(7)最初の結婚、子供の死、ホステル経営、二度目、三度目の結婚

 16歳のアイリーンは20歳の建築家クライブ・ベリーと出会い、一回デートしただけで結婚を申し込まれ、承諾した。アルゼンチン人医学生との恋といい、彼女はずいぶんとませた少女だったようだ。そのニュースを聞いたマーサ叔母さんは驚いて甥をロンドンに行かせた。結婚をするのはあまりに早すぎると思ったのだ。しかし甥はロンドンに着くと、結婚をいさめるどころか祝福した。すぐにアイリーンとクライブの新婚カップルはパリへ新婚旅行に行った。すべて順風満帆のようだが、アイリーンはろくに知らない男と結婚したことを後悔し始めていた。

 クライブはロンドンに庭付きの新しい家を構えた。アイリーンは料理や掃除をしようとしたが、それは家政婦の仕事だとしてクライブはやめさせた。またアイリーンの奇妙なふるまい、つまりほかの人に見えないものを見ることをやめさせようとした。それは「病気」だった両親から受け継いだ形質であり、いま治さなければ、本当の狂人になってしまうだろうと考えたのだ。

 結婚後4か月、アイリーンは夫に妊娠したことを告げる。しかし夫はほとんど反応を示さず、むしろ冷淡だった。彼が結婚前に関係をもっていた愛人のもとへ戻ったことを、アイリーンは知っていた。出産は医者や看護婦の助けがなかったため、たいへんな苦痛を味わうこととなった。

 赤ん坊(長男)をあやしているとき、声が聞こえた。「赤ん坊はもうじきおまえのものでなくなるだろう」とその声は言った。

 一年後、二男が生まれた。アイリーンはその子がそれほど長生きしないだろうと思った。しばらくして長男は髄膜炎で死亡した。それから五か月後、二男もまたおなじ病気で死亡した。

 まもなくしてアイリーンはふたたび妊娠した。しかし新しい赤ん坊はわずか数時間後に死亡した。

 そのころから何かを感じることができるようになった。骨を通して見ることができるようになった。耳以外のからだのどこかで声を聞くことができるようになった。これはいわゆる透聴であり、テレパシー能力につながるものだった。しかし狂気への道をたどろうとしているのではないかと彼女は不安になった。

 アイリーンは夫とともにロンドンでも指折りの精神科医を訪ねた。その診断は、夫婦の性的問題によって引き起こされたとするものだった。医師は彼女の(何かを)「聞く」「見る」「幻視する」ことについては無視した。夫婦の結論は「精神科医は役に立たない」ということだった。

 アイリーンはロンドンで食べ物のケータリング・ビジネスをはじめた。はじめて彼女の組織能力(そしてクッキング能力)が発揮された。しかし仕事が忙しく、精神的ストレスがたまり、精神科医をたびたび訪ねることになった。彼女は仕事をやめてアイルランドにもどり、死期の近い叔母を見舞った。叔母が死ぬと葬式にも出ず、ロンドンにもどった。叔母の死によって彼女は自由を感じた。

クライブとは結局離婚し、その後アイリーンはビジネスにもどった。しかし食材供給会社との折衝が苦痛で、仕事がつらくなった。もっと戦争に関わる仕事をしたいと思い(当時第一次大戦が勃発していた)イーストン駅近くのカートライト・ガーデンズに負傷兵のためのホステルを開いた。50人ほどの士官のために食べ物や宿、レクリエーションを供給し、人気を博した。これほど多忙を極めたにもかかわらず、幻視がおさまることはなかった。暗いスクリーン上に友人たちの姿を見ることがあった。そこに見たものは、実際に起きるのだった。彼女は炎や爆発の幻影を見た。次の日の朝刊にはその情景の写真が載っていた。

 ガース・ウィルコックスは高熱からの療養のため、アイリーンのホステルに数日間滞在した若い士官だった。すぐにフランスかベルギーの最前線の軍務に戻らなければならなかった。もどる前にアイリーンと結婚したいと申し出た。ときにアイリーンは一人娘をかかえる23歳のホステルの女主人。彼女は結婚の申し出を受け入れたが、彼が戦争から二度と戻ってこない予感をもっていた。

 一か月後、幻影のなかに彼が戦いの最前線で苦しんでいるさまが見えた。サヴォイ・ホテルでディナーとダンスのパーティを開いている最中の夜中の11時半にヴィジョンがやってきた。

「人でごった返した部屋から抜け出すと、夫が死ぬヴィジョンが見えたのです。その瞬間、自分のアイデンティティーが失われたかのように感じました。私はひどい爆発のなかにいるように思いました。そして金色の髪のやさしい男性が木端微塵になっているのが見えたのです。肉片が落ちていくのを眺めていました。音の海から泳いで抜け出すと、私はレストランの休憩室に座っていました。夫が亡くなったことはわかりました。でも気力を振り絞ってパーティにもどりました。いま体験したことは怖くてパーティ参加者に話すことはできませんでした」

