(1)飛行船の惨劇を予知

 1926年のこと、ロンドンのハイド・パークを散歩していたアイリーン・ギャレットは何気なく空を見上げた。そこには夕焼けの空に向かって飛んでいく銀色の物体が見えた。彼女はドイツのツェッペリン号ではないかと思ったが、そんなはずはなかった。ツェッペリン号を見たのは十年前の1916年のことだったのだ。

 その二年後、降霊会に参加するためカレッジに向かって歩いているとき、ホーランド・パークから上空を見上げると、またも飛行船が飛んでいた。まわりには人がたくさんいたが、だれも飛行船には気づいていないようだった。すると飛行船はぐらぐらと揺れ始め、機首を下げ、煙を出して雲の向こうへ消えていった。

 大惨事が起こったにちがいなかった。降霊会が終わったあと(そんなに早く記事が出るとは思えないので、おそらく翌日の間違いだろう)詳しい記事を読もうと街でいくつかの新聞を買った。ところがどの新聞にも大惨事の記事は出ていなかった。

 翌年の1929年、アイリーンはふたたび上空に飛行船を見た。それは煙を出すだけでなく、火を出していた。今回もいままでと同様、新聞記事になることはなかった。そのときはじめて彼女はそれがこれから起ころうとしていることの幻影であることがわかった。しかしなぜ自分が選ばれ、幻影を見ることになったのか理解できなかった。

 ちょうどその時期に、英国がR100とR101のふたつの飛行船を製造しているという公式発表があった。それらは完成するとインドへ向けて飛行するということだった。

 アイリーンは飛行船が墜落することを確信していたので、友人を通して国家航空局の長官セフトン・ブランカー卿と連絡を取った。ブランカーは幽霊飛行船の話を面白がり、「じゃあ事故にあうのは二機のうちのどちらですか」と尋ねた。アイリーンは「R101です」と答えた。まさに一年後、事故にあうのはR101だった。航空大臣のトムソン卿は「飛行船は家とおなじくらい安全です。たとえ事故があるとしても、それは一万分の一の確率でしょう」と話した。

 その前年、1928年の時点でアイリーンはすでに警告を発していた。有名な心霊主義者でもあったシャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルは、レイモンド・ヒンクリフ機長の未亡人であるエミリー・ヒンクリフのために降霊会を開いてくれるようアイリーンに頼んだ。機長はその年の3月、大西洋横断の飛行に失敗し、帰らぬ人となっていた。ロンドンの心霊主義者同盟においてアイリーンはトランス状態に入り、亡きヒンクリフ機長とコンタクトし、メッセージを受け取った。それは妻を通して友人であるR101の操縦士アーネスト・ジョンストンに警告を発したものだった。トムソン卿と同様、ジョンストン操縦士も警告を面白がるだけだった。結局ふたりとも事故にまきこまれて死亡することになるのだった。


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