ゾーハルの真髄 

9章 シェヒナー:世界の神 

 

 旧約聖書の時代、創造主の存在は人々の心や精神のなかで経験されるだけでなく、感覚によっても得られるものだった。神を直接見ることはできないので、雲や火の柱といった形によって目にはっきりと映るか、神の声として聞かれなければならなかった。だれにもというわけではなく、アブラハムやモーセといった族長だけだったかもしれないが。

しかしながら次第に、創造主は触れがたくなり、特定し難くなっていった。賢者が言うには、偶像崇拝者が作る木や石の像と対照的に、神の本質はわれわれの感覚が届かないところにあるばかりか、われわれの知的パワーが及ぶ範囲をはるかに凌駕していた。いまやわれわれは創造主から隔絶された場所に生きているのだ。

創造主とわれわれの間に存在するさまざまな領域を突破し、究極的に聖なるものと一体化する精神的な仕事がわれわれの使命だが、日々の生活の中でわれわれは間接的ながらも神を体験することになる。すなわち神の光の現れを通じて、あるいはカバラーがシェヒナーとして認識する聖なる存在を通じて。

 シェヒナーとはヘブライ語の動詞「shakhan」から派生した語で、「住む」あるいは「なかに住む」を意味する。意義深いことに、ヘブライ語の動詞には女性形があるので、シェヒナーという語のなかに女性の性質が現われている。シェヒナーは光の女性の側面なのである。それは具現化するエネルギーであり、そのようにわれわれの身体の領域にもっとも近い光の表現なのである。

 『ヘブライの女神』という題がつけられた古代宗教についての権威ある研究書のなかで、人類学者の故ラファエル・パタイはイスラエルの人々におけるシェヒナーの歴史的発展を追求している。パタイはスピリチュアルな作家ではなく学者らしい学者だったが、アカデミズムぎりぎりの範囲内で、古代イスラエルの精神生活において、創造主が抽象的な存在になるとともに、シェヒナーの重要性が高まってきたことについて彼は明確に描いている。

 パタイによると、われわれの世界に存在する、そして精神的に同調した人々の感覚によって感受することができる神の側面として、シェヒナーは明確にアイデンティティを刷新することができるのだ。このように、彼女(シェヒナー)は偶像崇拝を含むネガティブな精神主義に対する重要な解毒剤であり、つねに「地上をうろつく」暗闇の天使に対する感受性である。(ヨブ1・7) シェヒナーはきわめて明確な女性エネルギーと個人性を持っている。

 パタイや他の学者たちによる説明は興味深いものの、カバラーがたんなる歴史的現象ではないということを理解しなければならない。ゾーハルはたんなる文化的産物ではない。もっと重要なことは、ゾーハルの一節に描かれるように、それは私たちの生命における純粋な存在であるということだ。

(つづく)