(20)ロックランドの亡霊

 ブロードウェイ・コラムニストのダントン・ウォーカーは1942年に買ったロックランド県の家が亡霊の憑いた屋敷だということを知らなかった。1952年までには彼も、雇用人も、ゲストもここでは奇妙なことが起こることをよく知るようになっていた。

 はじめて見たときその家は荒れ果てていたけれど、どうしても欲しかった。隠れ家にはちょうどよかったのだ。もともとの所有者は革命時代にさかのぼり、マッド将軍アンソニー・ウェインだった。

 1944年、読書をしているとき、ドアが激しくノックされた。ウォーカーは立ち上がってドアをあけたが、だれもいなかった。雑役夫によるとその夜三度ドアがノックされ、そのたびにドアをあけたが、だれもいなかったという。ほかの使用人はたびたび家の中で足音を聞いたが、歩いている人は見かけなかったという。ふたりのゲストも足音について報告している。

 怪奇現象はそれだけではなかった。窓ガラスが割れたり、壁がへこんだり、壁にしっかり固定した絵画が落ちて粉々になったりした。

 ある女性のゲストは本棚から落ちてきた水差しに当たってケガをした。ほかのゲストは泊まっているとき部屋の電灯がついたり消えたりした。ほかのゲストは寝ているときだれかに顔をたたかれて起こされてしまうと苦情を述べた。部屋の中にはだれもいなかったが、椅子にかけたシャツが風もないのにはためいた。また隣りの部屋のロッキング・チェアが勝手に揺れていた。ウォーカー自身が家の中を歩いていると、突然冷たい空気に当たったことがあったという。

 ウォーカーは専門家の助けが必要だと感じ、アイリーンらを呼んだのである。アイリーンはニューヨークの精神病医ロバート・レイドロー博士、超常現象専門の作家であり教授のハンス・ホルツァー、超心理学財団の書記ミッチェル・ポバース、アイリーンの私設秘書レノア・デイヴィソンらとともにロックランドの屋敷を訪ねた。

 アイリーンはいつものようにトランスに入り、ウヴァーニが出てきたのだが、いつもと様子が違っていた。もうひとつの人格が現れようとしていたのだ。その話者はポーランド訛りで話し始めた。

「友よ、石、ぶたれた…、夜の暗闇のなかにわたしは横たわる…、血…」

 そこでウヴァーニがもどってきて説明をする。屋敷にとりついているのはアンドレフスキーというポーランド人だった。彼は若く、背が高く、青い目をもっていた。

 ウヴァーニは祈りのことばを唱えた。

「この屋敷に、病気も不和も不幸もありませんように。亡霊にとってこの屋敷は唯一の休息所でした。あなたの心に平和よ、あれかし。こちらとあちらの世界のあいだに理解よ、あれかし」

 これ以降屋敷内の怪奇現象は起こらなくなったという。


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