(5)複数のダライラマ 

 ダライラマ六世が生き延びたとすると、それはたいへんなパラドックスを生み出すことになってしまった。ダライラマが複数存在することになってしまうのである。上述のように、ラザン汗は、ダライラマ六世(ツァンヤン・ギャツォ)は本物でないとして、どこかから別の若者を見つけ出して座に据えようとしたが、同族のモンゴル人からも十分な支持が得られなかった。結局ツァンヤン・ギャツォはその正当性が認められ(現在も認められている)、七世ロサン・ケルツァン・ギャツォがリタンで発見された。しかし、もしツァンヤン・ギャツォが死を免れて、モンゴルの高僧となって寿命をまっとうしたとするなら、その転生の系譜はどうなってしまうのだろうか。

 転生ラマ制度は、しばしばそうした矛盾を引き起こした。この制度をおそらく最初に採用したカギュー・カルマ派のカルマパ(黒帽)も、分裂した転生ラマの一つになってしまっている。現在、オギェン・ティンレー・ドルジェ(1985年生まれ)とウギェン・ティンレー・ドルジェ(1983年生まれ)の二人がカルマパ十七世を主張しているのだ。現ダライラマ法王やチベット亡命政府の支持を得ていることから、圧倒的に前者が有力になっているが、伝統にのっとり、シャマルパ(紅帽)の承認を得ている後者も負けを認めているわけではない。

 そもそも現代の我々が考えるほど、ダライラマは絶対的な存在ではなかった。

 最初のダライラマが誰かご存じだろうか。まるで頓智クイズみたいだが、答えはダライラマ一世ではなく、三世である。モンゴル人の地域で積極的に布教していたゲルク派のソナム・ギャツォ(1543―1588)には、青海湖南岸のチャプチャで、1578年、モンゴルのアルタン汗からダライラマ(ダライはモンゴル語で大海の意味。ラマはチベット語で導師の意味)という称号が贈られた。この時点では、称号の中でももっとも名誉あるもの、というわけではなかった。ゲルク派のダライラマはモンゴルのバックアップがあったからこそ、ライバルであった転生制度の本家、カギュー・カルマ派のカルマパを圧倒するようになっていた。

 ソナム・ギャツォが遷化したあと、モンゴルのアルタン汗の甥ユンテン・ギャツォ(1589―1616)が四世に選ばれた。最初の転生ダライラマは四世だったのである。しかもチベット人ではなく、モンゴル人だった。ダライラマ一世と二世は、それから追認されたものである。一世ゲンドゥン・トゥプパは、ゲルク派宗祖ツォンカパの高弟であったことから選ばれたと一般的には考えられている。一世の没年と二世の生年・没年、三世の生年は、生まれ変わるのにちょうどいい間隔があいていた。都合よすぎるのではないかと思う人もいるだろうが、チベット人からすれば実際に転生しているのだから、ほどよい間隔があいているのは当然だった。

 三百年前は、まだまだ転生ラマ制度が十分に確立されていなかった。ナムタル(伝記)の原書でも、作者(ノムンハン)は、「アヴァローキテーシュヴァラ(観音、すなわちダライラマ)は無限の世界で姿を変えることができた」と記し、同時にいくつもの体に現れることができたと述べている。

六世に批判的だったのは、ほかでもない、ダライラマ十三世(1876―1933)だった。彼はチャールズ・ベル卿との対話で、「身体から身体へのジャンプ」に苦言を呈している。彼は言う。「(ツァンヤン・ギャツォは)あるときはラサ、あるときはコンポ、あるいはほかのどこかと、同時にいくつかの場所に現れます。尊い場所に退かれた(すなわち死んだ)ときも、それがどこであったかわかりません。モンゴルのアラシャンに墓があり、デプン僧院にもあるのです。どの宗派であれ、同時にいくつもの体があるのは許されていません。なぜならそれは混乱を招き寄せるからです」

 このリアクションには驚かされてしまう。現代のチベット仏教徒でない者からすれば、ポタラ宮にいたダライラマ六世ツァンヤン・ギャツォ、チベットや中国、ネパール、インドの聖地を巡った遊行僧、モンゴルの高僧は別々の人物としか思えない。このナムタルは作者の(この高僧はダライラマ六世に違いないという)思い込みか、あるいはフィクションとして書かれたかに違いなかった。そうでなければ、マイケル・アリスが言うように、この高僧はダライラマ六世のなりすまし(impersonator)だろう。

 
すべてを信じるダライラマ十三世からすれば、ツァンヤン・ギャツォは同時にいくつもの場所に現れることのできるミステリアスな力を持った特殊な人物だった。しかし客観的に見ると、ナムタル、つまり聖僧伝は脚色される傾向にある(註1)が、この六世のナムタルは極度に盛りすぎたものであるということだ。講話の中であきらかにしたエピソードもたくさん詰め込んだため、「奇書」のように見えてしまうのかもしれない。
[註1:たとえば二十世紀のナムタルで、村が人民解放軍に侵攻されたとき、高僧は空を飛んで逃げた、と書かれたものがあった。我々は信じがたい能力よりも、どうやって逃げたかのほうに興味があるのだが] 


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