カムで天然痘にかかる

 ジャン('Jang 麗江)への道を探ったがわからず、目的地をギャルモロン(rGyal mo rong)に変え、進んだ。カルギャ寺(dKar rgya dgon)というヴァイローチャナ派(Bai ro’i chos lugs)に属する寺院に着いた。近くにヴァイローチャナ大師が修行をしたという岩洞があり、すごしやすかったので、私はここに何ヶ月も滞在した。この間私の験力は増し、吉兆も何度か出現した。仏にかけた願がかなったのか、お布施をしてくれる人は後を絶たなかった。

 それからツァワロン(Tsha ba rong)へ向かった。土の鼠の年(1708年)の七月、荒れ果てて辺鄙なツァワロンのドルゲ村(Dor dge)に着いた。ここは草木が茂り、野生の果実が成り、土地は広かったが、人は少なく、楽土のようだった。

 当時カム地方には天然痘がはやり、無人化した村も少なからずあったと聞いていた。しかし自分のからだも調子が悪くなり、動けなくなるとは思いも寄らなかった。「恐ろしい病気にかかってしまったのだろうか」と自らに問いかけた。

 どうしようもなく、葡萄の木の下に倒れこむと、全身に腫れ物はあらわれ、水ぶくれができるのがわかった。激痛が走り、耐え切れなかった。顔や全身が腫れ物で覆われたので、目を開けようにも開けられず、からだの向きを変えようにも変えられず、おまけに飲み食いもできないので、飢えと渇きに苦しむことになった。日中の日差しはあぶりだすように強いのに、夜の風は骨にしみるほど寒く、地獄のさまだった。苦痛はあまりにもはなはだしく、意識がもうろうとして、何日、何夜すぎたのかもわからないほどだった。

 虫の息といったありさまのとき、最後の力をふりしぼって上師三宝にお祈りを捧げた。前世の悪業を取り除き、疫病が消えるように切に祈った。こうして十数日が経過しただろうか、全身の疱瘡は膿み、衣服も膿みとまじってぐしょぐしょに濡れたので、シラミもろともに絞った。生き物を殺したのでさらに罪状は深くなっただろう。



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