ウー・ベイン橋        宮本神酒男 

 3年間の工期ののち、タウンタマン湖にかかるミャンマー最長の木橋、ウー・ベイン橋が完成したのは1851年のことだった。大英帝国軍とビルマの第二次戦争が勃発し、エーヤワディー・デルタが占領される前年のことである。当然、アマラプラにも不穏な空気が漂いはじめていただろう。

 ウー・ベインはアマラプラのミョー・ウン(知事、総督)だったバイ・サヒブに仕えた高官(おそらく市長)であり、パトロンであった人物の名である。近くにミャンマー最大の僧院、マハーガンダーヨン僧院があり、橋を渡った先に有名な大理石の仏像が納められたチャウットージー僧院があるので、意外に思えるが、ウー・ベインもバイ・サヒブもイスラム教徒だった。

 1855年には博物学者で『ビルマ史』などの著作もあるアーサー・パーヴェス・フェア中将(1812−1885)が馬に乗ってウー・ベイン橋を渡ったという。新しい主人としての自信に満ちた意気揚々とした表情が見えてくるかのようだ。

 いまでこそ情緒あふれる観光名所だが、当時は、インワの旧王宮の廃材(チーク材)を再利用して作った1キロ以上に及ぶ、コストパフォーマンスを考えた現代的な意味における最先端技術の橋だった。柱の数は984本(現在は1089本)にも及び、その規模の大きさが知れる。 

 エーヤワディー川と連結しているため、たびたび水害に遭っていたが、90年代に支流にダムが建設されて以来、安定した水面が保たれるようになった。写真愛好家にとっても絶好の被写体であり、私もこうして呑気に小舟に揺られながら夕景色を撮ることができた。

 ただし近年は観光客が多すぎて(わがいい加減な感触でいえば、この写真を撮った2000年頃の10倍)写真には外国人観光客の姿が写りこんでしまうし、X字型の補強材が目立ちすぎて興ざめしてしまう人もいるかもしれない。

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