました。

 そのひとつラルン洞窟は、黒衣の呪術師ラルン・ペギ・ドルジェが身を隠し、密教の修行をしたことで知られています。彼こそは仏法を滅ぼしたランダルマ王を刺殺した人物でした。彼に関する物語が今日まで伝わっています。

 伝え聞くところによると、ラルン・ペギ・ドルジェは山南(ロカ)ロダク地方の人で、吐蕃(ヤルルン朝チベット)の武家の家に生まれました。その大胆さは雪豹のごとく、力強さは野牛のごとくであったといわれます。若いときは国王レパチェン直属の兵士であり、北に南に行って勇猛果敢に戦い、数々の戦功をあげるとともに多くの人を殺しました。

 のちに仏教の寺に入り、仏典を読み、ブッダの教えを知り、三宝に帰依し、悪を捨て善に従う決心をしました。すなわち殺人に手を染めず、血を浴びることはなく、兵士として戦うことはなく、蟻を踏みつけて殺すこともないよう決心をしました。

 彼はダク・イェルパの洞窟に入り、陽光を見ることはなく、ただ本尊を観想することに集中し、密教の修行をおこない、世間一般のことはまったく考えなくなっていました。

 ある漆黒の闇の夜、黒衣の婦人が息をひそめ、何もしゃべらず、ラルン・ペギ・ドルジェの洞窟に忍び込んできました。この呪術師は頭をあげ、バターの灯明を照らしてそれがチベット最強の護法神の女神、ペンデンラモであることがわかりました。彼はあわてて飛び起きて頭を床につけて礼拝しながら、わざわざここにやってきた理由をたずねました。ペンデンラモは怒りをこめた声で話し始めました。

「どうしたことだ、悪魔の化身であるランダルマ王が雪の国チベットを破壊し、仏法は跡形もなくなってしまったではないか。この窮地を救い、如来の聖なる使命をまっとうできるのは、密教の修行に励み、大成就者になろうとしているおまえだけである。おまえはただちにこの魔王を除去しなければならぬ。恐れることはないぞ、委縮することはないぞ、なぜならわたしがおまえを助けるからだ」

 そう言うと、ペルデン・ラモの姿は消えていました。ラルン・ペギ・ドルジェは目を覚まし、これが夢であることがわかりました。

 翌朝早く、呪術師ラルン・ペギ・ドルジェは長年修行を積んだ洞窟を出ると、突然どこからともなく野獣を駆逐する銅鑼と猟犬を呼び戻す笛の音が聞こえてきました。彼は奇妙なことだと思いました。なぜならダク・イェルパ神山は奥まったところにある聖域であり、いかなる猟師も立ち入ることが許されていなかったからです。猟師の笛が鳴り、猟犬が吠え立てるなんていうことがありえるでしょうか。

 そこに羽毛を頭に挿した多くの僧侶たちが猟犬をつれて、獲物を追って、銅鑼を鳴らし、笛を吹きながらやってきたのです。ラルン・ペギ・ドルジェは問いかけました。

「私の目がおかしくなったのか、でなければあなたがたがおかしいのか。僧侶というのは戒律を守ってこその僧侶です。もっとも重要な戒律は、殺生をしないことです。真昼間からこのような殺生がおこなわれるとは、どういうことでしょうか」

 僧侶のひとりが答えました。

「呪術師であるあなたの目がおかしいのでもなければ、僧侶であるわれらの精神が異常をきたしたわけでもありません。あなたは長年洞窟のなかで修行を積んでいらっしゃいますから、世間のことには疎いのでしょう。仏法の守護者であった国王レパチェンはひもで首を絞められて死んでしまいました。僧侶を取り仕切っていた大臣のチャンカ・ベーユンも殺され、皮をはがれて藁がつめられ、ニェタン地方に投げ捨てられました。

 仏法を敵視する兄のランダルマが王位に就き、妖魔の化身である大臣たちが実権を握ったのです。彼らは仏法を破壊しようとしています。ジョカン(大昭寺)やサムイェー寺を封鎖し、門の上にラマが飲酒する絵を貼り付け、仏典を焼き、あまったものはラサ川(キチュ川)やヤルツァンポ川に投げ捨てました。高位のラマのなかには殺された者もいれば、逃げおおせた者もいました。若い僧侶は結婚し、還俗するよう促されました。ある者は屠殺人になり、ある者は山の上にあがって猟師になりました。命を奪うことになんの躊躇もなくなったのです」

 ラルン・ペギ・ドルジェはこのことを聞いて、昨夜の夢の中でペルデン・ラモが告げたことを思い出しました。彼は唇をかみしめ、目からは怒りの炎が噴き出されていました。長年殺生をしないように心を修練してきたのですが、勇気を奮い立たせる時がやってきたのです。彼はペンデンラモに向かって誓いを立てました。この身が地獄に落ちても、鬼になってもかまわない、いまはランダルマという暴君を殺さなければならないと考えるにいたりました。

 ラルン・ペギ・ドルジェは日時を計算し、用意周到に準備をしました。彼は袖の大きな黒い上衣を着ました。その上に内側が白く、外側が黒いマントを羽織りました。袖の中には先が鋭利な矢を隠しました。顔には鍋のおこげを塗りたくり、馬の白い鞍も黒く塗りました。これですっかり凶悪神のようないでたちになりました。

