(19)アッシュマナーの亡霊

 イングランド南部ギルドフォードのアッシュマナーの亡霊はアイリーンとウヴァーニにとってやっかいだった。モーリス・ケリーと妻は1934年に森に囲われた24エーカーの土地と魅力的な家を購入した。価格がすごく低かったのは、この家が幽霊屋敷と言われていたからだ。ケリー夫妻と16最の娘がアッシュマナーに引っ越してきてから5か月が過ぎた。ケリーは未明の3時35分、ベッドルームのドア付近で三度のラップ音がし、目覚めた。ドアにはだれもいなかった。彼は妻の部屋に行くと、彼女もラップ音を聞いていたことがわかった。

 翌日の夜、ドアに二度音がした。つぎの夜にはまた音を聞いた。だれがノックをしているのだろうか。彼はウトウトしていると、ドアがバタンと音をたてた。そこには緑の上っ張りを着た、汚れた半ズボンにゲートルをつけたソフト帽をかぶった、ハンカチを首に巻いた小さな老人が立っていた。

「あなたは誰だ」とケリーは叫んだ。

 男はだまって立っていた。すこし愚鈍そうで害はなさそうだった。しかし問いにたいして答えがなかったので、ケリーは怒りの気持ちを覚えた。彼は男の肩をつかもうとしてが、男は存在せず、肩もなかった。彼はバランスを失って床に倒れた。彼は妻の部屋に逃げ込み、わけのわからないことをしゃべったあと、妻の胸に崩れ落ちた。夫を元気づけるために妻はブランデーを取りに行った。そのときに彼女は足を見た。それからエリザベス朝の衣類、小さな老人の赤い顔を見た。老人は丸いプディング帽子をかぶっていた。彼は愚鈍そうな顔つきで彼女をじっと見つめた。「何がほしいの? あなたは誰なの?」といらだった彼女は叫んだ。彼女は男にむかってなぐりかかったが、空を切り、ドアにこぶしをぶつけてケガをした。

 彼らが亡霊か幻影を見たのはまちがいなかった。男の亡霊は何度もやってきた。玄関にあらわれることもあれば、煙突の近くに立ち、消えることもあった。ある晩は首にできた傷を見せたこともあった。

 ケリー一家は地元の大臣に窮状を訴えた。エクソシズムをためしたことがあったが、まったく効果がなかった。1936年7月、彼らはロンドンに行き、心霊研究国際研究所のリサーチ・オフィサー、ナンドール・フォドール博士に助けを求めた。

 フォドールはアッシュマナーを訪ね、一泊した。しかし何も見つけることができなかった。ケリー夫婦から話を聞くとき、得意の速記術を用いた。ハンガリー出身の彼は速記術のヨーロッパ・チャンピオンだった。彼はアッシュマナー近辺で話を聞いて回り、ここが亡霊のすみついているところだということがわかった。1936年7月25日、フォドールはアイリーンと娘のバブス、秘書のケネス・ラウズ、友人で心霊研究者のエルマー・リンゼイ博士をつれてアッシュマナーをふたたび訪ねた。

 ウヴァーニがあらわれて言った。

「わたし、ウヴァーニでございます。あなたたちの生活、仕事、家事において平安が訪れますように」

 この平安こそがケリー夫妻が望んでいることだった。フォドールはウヴァーニに説明した。不幸な亡霊がケリー夫妻や娘の前にあらわれて恐怖を与えるため、平安がなくなってしまっていたのだ。

ウヴァーニは言う。

「生は死ぬことはありません。あなたはそのダイナミズムを爆発させることができます。しかしそのエネルギーを消してしまうことはできません。敏感な人はたったひとつではなく、千の記憶を活性化することができるのです。この家から500ヤードのところに19世紀はじめに建てられた仮設の州刑務所がありました。たくさんの男女の受刑者がそこで命を落としたのです。何十もの不幸な魂がいまもさまよっています。そのうちのひとつがあなたにまとわりついています。というのもその魂はあなたとの類似点が多いからです。もしあなたがこの部屋にいて神経をすり減らすなら、そのエネルギーによって亡霊は舞台の上の絵のように自身を完成させるでしょう」

「家の中に幸福がもどってくれば、家族がお互いに打ち解けあえば、亡霊がやってきて住みつくことはないでしょう」とウヴァーニは言った。

 ケリーは憂鬱になり、心乱れ、不幸だった。その気分が環境を作り出し、亡霊が引き寄せられるのだという。

 リンゼイは音の正体は何なのかたずねた。

「何も失われるものはありません。もしあなたが感性の装置をもっているなら、ただちに過去の音を聞くことができるでしょう。もし時のゼンマイを巻くことができたなら、予言者が言っていたことだって聞くことができるでしょう。もしこの人格があなたと接触をもちたいと思い、あなたが感性をもっているなら、音を聞くことができるでしょう。それは非―時間の記録なのです」

「家にとりついている亡霊を癒すにはどうすればいいのでしょうか」

「それは十分可能です。霊媒によって、つまりアイリーン・ギャレットによって記憶がもどされるからです。それを取り払うのは話者のウヴァーニ、つまり私です。こうして記憶は消え去ります。この部屋を過去の記憶でいっぱいにすることができます。私は横に立っています。記憶は装置(アイリーンのこと)に捕らわれているからです。この記憶が消し去られたとき、もはやトラブルが起きることはありません」

