(16)死ぬってどんな気分ですか?

 アイルランド人ジャーナリスト、T・P・オコナーの死後、1929年にその友人であるマージョリー・ローレンスらはアイリーンを訪ねた。(『ヨルダンのフェリー』より)
 オコナーは英国議会のゴールウェイ州代表をつとめ、英国とアイルランド双方から人をなごませる話し手として、のちには下院の父として敬慕された人物だった。ミス・ローレンスがアイリーンを訪ねたのはオコナーの声を聞くためではなく、連れ立った女性の友人の死んだ父親の声を聞くためだった。しかしウヴァーニを通じてやってきたのはオコナーだったのである。身振りや声のアクセント、話しぶりなどはオコナーそのものだった。

 ミス・ローレンスは思わず聞いてしまった。

「オコナーさん、死ぬってどういう気分なのですか?」

「死ぬだって? まあご存じのようにわしは長らく病気を患っていた。地上から去る前、わしは残疾者のように車椅子生活を余儀なくされた。それも悪くはなかったんだがね。だがもっとひどい病気をしてからは、ベッドから起き上がることさえできなくなってしまった。

それからだな、ずいぶんと眠っていたような気がする。ずっと漂流していたかのようだった。そしてはじめて気がついたのだ。ああ、これが望んでいた眠りなのだ。本当の眠りというものなのだ。死というのは、暗く暖かい睡眠に落ち込んでいくようなものなのだろうか。わしは本当に長い間眠っていたよ。それからしばらくして、眠りから覚めた。

ベッドかソファのようなものの上にわしは横たわっていた。とても大きな部屋かホールのなかだ。空間には青い光が満ちていた。まわりには大勢の人がいて静かに動き回っていた。彼らはわしの世話をしているようだった。そして突然親父が現れたのだ。子供のとき以来会っていなかった親父だ。

笑みを浮かべながら親父はわしを見下ろしてこう言ったのだ。『坊や、そう、ここでいいのさ。おまえが皆のいるここに来てくれてうれしいよ。何もしゃべらなくていい。すべて正しいのだからね』。

それからまた漂流して眠りのなかに入ったかのようだった。それは奇妙な夢のようだった。それからずいぶん長い時間が流れた。

わしは完全に目覚めていた。いままで見たことのないような美しい庭があり、そのなかを流れる川のほとりに坐っていた。庭には花々が咲き誇り、大きな木々に囲まれていた。遠くには雲を冠するなだらかな丘陵が見えた。青い丘、それこそアイルランドの丘だ。日はあたたかく、空は青く、鳥たちがはばたいていた。もっと遠くには海も見えた。わしはふと自分の足を見た。それは健康的な足だった。車椅子など必要ない。手を見た。それは若者の手だった。わしは自分に言ったよ。おい、ティム、おまえ酔っぱらってるんじゃないかってな」

 マージョリー・ローレンスは、ギャレット夫人は話者(オコナー)に会ったことがないはずだが、その口ぶりは本物のオコナーだったと記している。


 オコナーが現れた降霊会から一年後、メイダ・ヴェイルのC・A・ドーソン・スコット夫人宅にアイリーンを含む12人ほどの人が集まっていた。そのうちのひとりがウヴァーニにたいし「有名な弁護士で二年前の1929年に死んだエドワード・マーシャル・ホール卿を呼び出せるか」ときいた。生前エドワードはある予知能力者を訪ね、二年以内に死ぬだろうと宣告されていたが、そのとおりに死んでしまった。H・デニス・ブラッドレーは著書のなかにこのときの降霊会の様子を描いている。彼はウヴァーニに、メッセージを預かるのではなく、直接ホールの声を聞けないかとたずねた。最終的にウヴァーニは了承した。

「(ウヴァーニの声で)お望みの紳士がやってきました。彼は50代……、57か58でしょうか。彼は役者にでもなれそうな素質をもっています。正確無比に話すことができるのです。文化的教養を感じさせる声で何時間もとうとうとしゃべることができます。見かけほど年をとっているわけではありません。しかし苦悩はすさまじく深いのです。彼の病気はガンだったかもしれません」

 それからホールが直接話し始める。

「私がこの世を離れ、すばらしい国に向かって航行していると言っても、また、先に行ってしまって申し訳ないなどとさらさら語る気などないと言っても、私を知っている人は驚かないだろう」

 ホールが消えて現れる様子がなかった。じれた参加者のひとりはウヴァーニに「ホールはいま何をしているのでしょうか」とたずねた。

 ウヴァーニはこたえた。

「ホールはこう言っています。私は失望させてしまうかもしれない。なぜならここはあなたがたが期待するような天国でも地獄でもないのだから。あなたがたはまだ多くの問題に捕らわれているようだが、私はこちらで遊んでいるのだ。私はもはや肉体を脱ぎ去った霊魂ではない。私はここではとても若い。赤ん坊なのだ。一歳か二歳の赤ん坊にすぎない。ほかの幼児とおなじことをしているのだ。目をあけ、周りをながめて、さまざまな質問をする。私はまだ物質のなかに存在している。とてもきれいでまだ問題を起こしていない無垢の身体の中に存在しているのだ。起こるすべてのことに私は関わっていく。ここは自由意志が支配する場所なのだ。すべての体験が成長なのだ。それは地獄でもあり天国でもあるのだ。地球上の安楽な地方にいま私はいる。それを天国とは呼ぶまい。ここには痛みも悲しみもないのだ」



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