シャンシュンとペルシア 宮本神酒男 訳
第5章 ユンドゥン(卍)と吉祥の数詞
3 ユンドゥン(卍)とボン教の関係
後世のボン教歴史家によると、ボン教聖地オルモルンリンは八弁の蓮華の形状をしていて、それに対応するように天空にも八柄の輪形があった。ほかに大地には九層のユンドゥン山があった。この山は九つの重なるスワスティカ(卍)だった。ユンドゥンは仏教の金剛に相当し、永遠の目印だった。
ユンドゥンの符号はボン教だけのものではない。仏教や早期のゾロアスター教などほかの宗教でも、あるいはあらゆる民族のなかにあった。その意味は多種多様で、ある学者は生殖器を表わす象徴的な記号だと言い、ある人は雌性を示す本源的象徴とし、懐妊と生育の象徴だとか、古代の商標のようなものとか、火や光の記号、雷電など、さまざまな解釈がなされてきた。
しかし大多数の人は、それが宗教的象徴であったことに異議をはさまないだろう。総合的にいえば、それは自然、人間の両者の意味を持っていた。
人間の面では、母性と生育が関連している。人類初期の、母性と生殖器が崇拝された時代の名残である。古代では、女神を表わすのにこの記号が使われた。たとえばペルシアの月の女神で野生動物の女神、かつ狩猟の女神であるアルテミスも、ギリシアの婚姻と夫婦愛の女神で、妊婦を助ける女神でもあるヘーラーもそうだった。
古代メソポタミアのトロイ第3城で(訳注:そもそもトロイはメソポタミアでなく、現在のトルコ北西部にあり、この情報はどこかが間違っている)ナナー女神の神像が発見された。
「(女神の)陰門は巨大な三角形で表示される。三角形の上には三つの円がある。三角形内の左側と右側にはそれぞれ円が列を成している。神像のなかでもっとも奇異なのは、スワスティカ(卍)である。それは三角形のまさに真ん中に描かれている」(マックス・ミュラー)
どうやら原始的な社会においては、両種(人間と自然)の多産のうち、人の多産、つまり繁栄を尊ぶ志向性があり、それは多産崇拝につながり、昇華されて宗教信仰にまでなったのだろう。
このスワスティカ(卍)が表わすもうひとつの多彩な面は、自然現象だろう。たとえば雷電、太陽、火など。そのうち太陽と火が突出している。これにより学者らは、この記号は大気現象の象徴、あるいは大気の神々の象徴としてとらえ、雷電神がその代表的なものと認識している。稲妻に似た記号がつねに宗教に応用されているのもそのためだ。
ただしこの記号が普遍的意味を表わす場合、通常記号が表わすのは、太陽と火である。学者は記号が太陽を表わす理由を四つあげる。
その一。その形から、記号の四手が四方に放射される太陽の光線のように見える。その二。太陽の三つ又紋様か、それに類似したものを表わしている。これは太陽の活動、あるいは春夏秋冬、または朝、昼、晩の象徴。その三。この記号と太陽や太陽神は同時に出現することが多い。両者は密接な関係にある。その四。記号は太陽光の象徴。このようにこの記号は太陽や火の象徴性の豊かさを示している。
チベットのボン教では、この記号は太陽光、あるいは永遠不変を表わす。いわゆるユンドゥン卍字の意味は光明であり、その形は太陽の光線が四方に放射され、創造しているさまを表わしている。
ボン教徒は太陽を崇拝し、火を崇拝し、開祖は天界に生きる神で、光の縄を通じて人間界にやってきて、使命を帯び、ボン教の教義を伝播すると信じている。
このようにボン教では、すべての神聖なるもの、高貴なるものが光と関係がある。ボン教徒によって改変された祖先源流の伝説のなかでは、吐蕃王族の祖先、すなわち天赤七王は光の縄を通じて人間界にやってきたが、のちディグン・ツェンポのときその光の縄は絶たれてしまう。そのため後世のツェンポは死後天界に帰るすべがなく、遺体は人間界に留まったので、墳墓が建築されることになったのである。
ボン教が採用したこの卍字はチベットの古代先住民の太陽崇拝と関係があるが、それ以上にシェンラブ・ミボが布教したユンドゥン・ボンの教義とより密接な関係があるようだ。ボン教史書の論法でいえば、シェンラブは天界から、あるいは聖地タジクからやってきたとき、白色の光のなかから出現した。ユンドゥン・ボンは光明を崇拝し、一切事物の誕生は光明と関係していると考えるのである。
光明は一切の善とすばらしいことの源であり、あるいは一切の智慧と偉大なる創造は光明と関係し、その光明をこの卍字で表わすのはとても理にかない、筋が通っているのである。
ボン教の著作者たちがこの記号に新しい解釈を加え、その他の要素、とくに仏教的解釈を受け入れるのは、後世のことである。