(18)首つり男の霊ほか、怪異現象

 アイリーンはトランスではなく透視力によって亡霊を見ることがあった。1920年代のこと、娘と友人とでドイツ内をドライブしたことがあった。その日のうちにケルンに着けなかったので、クレヴェスという町の小さなホテルに泊まった。アイリーンがはじめに洗浄をすませ、部屋に入り、娘や友人を待っているとき気分が悪くなった。肌がちくちくし、背中がぞくぞくした。これは部屋のなかにだれかがいるということだった。だから娘が部屋に入ってきたとき、「バブス、わたしの背後にだれかいる?」ときいた。娘は首を振った。しかしアイリーンは振り向き、そこに梁から垂れ下がった縄に首をつっている「完全に死んでいない」男の姿を見た。

 アイリーンは部分的な死を信じていた。精神の一部がそれ自身を放つのをためらうかのように、肉体の死から何年たっても幽霊のような形のなかに意識が残ることがあると考えていたのだ。

 クレヴェスの件では、彼女はイン(宿)の古いオーナーのことは知らなかった。あとで聞いた話では、宿の雑用を与えられていた甥がオーナーの座を奪い取り、心を痛めた老いた元のオーナーが首をつったのだという。

 

 1920年代のこと、コナン・ドイルはロンドン郊外の村に住む男から手紙を受け取った。騒音(ラップ音)について調査してほしいという内容だった。その粗末な家には最近やもめが住み、小さな店を経営していた。彼女には若い娘がいた。彼女の健康は日に日に悪くなっていった。彼女と家のラップ音は関係がありそうだった。ドイルは友人であるマッケンジーに調査を助けてくれるよう頼んだ。マッケンジーはアイリーンらを連れてこの村にやってきた。

 マッケンジーは丁寧に説明したが、女主人は一行を見るなりどなりたてた。しぶしぶ彼らが家の中に入るのを許可した。少女はとても弱々しかった。だれもが家の中のラップ音を耳にした。マッケンジーに請われてアイリーンがトランスに入ると、すぐにウヴァーニを通して娘の死んだ父親が出てきた。彼が言うには娘はただひとりの子供であり、二年前に自分が死んだとき遺産の一部を彼女に与えた。しかし母親と弁護士が遺産を使い込み、その挙句娘を捨ててしまったのだ。その不正に抗議するためラップを起こしたのだという。そのラップ音を起こすエネルギーは娘から奪っていたものだった。そうして彼女を自分のもとへ連れて行き、ともに平和に暮らしたいと父親は考えた。

 こうしたことがあきらかになり、それからは娘に十分な食べ物が与えられ、世話がよくされると、ラップ現象は終わった。

 

 1929年、セヴァ―ン谷に住む漁師夫婦がロンドンのカレッジに丁寧な手紙を書いてよこした。彼らの家にいる亡霊によって13最の息子がおびえているというのだ。息子によれば夜な夜な荒くれの黒い男の霊があらわれるという。そのたびに母親の部屋に逃げ込んだ。霊はベッドの掛布をはぎとることもあった。母親が部屋に入ると男は逃げたが、まもなくすると戻ってきた。兄弟たちも男の存在を知っていたが、深刻な害はないとみなしていた。

 カレッジから来た一行を率いるのは(マッケンジーはその年に死んでいたので)スタンレー・バーバーだった。アイリーンは霊媒として亡霊との接触を試みた。

 はじめウヴァーニがあらわれ、それから男が直接話し始めた。男は遠い親戚で、このコテージに住んでいた。とてもここが気に入っていたので、とくに漁がうまくいったときに戻ってきたという。漁に行くときは兄弟といっしょだった。魚だけでなく、宝物を密輸した。あるとき彼は兄弟と喧嘩し、殺してこの敷地内に埋めた。スタンレー・バーバーはここで降霊をとめ、なぜ罪のない子供を怖がらせるのかときいた。彼はこのコテージが大好きだったので、たとえ親戚でもここに住む人々を怖がらせたのだった。しかし少年のことは好きだったので、害をもたらすことはなかった。