 と、のちにアイリーンは語っている。

 一週間後、戦時本部からアイリーンの夫が行方不明になり、戦死したものと推定されるという通知があった。あとで聞いた話では、夫は前線のワイアーを切断する任務につき、戻ってこなかったとうことだった。戦争が終わってずっとあとのこと、ベルギーのイーペル(Ypres)をドライブしていると、メニン・ゲートの碑があり、そこには夫の名が刻まれていた。

 その翌年、アイリーンは「二つの心」を制御することができるようになった。そうして過度の疲労からはのがれるようになった。そして彼女に見えるヴィジョンも増え、種類も多岐にわたった。他人の人生の過去、現在、未来が見えるようになった。

 たとえば300マイル離れたところに友人がいて、別の友人が20マイル以内のところにいるとする。両者とも同時にアイリーンに手紙を書き、消息を尋ねる。彼らはアイリーンが近くにいると感じる。そんなときアイリーンは彼らのことを強く念じるのだという。彼女はしだいに千里眼やテレパシー能力に磨きをかけていく。

「私は意識的に第二の心を目的の人物のところに向けて発するのです」

 病気のため戦争が終わる前にホステルはたたみ、田舎で休養した。その後元気を取り戻し、ロンドンにもどると、今度は労働党の出張者のためのホステルを開いた。彼女にはいつも仕事が必要だった。ケータリング・ビジネス、ホステル、ティールーム、雑誌、出版社などである。暇は大敵だった。暇にしていると、かつての「友人たち」が彼女を支配してしまうのである。

 ホステルの準備が整うと、彼女はロンドン北部に住む旧友ジェームス・ウィリアム・ギャレットを訪ねた。ギャレットは、生存するためには足を切らねばならないと医者から宣告されたばかりだった。さらには婚約が破棄されたばかりで、失意のどん底にあった。アイリーンは、足は切るべきではない、医者にもそう言うべきだとアドバイスした。驚くべきことに切断を回避し、その後心身ともに回復することができた。感服したギャレットはアイリーンにプロポーズし、アイリーンは受け入れた。

 ギャレットもまた妻には家にいてほしいと願うタイプの夫だった。しかもアイリーンにホステル経営をやめさせたがった。しかし彼女はフェビアン協会の会員であり、労働党の会員だった。彼女は理想に燃える政治家たちが保守的になるのを見て幻滅したが、『民主主義に向かって』『文明、その来歴と療法』『来たる愛の時代』などの著作で知られる70歳になろうとしている高名な社会主義思想家エドワード・カーペンターと親しくなった。エドワードはこの愛らしい不思議な能力を持ったアイルランド人に夢中になった。

 アイリーンは幼少時代から経験したことのすべてを話した。カーペンターは、彼女がいわゆる宇宙意識の一部であり、ヴィジョンは宇宙から来るものだと言った。たんなるイマジネーションではないのだ。人々のまわりに色のグラデーションが見えるのは、一種の高度な能力だった。しかし能力を持たない人々は理解しようとせず、彼女を狂った魔女と呼んだのだ。

 カーペンターは非公式の師となった。彼はアイリーンにマダム・ブラヴァツキーやシュタイナーを読むことをすすめ、哲学協会の会合に出席することをすすめた。しかしいかなるカルトやセクト、宗教に引き込まれないよう注意を促した。アニー・ベサントや神智学協会のメンバーは彼を引きこもうとしたが、抗った。なぜなら彼は彼自身の神を持っていたからである。彼はアイリーンのすべての信仰に対する懐疑主義が気に入っていた。彼はまたエマーソンやスピノザ、フレイザーの『金枝編』、ウパニシャド、マハーバーラタを読むことをすすめた。それから聖書に戻り、最後に友人でもあるホイットマンを読むことをすすめた。アイリーンはカーペンターのもとで二年間学んだ。

 娘のベイベットが病気になった。医者は午前二時頃が山場になると言った。もしもの場合のケアを夫のジム・ギャレットらに頼んだ。

 アイリーンは医者や夫に対し怒った。彼女なりのやりかたで娘を救おうと思った。彼女は娘を抱きかかえ、口移しに息を入れた。そのとき声が聞こえた。

「気をつけて。この子にはもっと空気が必要だ。新鮮な風を部屋に入れなさい」

 アイリーンは言われたようにした。そのときベッドにもたれる小さな男の人の姿を見た。その顔はよく見えなかった。娘をベッドの上に置いたとき、その男の人がかたわらに立ち、ほほえんでいるのがわかった。

 一時間後、夫や看護婦らが部屋に入ってきた。娘のベイベットはもう死んでいるだろうと彼らは考えていたが、彼女はベッドですやすやと眠っていたのである。医者ではなく、ヴィジョンやだれかの声によって娘の命は助かったのだった。


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