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ハリー・ドミニーは父ウィリアムの家業を継ぎ、現在はサウサンプトン郊外のシャーリー地区チャーチストリート3番の肉屋の店主となった。1878年12月15日、彼はシャーロット・ペッカムと結婚し、フリーマントル行政区教会で式を挙げた。ドリーンの父となるかれらの息子、父と同じ名のハリーは、2か月前の1878年10月17日に生まれた。
父のハリーはシャーリー地区のチャーチストリート3-5番で肉屋の仕事をつづけた。息子のハリーは兄弟のフレデリック(1883年生まれ)、アルフレッド(1886年生まれ)、フランク(1892年生まれ)とともにここに暮らした。
息子のハリーは家業を継がなかった。20代前半までに彼は建物鑑定士になっていた。1900年代前半、ドーヴァー・マスターズとドミニーの会社の建築士、ヘンリー・ドーヴァー・マスターズとパートナー関係にあった。
しかしこのパートナー関係はそれほど長くつづかなかったようだ。1906年までにハリーは建築士、建物鑑定士のスタンスフィールド・C・グリーンウッドと働いていて、その関係は数年間つづいているのである。
1914年3月21日、ハリーはサウサンプトンの登録事務所でイーディス・アニー・リチャードソンと結婚した。彼女の父ヘンリー・ジェームズ・リチャードソンは一般建築士かつ土建業者で、家族はシャーリー地区チャペルストリート3番に住んでいた。
証明書によれば彼は土地測量士で建築士であるが、おそらく結婚したがゆえに、ブリストルで新しい職を申請している。それはエイヴォンマス・ドックでのエンジニアの製図者だった。グリーンウッドはハリーについて言及しているが、それによると、その8年前からかれらは知り合いだった。
その時期、私は彼を雇用していたので、私のオフィスでの重要な仕事を任せていました。そのとき彼はとても信頼できる、頼りがいのあるアシスタントだということがわかりました。彼は仕事のできる土建業者で、完璧に建築を理解していました。彼は分量を正確にとらえ、平らにし、測量することに精通していました。監督官としても実際的な知識を持っていました。私のもとを去ってからも、冷蔵建築物の建設のキャリアを積んでいました。彼が申請している地位にふさわしい人物であると考えます。
ハリーとイーディスはブリストルに引っ越し、町のモンペリ地区のクロムウェル・ロード125番のアパートを借りた。この時期、ハリーはエイヴォンマス・ドックの60万立方フィートの冷蔵建築物のデザインに取りかかっていた。
1915年9月28日、息子のハロルド・リチャードソン・ドミニーが誕生した。しかしわずか数か月のはかない命だった。1916年7月21日、胃潰瘍と吐血によって死亡したのである。このときドミニー家はグロスタシャー・カントリー・クリケット場近くのブリストルのネビルロード45番に住んでいた。
おそらく1918年から1919年の頃、ハリーとイーディスは、アイルランドのラウス州の街中をボイン川が流れるドロヘダに引っ越した。その前におそらく仕事を見つけていたと思われる。この頃、独立運動が目立ちはじめていたものの、まだ暴力は知られていなかった。ドリーンは母へ宛てた手紙のなかで、「ロイド・ジョージを殺せ」というスローガンが書かれた鉄道の橋をよく覚えておくようにと述べている。
それゆえ当初、地元の人々がかれらを疑いの目で見たのは、いたしかたないことだった。実際、かれらが宿泊できる唯一の場所は税関だった。しかしのちにかれらはシン・フェイン党のリーダーたちときわめて懇意になった。ハリーはかれらの主張にシンパシーを感じていたようである。
ハリーは建築士、建築積算士として雇われた。彼を雇ったのがだれかはわからないが、ドリーンが言うように「いい機会だったのです。ドロヘダにビルが建っていますが、これはハリーの設計だったのです」。
ドロヘダ周辺の地域にはノウス、ドウス、ニューグレンジの羨道墳(せんどうふん)を含むたくさんの新石器時代の遺跡があった。ドミニー家(ドリーンの両親)は時間があるとき、ニューグレンジを訪ねたことがあった。ドリーンが子どもの頃、母からよくそこを訪ねたときの話を聞かされたという。
両親はこの洞窟のような場所に行ったことがありました。当時はまだ人工的な明かりがなく、風変わりな年配女性の管理人がロウソクを持って案内してくれたといす。母が言うには、そこはとても気味悪く、彼女にとって怖い体験だったようです。
ドリーンはハリーを「失敗した建築士」として描く。実際、グリーンウッドが残した記述によれば、ハリーのおもな仕事は製図、建築積算、一般測量、地ならしと事務員としての仕事であり、建築設計については一言も触れていないのだ。実際彼はRIBA(英国建築家王室協会)のメンバーではなく、ほかの建築関係の団体や測量関係の団体のメンバーでもなかったのだ。
ドロヘダでの仕事が一段落つくと、ハリーの目はロンドンに向けられた。戦争が終わり、建設ラッシュが始まろうとしていた。ハリーは実際ロンドンで仕事を得るのである。
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