 バーバーは、男はもうこの世に属さないのだからと説得し、それ以来あらわれることはなくなり、ラップ現象も発生しなくなった。のちこの敷地内から大量のコインと骨がみつかったという。

 

 失敗例もある。1932年、バース近くのブラッドフォード・オン・エイボンのサクソン教会の除霊がうまくいかなかったのだ。そのことについてアイリーンは書き記すことはなかったが、アンゴフにはよく話した。ウィリアム・オリバー・スティーブンスも『招かれざる客』になかに書いている。

 ウィルトシャー県のブラッドフォードは県でもっとも美しい町と呼ばれていた。このサクソン教会は郷土史家によれば10世紀か11世紀に建てられたという。それは納屋や物置として使われてきたので、ダメージはあまり受けていなかった。19世紀になってある牧師が高いところから見下ろしてこの地域をきれいにすべきだと考え、古物商やアマチュア考古学者を説得した。もともと小さいが美しい教会だったのだ。それ以来教会としての活動が復活した。

 しかし1932年、牧師は教会のなかの祭壇になにかを感じるようになった。牧師である兄弟に話すと、彼も同様のものを感じるという。彼らはちょうどアメリカからもどってきたアイリーン・ギャレットに助けをもとめることにした。

 教会のなかに入ると、そのまま何世紀も前の風景のなかに意識は滑り込んだ。教会の外には大きな集団の人々がいた。彼らは15、6世紀のころの服を着ていた。彼らは幸せそうではなく、信仰を強要されている人々のように見えた。のちにわかるのは、彼らは隔離されたらい病患者だった。彼らは教会の外に隔離されていたので、教会のなかの人々は汚染されることはなかったのだ。

 アイリーンは内陣レールの近くに立っていた。だれかが耳に手を押し付けてきた。バーバーはすこし離れたところにいたので、彼女ではない。扉の近くに男が立ち、なにかに怒っていた。扉と思われたのは扉ではなく、納骨所の入り口だった。そこに何か文字が刻まれていた。彼女は叫んだ。「スタンレー、こっちに来て、この納骨所を見て」

 そのときアイリーンは頭に一撃をくらい、倒れてしまった。牧師が感じた存在によってアイリーンは襲われたのだ。

 彼女は二度とこの教会にもどることはなかった。しかししばしばサクソン教会の日曜のことを思い出した。しかしこの出会い以降、怒れる男は姿をあらわさなくなった。

 

 引退した帝国海軍の元提督にはふたりの息子がいた。息子たちはクローゼットから音がするという怪現象について父親に話したが、提督はまったく信じていなかった。ある朝めざめるとクローゼットのなかにあった靴が動かされていた。しかし弟が療養所で生活するため家から出されると、怪現象はぱたりとやんだ。しかししばらくすると、母親がラップ音や靴音を聞いた。彼女は夫にはそのことを話さず、むしろ歩く亡霊にもっと目立ってくれるよう願った。息子がもどってくるすこし前、元提督がウィスキーとソーダを飲んでいると、目の前でグラスが滑ってテーブルから落ちて割れた。彼はそのことを忘れようとしたが、二日後、水差しがテーブルから落ちた。こうした一連の怪異現象があり、友人は彼らに心霊科学カレッジに相談することをすすめた。

 アイリーンが呼ばれ、ウヴァーニを通して現象を説明した。少年の叔父(母親の兄弟)は二年前に亡くなっていたが、死ぬ前の病床の数か月間、疑い深くなり、妻と弁護士がなにかたくらんでいるのではないかと思った。それで妻への財産分与を減らし、残りは遠い親戚に残したのだった。彼は自分の間違いに気づき、もうひとつの(もともとの)遺書があることを妻に知らせたかった。遺書がどこにあるかはっきり覚えていなかったが、以前はいつも靴のなかに隠していた。それで靴を動かして弟に知らせようとしたのである。母親はその説明を聞いて、自分の聞いた足音も弟が知らせようとしたのだということがわかったのだ。

 古いほうの遺書は死んだ弟の靴のなかから見つかった。土地をたくさん分与された従兄弟も、喜んで発見された遺書にしたがった。クローゼットの怪現象は二度と起こらなかったという。


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