(10)心霊研究に身をささげたマッケンジー
アイリーンはフンリのところには行かなくなったが、かといってロンドンから出ることもなかった。彼女は機会があればオーストラリアへ行きたいと考え始めていた。しかし高名な霊媒であるグラディス・オズボーン・レナードはアイリーンの能力を認め、引き留めようと考えた。グラディスの支配霊フィーダは、アイリーンのウヴァーニとは性質を異にしていた。彼女は秘書のマーシーに、アイリーンと会って彼女を心霊研究に戻したいと語った。
アイリーンは会うのを承諾したが、それはグラディスではなく別の女性、インドに長く滞在し、東洋の宗教や哲学に詳しい霊能者のケルウェイ・バンバーだった。ロンドンの心霊学界の人々はバンバー夫人を超常現象の真の研究者とみなしていた。アイリーンの反発心は薄らぎ、オーストラリアへ行きたいという願望は消え去った。
バンバー夫人の超常現象にたいする明瞭な態度が印象的だった。アイリーンがトランス状態に入ると、夫人はウヴァーニと会話した。彼女はアイリーンに霊媒能力の使い方についてアドバイスした。他の心霊研究者にとっても、ウヴァーニの登場は喜ばしいことだった。生者とコミュニケーションできる「死後存続」のあらたな証拠と考えられたのだ。しかし彼女自身は死者との会話は非論理的だと考えていた。
バンバー夫人に実験を試みていたのは、ケンブリッジの研究者を中心に1882年に創立されたSPR(Society for Psychical Research)、すなわち心霊研究協会だった。メンバーにはアーサー・バルフォア、ヘンリーとエレノア・シジウィック夫妻、詩人のマイヤース、ウィリアム・ジェームス、アンリ・ベルクソンなど錚々たる名前が含まれていた。
霊能者のなかでも若くて魅力的だったのがジェームス・ヒューワット・マッケンジー夫人のバーバラだった。彼女は夫とともに1920年春、英国心霊科学カレッジを開設した。夫人ははじめてアイリーンに会ったとき、可能性を感じ、夫とも会うことをすすめた。アイリーンはとまどいを感じた。というのもマッケンジーは心霊主義や超常現象においての権威だったからだ。
マッケンジーは妥協を許さない心霊主義者だった。その基本的な信条をアイリーンは好きではなかったが。彼はずんぐりとして、ユーモアを解さないスコットランド人であり、いつもはなやかなアイリーンとは相性が悪かった。それでも、誇り高いアイリーンと専制君主的なマッケンジーは長年にわたって研究をつづけていくことになる。アイリーンが著書『テレパシー、失われた能力をもとめて』を出版したときもその献辞はマッケンジーに捧げられた。
マッケンジーは金属業を営む独裁者的な父親のもとを飛び出し、独立して宝石業や航空事故救難装置、配管供給、厨房設備、木材業など多くのビジネスを手掛けて成功したプラクティカルな人物であり、よき夫、よき父親だった。彼は長老派教会やメソディスト教会に通っていたが、第一次大戦で多くの死者が出るのを見て信仰心を失ってしまった。彼らの死に何も意味がないように思えたのだ。
マッケンジーが心霊主義に傾くきっかけとなったのは、イタリア移民米国人アーティストとの出会いだった。クリスマスの夜、アーティストを招いたとき、彼はぶっきらぼうに信仰についてたずねた。彼は一般的な宗教は信仰しておらず、自分は心霊主義者でありメンタル・ミディアム(霊媒)だと答えた。マッケンジーは興味を抱き、心霊主義がどんなものであるか目の前で実証してほしいと言った。
彼はマッケンジーにテーブルを用意してもらい、家族にまわりに座らせ、指をつけるように言った。数年前に死んだマッケンジーの叔母について尋ねると、その内容はおおむね正しかった。しかしそれは死者との会話というより読心術だった。ほかの親戚のメッセージは正しくないように思われた。しかし後年スコットランドの親戚にたずねると、アーティストの言ったことが細部に至るまで正しかったことがわかった。
マッケンジーは心霊主義研究こそライフワークだと悟った。ビジネスは他者にまかせ、自身は時間のすべてを死後の人生の存在探究に費やす覚悟を決めた。彼はロンドン心霊主義者同盟に参加した。書物を読み漁り、心霊主義研究をリードする学者と討論した。彼は催眠術を勉強し、自身催眠術を使うヒーラーになった。英国のあらゆるところを訪ねては情熱的にレクチャーを行った。そこで主張したのは「死は存在しない」だった。当時はオカルト・サイキック・ブームだったのだ。このブームは後年米国にも飛び火する。
妻のバーバラはよき協力者だった。週に二度彼らは家の中の降霊会用の部屋でセッションを開いた。そこでは軽い食事が用意されたが、酒類が出されることはなかった。
バーバラは前述のように霊媒だった。彼女の口を通して過去の賢者や学者のメッセージがうつろな声で発せられた。ジェームスはおびただしい質問をぶつけた。そのなかには解決されなかった難問が含まれていた。ときには邪悪な人格がセッションを乗っ取り、静かで賢明な人格を負かそうとしたが、夫からトレーニングを受けていたバーバラはそのガイドのもと、乗り切ることができた。
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