(2)事故機に乗った人々の霊の証言

 コナン・ドイルは1930年7月7日に死去した。10月2日、ニュージーランドから来たジャーナリスト、イアン・コスターはナッシュ誌のためにコナン・ドイルの記事を書いていたのだが、ドイルの心霊主義がどれほどのものか確かめるいい機会だということに気がついた。ドイルは当代きっての心霊主義者であり、生者は死者と話すことができると信じていた。コスターは心霊研究家でゴーストハンターと呼ばれたハリー・プライスと接触した。彼はロンドン・ケンジントンの国立心霊主義研究所へと向かった。ここで彼は多くの霊媒のいかさまを見破っていた。プライスはアイリーンに電話をし、友人のために降霊会に出てほしいと頼んだ。友人とはコスターのことだった。彼はアイリーンを選んだのは、彼女がもっとも科学的な精神をもった霊媒であり、心霊主義者ではなく、感情的になることもなかったからだと説明した。

 トランス状態のアイリーンにアラビア語訛りで話す人格、ウヴァーニが現れた。彼はプライスに、一年前死んだドイツ人医師アルバート・フォン・シュレンク=ノッツィンからのメッセージを渡した。ウヴァーニは、コスターにも年取った女性からのメッセージを渡した。コスターはそれが祖母からのものだと考えた。

 ウヴァーニは当初静かに話していたが、突然恐怖におびえ、ふるえながら「私はその瞬間を見たのだ」と言い始めた。この霊はR101の機長カーミカエル・アーウィンで、炎に包まれた飛行船に乗っていたと語った。霊はあわてて神経質にしゃべった。

「エンジンの容量のわりに機体が大きすぎたのだ。機体を上げようとしたが、昇降舵が動かなくなり、油管もふさがれてしまい、どうしようもなかった。高度が下がりすぎて、上昇することができなかったのだ」

 こういうふうに延々とアーウィンは専門用語を交えながら語った。あわただしくしゃべるのは、尾ひれをつけないで言葉に移し変えねばならなかったからだったろう。

 コスターの記事がナッシュ誌に載ったあと、R101が造られたベッドフォードの王立飛行船造船所の事務官W・チャールトンはプライスに手紙を書き、降霊会でアーウィンが語った内容のコピーを求めた。彼はコピーを詳しく読んで、それが驚くべきドキュメントであると考えた。専門家にしかわからないことが専門語を使って語られていたのだ。そして彼は結論づけた。

「アーウィンは肉体を失ったが、降霊会で人々と接することができたのだ」

 ほかにもアーウィンと親しかったパイロットで航空の専門家でもある航空大佐ウィリアム・H・ウッドはアイリーンの言葉使いに驚かされた。たとえばプレートのかわりに航空用語のストレーク(条板)を使っているのだ。

「総浮力の算出が不能になり、制御板にまちがった情報が届いている」とアイリーンが言った内容はまさに故障の原因のひとつであったことがあとでわかった。また「燃料の注入がうまくいかなかったため、空気ポンプが作動せず、機体を上昇させることができなかった」ということもわかった。

トランス状態のアイリーンは(すなわちアーウィンは)「アシー(Achy)の屋根をかすめた」と言った。この村は一般の地図には載っていなかった。

 ウッド大尉は、生前のアーウィンがしゃべるときの癖を認識することができた。「この降霊会によって死後の生存が証明されないなら、未来永劫証明されることはないだろう」

 同じ月の終わり、航空局長官のセフトン・ブランカー卿につづいてふたたびアーウィンの霊が現れた。それが最後だった。

 ブランカーにR101に乗ることをすすめたオリバー・ヴィリヤースは、超能力を持っているわけではなく、心霊主義者でもなかったが、三週間後、死んだ友人の存在を感じ取ることができた。ブランカーやアーウィンのほか、スコット大佐、ジョンストンといった友人がR101に同乗していた。

 ヴィリヤースのために7回ほど降霊会が開かれた。毎回アイリーンがトランス状態に入るとウヴァーニが現れた。はじめ知らない人のメッセージばかりだったので、ヴィリヤースは疑いを持った。ようやく古い友人の声を認識することができた。「アーウィン、アーウィン」とその声は言った。「どうか行かないでくれ。私は話さなければならないのだ」

