(6)叔父の死、初恋、叔母との別れ

 アイリーンは呼吸疾患を患うようになっていた。国立学校で健康を維持するのは難しく、11歳になったとき、マーサ叔母さんは彼女を環境の整ったダブリンの私立学校へ送ることにした。

 校長とふたりの姉妹によって経営される学校は厳格なプロテスタントの学校で、数学、外国語、音楽、政治史などを教えた。生徒は10歳から16歳までの60人の女の子たちだった。アイリーンは5人の女の子といっしょにドミトリーの部屋をシェアした。

 アイリーンは聖書の物語に関しては専門家のようによく知っていた。カトリックの学校でみっちり教え込まれたからだ。成績は全体によくできたが、外国語と音楽は苦手だった。単語を繰り返し唱えるという単純作業が嫌いだった。また音楽の授業でもピアノでおなじ音を繰り返し弾くのが耐えられなかった。彼女は教師の弾いた音以外のノイズを背骨や膝に感じ取ってしまうので、おなじ音を弾くように言われても、まったく違った音を出してしまうのだった。

 アイリーンは本格的な肺炎にかかってしまい、家にもどって何か月か休養することになった。おなじ時期に叔父も肺炎にかかり、死んでしまった。叔父にたいしては深い愛情を抱いていたので、彼女は大きなショックを受けた。それは嫌いな叔母とのあいだの緩衝役がなくなってしまったことを意味していた。彼女は教会墓地での叔父の埋葬に立ち会うこともできなかった。

 二、三週間後、叔父が部屋にやってきた。元気そうに見えた。叔父はマーサ叔母さんの言うことを聞くようにアドバイスした。というのも二年以内に彼女はアイルランドを離れることになっているからだというのだ。この訪問は彼女を喜ばせた。死者は完全にその存在を消すわけではないのだ。どこか別の世界があり、そこで生きているのだ。彼女にとって死者はいかなる生きている人間より近しい存在だった。

 数か月後、身内からもうひとりの死者が出た。アン叔母さんが亡くなったのだった。今回は叔父さんのように強い愛情を持っているわけではなかったので、遺体を見ることができた。あの小鴨たちのようにその遺体から煙のような物質が螺旋状に立ち昇っていくのが見えた。

 アイリーンは健康を回復し、学校に戻った。そしてトリニティー・カレッジに通う年上の魅力的なアルゼンチン人医学生と知り合った。誘惑したわけでもされたわけでもないけれど、互いに惹かれあったのだ。このことは校長の知るところとなり、叔母さんに知らされた。

叔母さんは彼女をしかりつけ、きつく言った。

「あなたの両親は罪深くてあんな罰を受けたのよ。あなたにはやはりその血が流れていたのだわ。あなたの母はカトリックの外国人に対する肉欲を抑えることができなかったの」

 部屋に戻れば「子供たち」が慰めてくれた。しかし彼らが来る回数は減り、13歳の誕生日を境に消えてしまった。

 つぎの二年間、アイリーンはしだいに政治に興味をもつようになった。アイルランド独立をめざす集会に参加するようになった。

 15歳のとき、前回よりひどい結核にかかった。医者は、アイルランドの気候では完治しないから南イングランドに行ったほうがいいだろうとアドバイスした。マーサ叔母さんはコーンウォールの学校に入る手続きをするが、アイリーンはその手前のロンドンに留まってしまう。彼女は義母のもとから離れ、はじめて絶対的自由というものを感じた。


⇒ NEXT