 アイリーンはトランス状態にあったが、リラックスして息も規則正しくなり、落ち着いた。ウヴァーニが最後のことばをリンゼイにたいして発すると、アイリーンは内側からうなり声のような音をしぼりだした。椅子にかたまったかのように動かなくなった。喉をしめられたかのように息苦しくなり、もだえた。ウヴァーニはどこかへ消え、新しい人格がかわって現れたかのようだった。アイリーンは手を動かし、指で自分の唇に触った。それから首をまさぐった。それは亡霊がしゃべれないというサインだった。彼女は左手でフォドールの右手を取り、激しくひねった。フォドールは痛みのあまり叫び声をあげた。アイリーンは床の上に崩れ落ち、手をあげて嘆願するようなポーズを取った。リンゼイはアイリーンの唇に触れた。すると突然くぐもったような音が発せられた。ことばはなかった。

15分後、亡霊は叫んだ。「エル・イエソン!」

 それは「Eleison」の中世の発音だった。ギリシア語で「おお神よ、われわれに憐みを」という意味だった。彼女は助け起こされて、椅子にもどった。

 亡霊はいま中世の英語をしゃべった。彼らは中世英語を解さなかったが、バッキンガムということばは認識した。

「あいつにすべてを取られたのさ。私にお金をくれたし、妻には広い土地を与えた。しかし領主は敵なのだ。私はここに残され、腐るがままになった。息子もなしに。私は息子からの知らせを待っていた」

 アイリーンの顔はふだんとはまったく違っていた。ケリーは顔を近づけ、よく眺めて叫び声をあげた。

「この顔だ! 亡霊の顔だよ!」

 彼はヘンリー(Henley)という名を認識できた。ヘンリー侯爵の亡霊だったのだ。彼はチューダー朝と戦った戦士だった。そしてかつての友人でありいまは敵のバッキンガム侯爵に復讐しようとしていた。バッキンガム侯爵は彼の妻を寝取り、それから彼を拷問にかけ、牢屋に閉じ込めたのだった。それは400年以上前のことだったが、いまもヘンリー侯爵は復讐の機会を探しているのである。

 フォドールらは亡霊に理性的になるよう説得した。もし復讐のことを忘れたなら、神はバッキンガムを公正な裁きにかけるだろうと言った。

「神のことをぺらぺらしゃべるな! 私は復讐をとげたいのだ」

「おまえはどっちが望みなのだ?」とリンゼイは言った。「復讐を遂げたいのか、妻と子供に会いたいのか」

 亡霊はもがき苦しんでから言った。「やはり彼ら(妻と子供)だ。自分のことなどどうでもいいのだ」

 彼の声は弱々しくなった。「もう一度呼んでくれないか。私はもういられない。抜け落ちそうだ。どうか行かないでくれ」

 それから部屋には静寂が支配した。亡霊はもうそこにはいないようだった。亡霊は鎮められたのである。

 しかしケリーは、亡霊は妻と子供に会えなければまたもどってくるのではないかと危惧した。そして翌日、亡霊はもどってきたのである。ケリーはロンドンに帰ったフォドールに電話し、「なんてこった。亡霊がまたいるよ」と叫んだ。 

 フォドールはアイリーンに会い、プライベートな降霊会を望んだ。そしてウヴァーニからケリーに関する驚くべき事実を知った。ケリーはあさましい生活を送っていて、夫婦の間には喧嘩が絶えなかった。フォドールはアッシュマナーに集まった人々をもういちど招集したが、ケリー夫妻は呼ばなかった。ウヴァーニが言うには、彼らは協力的ではないからだという。誠実さとほんとうの心がなければ、降霊会は成功しない。彼らの作り出す緊張した雰囲気こそが亡霊の存在する場所なのだ。

 ヘンリー侯爵に関する詳しい情報がウヴァーニによってもたらされた。妻と子供をバッキンガム侯爵に奪われただけでなく、34最の彼はロープで引きずられて舌は切れ、喉もえぐられて話をすることができなくなった。そして生涯牢屋から出ることはなかった。

 ヘンリーが牢屋に入れられたのは1536年のことだった。看守も死んでしまったが、彼の骨はヘンリーとともにあった。その魂はヘンリーから離れることがなかったのだ。

「看守はもういないのか? もう悩まされることはないのか?」

「あなたはもうここを離れて友人たちを探すといい」とフォドール。

 亡霊はこれでもういなくなったと思われたが、後日ケリーのもとに現れた。亡霊は心の中に住んでいて、離れることはないとケリーは電話で伝えてきた。フォドールはケリーにウヴァーニの分析の内容を手紙で知らせた。それによるとケリーは放蕩者でアル中、妻もモルヒネ中毒だと非難していた。このふたりが作り出した雰囲気に亡霊は引き寄せられていたのである。この暴露はケリーにショックを与えた。それは亡霊が心から離れるきっかけになったかもしれない。


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