 ある日彼は馬に乗ってラサの町へと向かいました。その途中で彼は乞食のような人に出会います。乞食のような人は彼にたずねました。

「黒衣を着た黒馬のお方よ、あなたはどこから来られたのか。そしてどこへ行こうとなさっているのか」

 ラルン・ペギ・ドルジェは答えました。

「わたしは朝早く出発したところからやってきて、夜には寝るところに達しているだろう。お昼にはラサを通過するだろうから、そのついでにツェンポ(国王)に向かって敬礼したいものである」

 乞食のような人は言いました。

「あなたの運気はたいへんよいようだ。ツェンポはいまジョカン(大昭寺)の前で碑文をご覧になっておられる」

 ラルン・ペギ・ドルジェはそれを聞くと「殺意」が足の裏から頭のてっぺんに突き上げられるような気がしました。すぐに馬を狂ったように走らせ、たちまち大昭寺の前に到達しました。ツェンポのランダルマの前に出ると、彼は五体投地をして礼拝し、叫び声をあげました。

「神聖なるツェンポさまに敬礼いたします!」

 ランダルマは前夜、悪い夢を見たため、不安な気持ちでいっぱいでした。それでいま大臣と将棋をしたあと、大昭寺(ジョカン)の前の石碑のあたりを散歩していたのですが、もちろんまわりにはたくさんの侍従や護衛がいました。

 黒馬に乗った黒衣の男が現れたとき、ランダルマと取り巻きは贈り物を受け取る儀式の準備をしているときのことでした。実際、ラルン・ペギ・ドルジェの最初の贈り物は弓を引くことでした。二番目の贈り物は矢を射ることでした。三番目の贈り物は放たれた矢がヒュンとうなり、ツェンポの額に当たることでした。

 ツェンポは両手で刺さった矢を抜き取りました。すると鮮血があふれ出て、彼は意識を失って倒れました。

 ラルン・ペギ・ドルジェは馬に飛び乗ると、群衆のなかを走り抜けました。そして大きな声で言いました。

「われはヤシャ・ナク(黒魔)である。罪深い国王はわれによって罰が与えられたのである!」

 彼は馬を鞭打ってラサ川(キチュ川)を渡らせ、対岸のチツンに着きました。真っ黒の煤は川を渡る間に落ち、対岸にたどりついたときには、黒馬は白馬に変じていました。黒のマントをひっくり返すと白いマントになり、彼は白衣の人になりました。黒馬に乗った黒い妖魔は、いまや白馬に乗った白い天神となったのです。彼はあちらこちらに馬を走らせ、叫んで回りました。

「われはナムティ・カルポ(白色天神)である! われは天界の宮殿に戻らなければならない!」

そう叫び終わると、彼はふたたびラサ川を渡り、北岸に達すると、ダク・イェルパの峡谷にある自分の修行洞窟に戻りました。

 国王が殺されたので、ヤルルン朝チベット(吐蕃)は屋台骨を失ったことになります。大臣や護衛の兵士らは四方に散って暗殺犯を捜しました。どこに行っても凶悪な人々が待ち受けているのです。東のほうを捜した人が戻ってきて、こう説明しました。

「われらは(ラサ東部の)カモロン地方に探しに行きました。そのあたりに暗殺犯らしき影がちらちらと見えたのです。そいつを捕まえようと急襲したのですが、急に空が暗くなり、そのすきに逃げられてしまいました」

 北や南や西に探しに行った人々も戻ってきて、おなじようなことを言いました。

 ラルン・ペギ・ドルジェは枝をたくさん集めて洞窟の中や周辺に置き、たくさんの蝙蝠を洞窟内に放ち、また自分の頭やからだに灰をまきました。これでもう何年も坐って修行をしているようにしか見えません。

 この頃にたくさんの兵士を引き連れた将軍がダク・イェルパの谷の入り口にやってきました。川の水辺にたくさんの馬の足跡を発見したからです。馬の足跡はダク・イェルパの谷からさらにラルン・ペギ・ドルジェの洞窟へとつづいていました。

 兵士らが洞窟の中に入ると、密教の行者がいて、修行に没入しているように見えたので、すぐに出てきました。しかし将軍はあやしいと思い、もう一度洞窟の中に入ってみました。真っ暗だったので、手探りに触っていくと、ラルン・ペギ・ドルジェの胸がありました。旨を触ると心臓が鼓動を打っているのがわかりました。

 将軍は片手を刀にやったまま、この行者をとらえようと考えました。彼はすばやく手を放すと、ため息をつきながら言いました。

「起こるべきことは、起こるべくして起こるのだ。こんなことをして何になるのか」

 将軍は振り返りもせず、洞窟から立ち去っていきました。このできごとに関し、言い伝えがあります。

「ラルン・ペギ・ドルジェは山に入ったが、足跡は平地に残ったままである」

 将軍が去るとすぐに、ラルン・ペギ・ドルジェは仏像や仏典をもってチベット東部のカム地方へと逃げました。そのあとアムド地方へ向かったともいわれています。彼は雪豹のような度胸をもっていましたが、実際そんなにも驚いたということです。