ドラマの、小説の、漫画の、4Dアニメ映画のケサル王物語
1979年にはじめてチベット語の「ケサル王物語」が西蔵人民出版社から出版されて以来、120冊以上もの「ケサル王物語」が刊行された。モンゴル語版も25冊に及ぶ。発行部数は合計すると500万部を超えるという。漢訳本や学術的な研究書もそれぞれ数十冊を数える。ケサルの語り手が吹き込んだ録音は5000時間にも及ぶというのだから、出版されたものはこれでもごく一部にすぎないことになる。数年ごとに開催される国際ケサル学会も、2012年は第5回目となり、21の国家と地域から260名以上の専門家が集まった。そのなかにはロシア・カルムイク共和国のケサルの語り手が含まれた。(註34)
こうした直接的なケサル研究、ケサル文化の発展とともに、忘れてはならないのは、テレビドラマ、映画、小説、漫画などに描かれるケサル物語だ。こうしたケサル王物語をもとにした作品が多数できることで、ケサル文化はより成熟し、大衆化し、現象と呼べるまでになった。
テレビドラマのケサル王物語でもっとも古いのは、1984年に制作された「ケサル王」だろう。ネット上でこのドラマの冒頭部を見ることができる。長大なホルンの重厚な低音が流れ(次第にやかましい音楽になる)ケサルの誕生、大活躍の少年時代、騎馬合戦、チョトンとのやりとり、王妃ジュモ(ドゥクモ)とともにのぞむ戴冠式などの場面が走馬灯のごとく現れる。1987年に制作された「ケサル王」についてはその各章ごとのあらすじがわかる。それによると全18章のうち、最後の8章がホル・リン戦争に当てられていた。(註35)
映画版ケサルについてはそれが完成したという報に接していない。しかしアニメ映画版ケサルは、「ケサル千枚タンカ展」(北京)が成功した2009年に制作が開始されている。それはただのアニメではなく、5000万人民元が投じられた4Dアニメ映画だった。2012年、アニメ「ケサル王」は東京国際アニメフェアに出品され、高い評価を得た。このアニメ版でも、ホルのクルカル王に連れ去られたドゥクモ(ジュモ)をケサルが取り戻すエピソードが中心となっている。(註36)
チベット族の人気作家、阿来が『ケサル王』(2009)に取り組んだのは、画期的なできごとだった。『塵埃落定』や『空山』といった、作家の故郷の四川省馬爾康(バルカム)の土俗的な雰囲気にあふれた小説を発表し、現代中国を代表する作家の地位を固めた阿来は、小説化するには困難を伴う対象を選んだ。古代のケサル王の世界と現代の語り部との間で交差し合う不思議な幻想的な小説ができあがった。『塵埃落定』につづく『ケサル王』の英訳版も最近出版された。(註37)
阿来につづいて衝撃的な登場をはたしたのは漫画『ケサル王』(2012)である。その作風は日本や米国の漫画の影響を受けているものの、高い作画技術でもって伝統的な叙事詩を描いている。権威ある降辺嘉措と呉偉によるケサル王物語をもとにしながらも、ケサルの強敵ホル国のクルカル王を美少年に描くなど、斬新な作品となった。ただしオールカラーのため販売単価が高く、この斬新さが売れ行きに直結しているわけではない。(註38)