ラマユルは「ボン教の要塞」なのか 

 ラマユル僧院から月世界と呼ばれる「地球離れ」した丘陵を眺めると、美しさに見とれて、息をするのも忘れてしまいそうです。しかしこのラマユルは謎だらけです。

 A・H・フランケの『西チベット史』にラマユル僧院の古い写真が載っていて、その説明文に「ボン教の古代要塞 ラマユル僧院」とあります。本文中でも「民間伝承によれば、ラダックでもっとも有名なボン教僧院はユンドゥン(Yungdrung)僧院(ラマユル、あるいはユル)だった」と記しています。

 「だった」と過去形で書いているように、今は違うがもともとボン教の寺院だったとフランケは言っているのです。しかし多くの人が、これはフランケの勘違いだと指摘しています。

一般には、この僧院の創建者として、ナーローパの六法で知られるインド人成就者ナーローパ(9561041)や、仏教経典の大半を翻訳した翻訳官であり、108の寺院を建てたとされるリンチェン・サンポ(9581055)の名が挙げられます。彼らの名が出てくるのは、現在ラマユル僧院はディグン派(カギュ派のひとつ)に属しているからです。

 しかしフランケがボン教の要塞だと断じたのは、もっともなことだと私は考えます。それは千数百年前、あるいは二千年前、三千年前の話なのです。

ユンドゥン僧院のユンドゥンはスワスティカ(お寺の卍とおなじ)で表わされ、永遠を意味しますが、この語自体がボン教の代名詞のようなものです。たとえばチベット自治区に二大ボン教寺院がありますが、ひとつはメンリ寺であり、もうひとつはユンドゥン寺なのです。私も昔、シガツェからそんなに遠くないこの寺を訪ねたことがあります。ちなみに現在のボン教の中心地はインド・ヒマチャルプラデーシュ州のドランジにある新メンリ寺です。

 立地条件から考えると、ここにはボン教というより古代シャンシュン国のゾン(要塞、王宮)がかつて建てられていたのでしょう。シャンシュンのゾンの多くは、峻厳な岩の丘に(ときには内部に)たくさんの洞窟が掘られます。そこからは月世界にたとえられる不思議な風景が見えます。あとで触れますが、キュンルン銀城やグゲ王宮にもあてはまる典型的なシャンシュン国のゾンなのです。

風景が古代シャンシュン国やボン教のゾンにふさわしいという言い方は奇妙に聞こえるかもしれませんが、じつはとても重要な要素なのです。風景のなかに神聖なるものを見出し、それを利用して要塞や王宮を造るのは、古代チベット人やシャンシュン人の特徴なのです。

 フランケがここまで確信を持ってもとボン教の要塞だと断じているのは、地元の伝承として残っていたということでしょう。現在ラダックにボン教が存在したという確たる証拠は残っていません。ただし西隣りのパキスタンのバルチスタン地方には、ボンデバと呼ばれる人々がいて、いまは全員イスラム教徒ですが、もともとボン教徒だったといわれています。

 レーリヒはラマユル僧院およびボン教にたいし、興味津々でした。彼は日記にボン教についてこう記しています。

「仏教以前に起源をもち、黒教と言われるボンポ、スワスティカの神々の信奉者たち。その古代のルーツは謎である」

 さらに彼はこう述べています。

「一面から見ると、彼らは呪術師であり、シャーマンであり、仏教の歪曲者である。しかし一方で、火と自然の崇拝者である彼らの教えのなかに、かすかな(ケルトの)ドルイド教の痕跡を見出すことができる」

 仏教から見た場合、ボン教は蔑まされることがありますが、神秘主義者のレーリヒからすれば、より広く信仰される自然宗教の伝統を受け継ぐ者たちなのです。



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