オルドスを訪ねる

 竜の年、ジュンガルのシシ・ナムギェル・ドルジェ(Si si rnam rgyal rdo rje)の求めに応じて(向かう途中)オルドゥスのタシ・チューリン禅院(bKra shis chos gling)を訪ねた。尊者は「この地には以前少なからず三事(長浄と安居、解制 gZhi gsum; gso sbyong dang dbyar gnas dgag dbye gsum)がありましたが、その伝統を復活するためにも修築いたしましょう」と仰せられた。ここに尊者は夏の間滞在された。これによりオルドスのツルカン・ザサ(tsur ghan dza sag)に三事の伝統が蘇った。

 当時タシ・チューリン寺の護法神(srung ma dam jan)は非常に凶悪で、僧侶たちにはあまりに毒が強すぎた。尊者は護身結(pyag mdud)を結び、その護法神をなだめ、平定した。僧らはますます尊者に対する敬愛の念を強く持った。

 タシ・チューリン寺には当時出家人が三千人以上もいた。馬の年(1738年)私はチベットから戻ってきて、尊者にその成果を報告した。私は携えてきたものを尊者の御前に運んだ。弥勒の仏像やカンギュルなどを神幕のなかに入れ、祭品を献上し、浴仏礼を行なった。尊者は喜ばれたが、とくに弥勒仏はめずらしいものだったので、こう仰せられた。

「なんとすばらしいことか。いま銀でできた人身ほどの菩提の塔も完成したし、金の嵌った一対の白色の法螺、幟、傘などみな都から運ばれてきたものである。これでモンゴルでもモンラム(大祈願法会)を行なうことができるだろう」。

 こうして(モンラムではないが)収集された宝物を用いて開眼供養が行なわれたのである。盛大な祭礼を行なうことによって大海のような功徳が積まれたにちがいない。

 土の羊の年(1738年)アルシャーにおいてラサのようなモンラム祭が行なわれた。チャム(仮面劇)の規則もそのとき決められ、現在に至っている。三尊(bDe gSang ’Jigs gsum すなわちヘールカ、金剛手、大威徳)の祭礼は頻繁に営まれた。のちに尊者は定期的に勝楽遍明(bDe mchog kun rig)、金剛手大輪(Pyag rdor ’khor chen)、観世音(sPyan ras gzigs)、大威徳(’Jigs byed)などを奉じる大祭礼を行なった。これは現在夏のモンラムと呼ばれる。

 鶏の年(1739年)、エルケ・チュージェ(Er khe chos rjes)を頭とする檀家のグループが尊者を招聘した。当時、オルドスのツルカン・ザサのすべての家が尊者を呼びたがっていたのだ。あらゆる法事、仏事の類を要請に応じて執り行ったので、すべての施主、檀家は満足した。

 カルカ地方のメルゲンパイ・ホワン(Mer gen pa’i ho wang)、チューペ・ザサ(Chos ’phel dza sag)、トンモ・グン(Thong mod gung)、ワンチェン・キャブグン(dBang chen skyabs gung)、他界したホル・ゴルザサ(Hor ghor dza sag)、それにトルコン・テンキョン・シシ(Thor khong bston skyong si si)もまた施主だった。 



⇒ つぎ