 ブランカー、スコット大佐(スコッティー)、コルモア司令官、ジョンストン操縦士らがつぎつぎと現れた。アーウィンは言った。

「われわれはひどい殺人者だよ。ねえ、そうだろう。そうじゃないって言いたいけどさ」

「ちょっと待ってくれよ、最初から話してくれないか」

「ああそうだな。出発前の午後、ガス目盛が上下していることに気づいた。つまりそれはガスが漏れているか抜けているってことだ。私はそれを止めることも修理することもできなかった。それでカーディントンに着いたばかりのトムソン(航空大臣)にガスが漏れているって言ったのさ。でもトムソンはこう言ってのけた。『気にすることはないだろう。こんなささいなことで出発を遅らせるとでもいうのかね? それは不可能というものだ。帝国議会のためにわしは戻らねばならないのだ。スケジュール通りに出発しないといけない』とね。私は異を唱え、スコッティーにも相談した。でも結局出発することになった。ドーバー海峡を渡り終えたとき、われわれ三人はすべてが終わったことを悟った……」

 ヴィリヤースは最後の瞬間についてアーウィンにたずねた。アーウィンは風速、ガス・バッグ圧、ガード、電気系統などについて詳しく話した。またバックファイアーとそれによるガスへの引火によってディーゼル・エンジンの爆発が起こったという。

 1930年11月2日、二回目の降霊会でウヴァーニが現れ、ヴィリヤースに言った。

「40歳から45歳くらいの男性が見えます。陽気な人柄で、耳のあたりの髪の毛には灰色が混じっています。口髭をはやしていて、それですこし年を取っているように見えます。あなたに向かってこわばった笑みを浮かべてこう言います。『私の名は明かさないぞ。だれであるか気づいてほしいのだ。これは重要なことだ』。彼はいま手をウエストコートのポケットにいれ、丸い片眼鏡をかけ、『さあ、知性を使いたまえ』と言いました」

 ヴィリヤースは、片眼鏡と「知性を使いたまえ」という口癖からそれがセフトン・ブランカー卿であることを理解した。

「ああ、ブランクスさん、もちろんわかりますとも。飛行船の中でいつ状況が悪いと気づかれたのでしょうか」

 ブランカー卿の霊は詳しく説明する。アーウィン、スコット、ジョンストンらは飛行の続行中止を提案したが、トンプソンは中止なんて話にならないとにべもなかった。ブランカー卿も度胸がないなどと思われたくなかったので、このまま飛び続けるべきだと主張した。ドーバー海峡を越え、フランスのどこかで飛行船は急降下しはじめた。

「われわれの名誉は保たれたと思っている。悪天候を呪ったよ。そのために降下せざるをえなかったのだ」

 つぎにスコット大佐の声があらわれた。

「おお、ヴィリヤース、口にするのもばかばかしいよ。考えてもみてくれたまえ。すべての生命、経験、財産、それらが一瞬で無に帰したのだ。何のために? 何のためでもないのさ」

「ご老体、原因はありますよ。いまはわかりませんけどね」

「たしかにそのとおりだ、ヴィリヤース。だがもし君がおなじ恐ろしい状況に巻き込まれたら、われわれとおなじことをしただろうよ。国の名誉のためにやりとげなければならなかったのだ。千にひとつのチャンスだとしても、成し遂げなければならなかったのだ」

 ヴィリヤースはコルモアやジョンストンらほかの同乗者とも話をした。彼はそれをふまえて事故調査委員会のジョン・サイモン卿に降霊会のことを話した。

 法廷での長いランチのあと、サイモン卿は降霊会の内容を事故調査報告に含めることを拒否した。法廷ではとうてい受け入れられないだろうと断言した。ヴィリヤースは降霊会のやりとりの記録をサイモン卿に渡しただけだった。

 それから25年後、彼は降霊会の記録をジェームス・リーサーに渡した。リーサーはそれをもとに『百万分の一の偶然、R101の真実』を書き上げる。ヴィリヤースはリーサーにあてた手紙のなかでこう述べている。

「ここに語られているのが悲劇の本当の原因です。それを明かすのが私の友人たちの願いなのです。死者との会話を信じる人々は確信をもつことになるでしょう。しかし目下のところ決定的な証拠はないのです。しかし記録されたものはすべて真実だと私は信じています。その気持ちはいまでも変わりません」

 

 作者のアラン・アンゴフはいわば身内の人間なので、アイリーン・ギャレットに疑問を呈するということはありえない。私は懐疑主義の見方はあまり好きではないが、やはり疑ってかかる精神は必要なことだろうと思う。霊媒が航空関係の専門用語を駆使するのは信じがたいことだが、たとえ高等教育を受けていないとしても、尋常でない勉強をし、かつ吸収する能力があったと考えられなくもない。もしそうだとすれば彼女の霊媒は一種のペテンということになるけれども、万人および専門家を納得させるほど特殊な分野の知識を自家薬篭中のものとするのは、それはそれで驚異的なことである。


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