クン氏、「仇敵」 

 タポウーチェンはのちに、モンユル地方のモンサ・ツォモギェル(mon bza’ mtsho mo rgyal)の娘を妻としました。彼女は妊娠したあとも、毎日山の上に行って牛や羊を放牧していました。ある日、家に戻る前に、岩山と草地の間で男の子を生み落としました。このことからタポウーチェンは男の子にヤーパンキェ(g-ya’ sbang skyes)という名をつけました。岩山の草地という意味なのです。

 ヤーパンキェは長じて美しい青年になりました。結婚する年頃になり、妻を探していると、この地方に羅刹(srin po)のキャレン・タクメ(skya rengs khrag med)がいて、その妻ヤードゥム・シリマ(g-ya’ ’brum si li ma)が天女のように美しいことがわかったのです。ヤーパンキェはひそかにヤードゥム・シリマに近づいたのですが、このことはキャレン・タクメを激怒させました。

 ここに両者は激しく衝突し、生死を賭けた闘いになってしまったのです。最終的にヤーパンキェが勝利し、羅刹の妻を自分のものとしました。しばらくしてヤードゥム・シリマは男の子を生みました。仇敵の妻との間にできた子どもだったので、ヤーパンキェはヤートゥク・クンパルキェ(g-ya’ phrug ’khon par skyes)という名を与えました。

クンパルキェとは仇敵の意味です。

 クンパルキェは大きくなると、ツェンサ・ジャンブトン(btsan bza’ lcam bu sgron)を娶り、子どもをもうけました。この子は力が飛びぬけて強く、神通力をもち、だれよりも聡明でした。彼は長じてたくましく、英俊で、だれからも愛されました。人々は彼を見ると称賛しました。

「このように文武にすぐれ、見た目も立派なかたは百里、いや千里のなかで探しても見つかるものではない」

 このことから彼にはクンパ・ジェグンタク(dkon pa rje gun stag)という名が与えられました。彼が大きくなると、クンパルキェは住むのにいい場所を探しに行かせました。彼は父の命令にしたがってラトゥニェン・ツェタル(la stod gnyen rtse thar)にやってきました。ここは山に囲まれて、雪峰がそびえていました。それだけでなく、ここには白と黒の湖があり、灌漑によって飲用に使用することができました。タンチェン、タンチュンという大小の土地があり、家を建てたり、種をまいたりするのによかったのです。グフ、グムという二つの山があり、そこには建築に使われるといい木が採れました。タルギ・ヤチャン(thar gyi ya chang)には牛や羊を放牧するのによい牧場がありました。

クンパ・ジェグンタクはこうして、ラトゥニェン・ツェタルに定住することになりました。ここはクン氏家族発祥の地となったのです。クンパ・ジェグンタクは智謀に長け、俗的な政務もこなしたので、長期間吐蕃王朝の内大臣を務めました。権勢は輝かしく、富裕だったので、人々はクン・ベーポチェ(’khon dpal po che)と呼びました。クン氏家族はここにはじまり、世俗方面の名声はとても高いものでした。