シャンシュンとペルシア 宮本神酒男 訳
第3章 ペルシア文明とシャンシュンの関係
3 ゾロアスター教の起源地と初期の伝播
古代イラン人は他の民族と同様、はじめ多神教を信じ、のちにその信仰は次第に三大神崇拝に発展した。すなわち三大アフラ(主の意)であるマズダー(聡明、智慧の意)、ミトラ(契約の意。のち転じて日神、軍神、光明神の意)、アパム・ナパト(水神)の崇拝である。
聖典『アヴェスタ』の「ヤシュト」第10編では、ミトラ神がイラン人の世界を天から見下ろす。それにはパルティアン・イスタカ(Parutian Istaka)、ハライリアン・マルグ(Harairian Margu)、ソグディアン・ガヴァ(Sogdian Gava)、コラズミア(Chorasmia)が含まれていた。イスタカはアフガニスタン東部のヒンドゥクシ山脈付近、パルタス人はその地域に居住する。マルグ(現在のMerv)はHaraiva(現在のヘラート)の一地区。ガヴァは居住区の意。ソグディアン・ガヴァはソグド人の居住区の意となる。Chorasmiaはコラズミア。
『ヴェンディダード』第1章ではアフラ・マズダーが創造した地区として、アリヤナ・ヴァエジャー(Aryana
Vaejah)、ダイティヤヤ(Daityaya 現在のアム・ダリア川)、ガヴァ(Gava ソゴド人居住区)、モウル(Mouru 現在のメルヴ)、バフディ(Bakhdi すなわちバルフ)、ニサイム(Nisaim メルヴとバルフの間)、ハロユム(Haroyum ヘラート付近)、ヴァエク・エレタ(Vaek Ereta カブール一帯)、ウルヴァ(Urva 不詳)、それにホラズミアが挙げられている。
これらの地域はいずれもイラン東部である。「アヴェスタ」の言うイラン人とは東部のイラン人のことであり、イラン文化であるゾロアスター教の起源はイラン東部のことなのだ。イラン神話のアーリア人地区(アリヤナ・ヴァエジャー)はもともとイラン北東部であり、のち東南部のソグディアナ、大夏(バクトリア)、ガンダーラをも指すようになった。
このようにゾロアスター教の起源地と古代チベット人の住んだチベット高原、とくに高原西部(ンガリ)およびシャンシュンとはきわめて接近していたことになる。両地域の文化交流が行なわれるには絶好の条件がそろっていたのだ。
唐代のはじめ、インドへ取経の旅に出た玄奘は、途次、名僧を輩出しているガンダーラに寄り、「天祠は百を数え、異道が雑居する」というさまを見た。カピーシーでも同様で、「天祠数十箇所、異道千人余り、ある者は裸で、ある者は灰を塗り、ある者はドクロをつなげて頭飾りとしていた」という。この天祠はジャイナ教徒か大自在天(シヴァ)崇拝者の祠だろうが、ゾロアスター教徒の祠の可能性もあるだろう。
カシミールを隔て、これらの地域の向こうはチベットであり、おなじことが起きても不思議でない。
ゾロアスター教の伝説によると、ゾロアスターがウィシュタースパに布教した頃、インドにチャンランハチャ(Changhranghacha)という有名なバラモンがいた。彼はウィシュタースパに書簡を送り、ゾロアスターの教義を受け入れないようにすすめた。ところがウィシュタースパは逆にバラモンに、バルフへ行ってゾロアスターに会うことをすすめた。バラモンはバルフでゾロアスターの真の教えと接し、ゾロアスター教に帰依し、インドにもどって教えを布教したという。別のバラモン、ヴィヤサもまたバルフで改宗している。
これらのことから、アケメネス朝成立以前から、ゾロアスター教はカンダハル、ペシャワール、パンジャーブを通ってヒマラヤ南部の平原にまで伝播していたのではないかと思われる。
アケメネス朝の領土はパンジャーブまで含み、サーサーン朝とインド北西部もまた密接な交易関係を築いていた。アルダシール1世、バハラーム2世、ホルミズド2世、バハラーム5世らはみなパンジャーブやシンドゥに軍隊を派遣した。
D・B・ディスカルカル(Diskalkar)の考証によると、インドの『マハーバーラタ』や『プラーナ』および4、5世紀の著名なサンスクリット作家カーリダーサの『ラグ・ヴァンシャ』はどれもパラシカ人(Parasikas)を登場させている。クシャーナ王朝滅亡後、彼らはラージプータナーとカシミールの間に王国を建てたが、サーサーン朝の統治下にあったらしい。この国は7世紀までつづいた。