(13)アイリーンの反抗
アイリーンをトレーニングするうち、彼女がメンタル(精神的)霊媒であるとともにフィジカル(肉体的)霊媒であることがマッケンジーにはわかった。彼はメンタル霊媒こそが純粋な霊媒だと考えていたので、アイリーンにはフィジカル霊媒を求めないよう忠告した。しかしその忠告を無視して降霊会でフィジカル霊媒に挑んでしまった。彼女はエクトプラズムのような半透明の物質を生み出した。その表面には部屋にいた参加者が人生で出会った20人の顔を映し出したという。彼女は結局マッケンジーをだましたくなかったので、フィジカル霊媒には二度と手をつけなかった。
アイリーンはマッケンジーの要望に応じ、彼に最大限の敬意を払って活動をつづけた。しかしそれでも彼の支配霊やトランス、霊媒術の説明を鵜呑みにすることはできなかった。そしてトレーニングが進むにしたがいウヴァーニやその他の人格は潜在意識の心の一部ではないかと思えてならなくなった。愛弟子であるアイリーンが、ウヴァーニは「潜在意識から分裂したもの」と語るのを聞いてマッケンジーはショックを受けた。彼と妻のバーバラは、将来性をおおいに期待するアイリーン・ギャレットが心霊研究全体に疑義をはさみ、心霊学の原理と真逆の方向へ進もうとしているのを見て愕然とした。
アイリーンは、マッケンジーは「正直な人で科学者だが、その方法や根拠は物理学者や化学者らの実験が行われるラボでは相手にされないでしょう」と冷淡に述べた。
彼女はウヴァーニに関しては滑稽にさえ感じ、恐れの気持ちはなくなった。しかもウヴァーニを「いいおっさん」呼ばわりし、カレッジ内の厳粛な雰囲気のなかで同僚たちを驚愕させたのだった。
またアイリーンは落ち着きをなくし、降霊会のためにやってきた人々にたいしても批判的になった。彼らは死んだ親戚や友人と話をしたがった。しかしほとんどの人が降霊会を麻薬や催淫薬として活用しているのであり、責任感のある生き方を追い求めているのではなかった。アイリーンはいつも期待にこたえたし、顧客らも満足した。しかし彼女がもたらしたメッセージに顧客が満足しなかったとき、トランスから目覚めるとすぐに不快を顔に表した。顧客の好みにあうようにメッセージを変えることはできなかったのだ。彼らはよきメッセージのみを欲しているのであり、純粋に霊媒術に興味があるわけではないのだ。
いまやアイリーンは自分のなかに古代に生きたウヴァーニという存在が実際にいることはないと確信していた。ウヴァーニは彼女自身の潜在意識からやってきたのだ。そしてフンリやマッケンジーらすべての心霊研究者がウヴァーニを現実的な存在ととらえるのは間違っていると考えた。それは異端的な考え方であったが、彼女はカレッジを去ることはなかった。マッケンジーから学ぶこともまだまだ多いとみなしたので、彼やカレッジにたいするあからさまな批判は控えるようにした。
彼女はまたいまや心温かい友人であるコナン・ドイルと仕事をするのが楽しかった。彼は死後存続のほか、ヒーリングに興味を持っていた。世界的に有名な物理学者であるオリバー・ロッジ卿もいた。彼は死後存続を証明し、死者との会話を試みたとしてアカデミズムの同僚たちを困惑させた。東洋の古典の翻訳者であり学者、またもとヘレナ・ブラヴァツキー夫人の秘書でありジャーナルの編集者だったG・R・S・ミードもいた。彼は鋭敏な霊媒であれば古代哲学者の失われた知恵を現代世界にもたらせると信じていた。
あらたな疑いが生じたことによってマッケンジーの作ったトレーニング・プログラムをアイリーンは守らなくなった。彼はアイリーンに質の高い霊媒になるためにはオカルティストや作家、アーティストら潜在意識を乱す人々は避けなければならないと警告した。しかし彼女が興味をもっている人々は彼らだったのだ。
たとえばPENクラブとサバイバル・リーグは転生に興味があるアーティストや作家の集まりだった。サバイバル・リーグの創建者キャサリン・ドーソン・スコットや悪名高い黒魔術師アレイスター・クロウリー、E・フィリップス・オッペンハイム、ジェームス・スティーブンス、ウィリアム・バトラー・イェーツ、ジェームス・ジョイスら名高い人々とつながりを持った。
マッケンジーは1929年8月に逝去した。アイリーンは彼の心霊主義の考え方を拒んだが、最後まで彼の指導のもとでトレーニングを受けた。しばらくの間彼女はシャンピオン・ド・クレスピニとともにカレッジで働いた。しかしカレッジを去るまでにそれほどの時間はなかった。カレッジの研究施設はなおさかんに活動していたが、バイタリティーあふれるマッケンジーがなくなったいま、彼女はむなしさを感じた。霊媒としての活動をアイリーンはプライベートでつづけた。厳しいトレーニングと何千回もの降霊会を経てきたので、この分野から離れる気にはならなかった。
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